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友の会活動交流集会での講演(要旨)

4.民医連の活動の広がりと共同組織の役割

03年2月8日 更新

(3)安心して住み続けられるまちづくりにとって
共同組織の役割は重要

・「非営利・協同」は世界の流れ

 私たちの暮らしにもっとも身近な、福祉だとか医療だとか、あるいは教育だとか、、こういう分野というのは、一般の企業の論理や生産の原理ではうまくいかない分野です。たとえば自動車をつくるとか鉄をつくるとかというのは、効率よくやると生産が上がります。しかしこと人間に関するようなことというのは、なかなか効率に馴染まない。効率よく子どもを育てようとか、効率よく恋を語ろうとか、そんなこと考えても、何かあまり幸せな感じはしませんよね。無駄な時間を過ごせと言っているわけではありませんが、やはり人間に関わることというのは、単純にものを生産するのとは違います。ですから、企業の収益性も多分低いと思います。

 今、民医連では非営利協同という自己規定を提起し、打ち出しています。みなさんNPOという言葉は聞いたことがあると思います。アメリカなどではNPO、ヨーロッパでは社会的経済セクターというように言われるそうですが、このような組織のあり方やその活動への関心が高まっています。

 私も去年、スペインのモンドラゴンというところに視察に行きました。わかりやすく言いますと、私たちの生活を支えている仕事というのは、1つは公的セクターの仕事、もう1つは民間の営利企業の仕事です。しかしその中間に、どちらにも属さない領域がある。日本で第3セクターというとイメージが悪いのであまり使いませんが、第3の領域ともいうべき分野すなわち社会的経済セクターやNPOというものが、世界的にも注目を浴びるようになってきました。

 民医連は非営利協同と使っていますが、NPOというのもノット フォー プロフィットですから、営利のためではない、営利を目的としないという意味ですから、非営利のことです。しかも住民同士が協力をし合う組織ですから、非営利協同という訳語を使っています。このような活動が、私たちの暮らしを支える経済活動の中でも不可欠の、大事な仕事だということが、今あらためて注目されているのです。

 くり返しになりますが、1つは、国、自治体などの行政や公的なものがやる仕事、もう1つは民間の営利企業がやる仕事、生産性をもっと重視するようなそういう仕事があります。そして3つ目は人間に関わるような仕事、民医連もそうですよね、効率をあげてどんどん利潤が上がるという分野ではないけれども、人間の生活にとっては必要不可欠な仕事があります。この3つ目の仕事も、ただ2つの仕事の隙間を埋めているようなものではなくて、私たちの経済活動を構成する重要な領域として、それが認識をされつつあるのです。

 国会議員のNPO議連というのがありまして、これの会長は自民党の加藤紘一さん(当時)ですから、NPOが大事だというのは誰の専売特許でもなく、自民党の人から民主党の人からみんな言っているのです。思惑はちょっと違うのかもしれませんが、いずれにしろこれはもう無視できない、これからの21世紀の人間の経済活動の中で、不可欠の重要な領域になると言われています。

 私はこういうふうに思うのです。よく「住民が主人公」と言いますよね。あたり前のことですけれども、政治はいわばお上におまかせという時代にそろそろお別れして、民主主義が血となり肉となって、住民自身がおかしいことにはおかしいと声を出す、住民の意思がきちんと通るような政治をつくっていこうと。これが政治的な意味での「住民が主人公」だと思いますが、経済活動の中でも必要なところでは、住民がイニシアチブをきちんともつような時代に差しかかっているのだと思います。

 つまり公的なセクターと民間の営利企業だけに任せるのではなくて、住民自身が、初めはボランティアから始まるかもしれないけれども、場合によっては必要なものについて、住民自身が事業を興して、経済活動としてもきちんと成り立たせていく。経済活動の上でも「住民が主人公」になっていく時代になってきている。そういう意味では非営利協同、これは今、世界の流れになってきています。

・地域社会、コミュニティー

 ちょっと話が横道にそれますが、地域社会の中での人と人とのつながりの大事さ、運動としてももちろんそうだけれども、事業としても「住民が主人公」という時代をこれからつくっていかなければいけない。多分、共同組織はそういう中で、中心的な役目を果たしていくことになると思います。こういう中から事業としても立ち上がってくるところが、いくつも出てくるのではないかと思っています。だいぶ人間同士がバラバラにされてしまっているような世の中ですが、地域の中でもう1回人と人とのつながりをしっかりとつくっていくことが、大事な時代になっています。

 コミュニティーというのは最近よく耳にする言葉です。共産党とか共産主義というのは日本語に訳したもので、元はコミュニズムといいます。コミュニズムとはコミューン主義とかコミュニティー主義という意味です。それがコミュニズムなんですね。共産党の公式見解は知りませんので、共産党の人から苦情がくるかもしれませんが、マルクスが言ったのは、自治体というのは元々国家よりはるか昔からあった。(注:ヨーロッパでは地方自治体のことをコミューンとかコムーネと言います)。地球上のあちこちで人間が共同生活を送っていた。みんなそれぞれコミュニティーをつくり、力を合わせながらマンモスをとったりとか魚を釣ったりとかしていた。そういう中から富を蓄えた人がいたり、あるいは侵略してきた人がいたりして、国家が生まれてきた。

 いずれ、みんなが豊かで平等な時代が来ると、国家は消滅する。国家がなくなったら何が残るかというと、人間がいる限りコミュニティーが残る。国家がなくなったあとに人間の社会が残るんですよと、こういうことを多分マルクスは言ったのだと思います。そのことをコミュニティー主義と名づけたのではないでしょうか。

 ですから、住民自身がきちんと主人公になっていくこと、自治体、地域社会、人間同士のつながりというものが力をもっていくということは、人間の歴史の上でも大変意味のあることだと思います。

 別に共産党の名前をやめてコンミューン党にしろとか言っているわけではありません。多分日本で最初にそれを言ったのは、秩父困民党ではないかなと私は思っています。一番新しい「いつでも元気」(全日本民医連月刊誌)に秩父の困民党の話が出ていました。あの当時でも、ヨーロッパの出来事、パリコンミューンのニュースなど、それなりに情報は入っていたはずですから(注:1868年明治維新、1871年パリコンミューン、1884年秩父事件)、多分あて字で困民党にしてしまったけれど、本当は秩父コンミュン党だったのではないか、と私は思っています。

 あらためて今、明治維新と似たような時代にきているわけですから、住民自身がしっかりと力を蓄えていくこと、そしてそれぞれの地域でいろいろな運動や事業を住民と一緒になってつくりあげていかなければいけない。今はそういう時代にさしかかっているのではないかなと思います。

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