健和グループ「協議会だより」第41号より
02年10月16日 掲載
吉田万三さんインタビュー
吉田 とにかく、診療をやっていると、「のんきに歯医者をやっていていいんですか」とか、「ポスターを張らないと顔を忘れられちゃうんじゃあないですか」、「出るんでしょう」とか、患者さんからいわれるんですよ。中には、「先生、また出るの。変な気をおこさないで、治療を続けてください」という人もいますがね。 やはり区民の期待が非常に大きいことを感じますし、選挙が1年以内に迫ってきて、態度を明確にしないといけないと思っていました。それで、正式にきちんと「やります」と意思表明しなければ、と思っていた時期に、「有志の会」から働きかけがありましたので、それではと立候補表明をしました。 この間に、5月以降何回か、有志の会のメンバーと会いました。ちょうど、その時期に長野の田中知事のことなんかも起きたもんですから、なおさら、「これは、頑張らなければな」という気持が強くなってきました。 長野は本当に他人事とは思えなかったですね。向こうはダムでこっちはホテルでしたけど、攻撃のされ方まであまりにそっくりでしたからね。「今まで使ったお金が無駄になる」とか「代替案がまだ準備されていない」とか「政治が混乱する」とか。それで、「頑張れ」とメールを送りましたが、田中さんは読んでくれたようです。 立候補の記者会見は、もう少し早くと思っていましたが、折角だから、もう少し幅広く呼びかけようということで、政党だとか各個人に声をかけるのに時間がかかったようです。現在の到達点としては政党では共産党と無党派の会です。いずにせよ、基本政策作成の過程で、できるだけ幅広い勢力と協力したいと思っています。
吉田 各人でそれぞれ力点が違うところがありますが、とにかく、あの不信任というのはけしからんと、いうことを強調する方もいますし、ホテルの問題に象徴されるように、政治のあり方がそろそろ変わらなければいけない、ということを強調される方が多いですね。長野の問題ともダブっている感じです。あと、鈴木区長の顔が見えない、区政が一時は身近に感じられたのに、また自分たちから遠いところに行ってしまったという声も聞きました。
吉田 やはり、昔に逆戻りという印象が強いですね。ホテルの問題は開発型公共事業というか、バブル以降10年日本中でやっていたようなことを象徴するものですね。それを私が区長になってストップしたわけですが、その私をやめさせたあと何をやるかというと、元の姿に戻るわけです。 ですから、また貯めこみを始めているようです。かつて古性区長の最後の段階で、豪華な区役所を立てるのに700億円くらい使っていますが、その時も区民施策を切り捨てて、どんどん金を貯め込み、さらに借金を大幅に増やしたわけですよ。私が区長になった時、すでに莫大な借金を抱えている状況でした。今、また同様な金の貯め込みを始めています。介護保険ですら残った金を積み立てている。 今後、北千住の再開発にも相当お金がかかるし、竹の塚、西新井でも再開発をしようとしています。そういうことにどんどんお金を注ぎ込むために溜めこみを始めており、さらに借金を増やす可能性があると思います。昔の姿とそっくりですよ。 だから、本当にどこかで発想を切り換える必要があります。ひとつひとつをとりあげれば、地元では「再開発」をやってほしいという声もありますが、今の不況の中で大変な状況ですから、もう少しバランスのとれたことをやらないといけない。 駅前にハコモノをいくらつくっても景気がよくなるわけではないですから、しかも区民にしわ寄せをしながらやるような時期ではないですよ。やっぱり暮らしをきちっと重視をする方向、福祉とか教育とかを重視する方向に切り換える必要があります。 今の区長は古性区長の時代の助役ですから、元のスタイルに戻ってしまっているんではないでしょうか。しかし、区民の感覚からいうと、そんなことを繰り返す時代ではなくなっているといえます。
吉田 相当切り崩されてきています。鈴木区長が就任して最初にやったのは、5つあった区立幼稚園を2園廃園にしたこと、保育料の値上げをしたことです。それから、綾瀬のスケート場を廃止したこと、ギャラクシティのプラネタリウムを廃止したことがありますし、施設使用料を軒並み値上げをするとか、老人クラブへの助成金も大幅にカットしています。 彼らの意識にはハコモノをつくることはあるが、それが区民生活に役立つかどうかなんていうことはありませんね。大手ゼネコンが喜ぶだけです。
吉田 そうです。鈴木区政のスタンスとしては、最後の1区になっても減免はやらない、ということです。東京都が一部減免をやったのには渋々乗っかったんですが。基本は国以上のことは絶対にやらないという姿勢です。区民の立場で自治体として何が必要なことなのか、などということは考える気が更々ないですね。
吉田 私の時につくった不況対策緊急融資、全国でもめずらしい借り替え融資などは続いていますが、生業資金は、運用を厳しくして業者の人は借りられないようにしてしまいました。
吉田 そうです。問題はバランスです。それぞれの地元の住民は期待をもっていますから、無理のない形で着実に進めるべきだと思います。しかも、再開発の手法というのが、住民を取りこんで組合施工にしてしまっているんです。だからやめられないような形になっています。 個々の商店をとってみれば、網をかけられて、嫌なら権利を誰かに渡して移るしかない、というふうにさせられています。だから、地元の住民の意思としては早くやってほしいというのがあるんですね。地元住民もつらい思いをしていますから、これはやりきる責任もあると思います。 ただし、実態は、外部から大手のデパートとか商業資本を呼び込んで来る。結論的には建物は立ったけれども栄えるのは大手デパートだけで、今までの小さな商店というのは、そのうち忘れさられるというのが全国あちこちで起こっている現実ではないでしょうか。最近では大手デパートですら倒産したり撤退したりするくらいですから、これからの再開発は、手法も含めて慎重な検討と準備が必要でしょう。 特にバブルがはじけて以降、保留床を高く売ることができなくなって、予定がかなり狂っています。企業だって不利なところには入りませんから、しわ寄せをどこかに引き受けさせなければならない。住民に引き受けさせるわけにもいかないから、結局区民の税金を注ぎ込まざるをえなくなります。
吉田 暮らしを守ること、自然環境、地域経済の問題、それからコミュニティという草の根の民主主義の基礎づくりですね。暮らしを守る上では、福祉、子育て、介護などの問題が重要です。教育の問題は、コミュニティとの関係で重視しています。これから基本政策をつくる上では、そうした点に力点を置いたものになるでしょう。 各自治体とも基本計画をもっていますが、ハード中心、ハコモノ中心なんですよね。全国の9割方がそうではないでしょうか。しかし、中身、ソフトの部分で、どういう住民の力でどういう地域社会をつくるのか、どのように安心して暮らせるシステムをつくるのか、などの点に目を向けなければいけない時代になっているんだろうなと思います。
吉田 そうですね。田中さんの記者会見を見て非常に共通していると思いました。一言でいうと、暮らし重視、環境・福祉型とでもいえるような政治への転換ですね。スウェーデンのことも挙げていました。要するに今のようなやり方ではもう駄目で、ではどうするんだという時の「対抗軸」の姿が今出来あがりつつあるんではないかと思いますね。 というのは、私なんかも、ホテル問題でいい加減にしろということが選挙に出た動機ですが、ではどうするんだと考えたときに、その姿が全国的にも見えてきていると思います。私の進めた区政の基本方向は間違っていなかったなという印象を自分で持っています。 最近の「朝日」の若手議員へのアンケートで「モデルとするような国がありますか」という質問に、自民党はアメリカなんかをあげていた人もいましたが、民主党はドイツ、イギリス、スウェーデン、社民党の人はスウェーデン、デンマークがめだっていましたね。共産党は小池議員がスウェーデンをあげていました。少子化対策で坂口厚生労働大臣もスウェーデン視察にいっているくらいですから。 10年前はあんな高福祉、高負担をやっていたら、経済は駄目になるなんていっていましたが、なんのことはない。低福祉高負担の日本が駄目になって、むしろ、経済成長も確保しながら、福祉を充実させて、しかも少子化にも歯止めをかけているスウェーデンのモデルがよいと言われ出している時代です。 秋田の鷹巣町は小さいところですけど、デンマークの経験を参考にしながら、まちづくりをすすめています。あちこちでそういう動きが出てきており、これから大きい流れになっていくんではないかと思います。
吉田 そうですね。特に医療だとか福祉の実情をみてみようというのが動機でしたね。一番印象が強かったのは、やはり民主主義の土壌の違いなんですよ。 鷹巣町の映画をみると、デンマークの福祉の充実は、実は住民参加と民主主義の土壌の上にある。これをきちんとつくらないかぎりは、福祉の水準は上がっていかないということを岩川町長は見事に喝破している。そこが、町長の一番すぐれたところだと思いますね。長野の田中康夫さんもそこをしっかりととらえている。上からの善政とは違うのです。
吉田 例えば、住区センターの運営方法などはまだまだ改善できると思います。やはり、地域の力をつけさせていくことがないと、本物になりません。 スウェーデンやデンマークでもやっていることなんですが、地域のコーディネーターとして職員をきちんと配置して、自主的にそういうところが運営できるように援助する人的な体制も考えないと駄目かなと思います。区民事務所の所長が、片手間にではなく、きちんとした位置付け、予算付けをして、そういう仕組みをつくらないといけないと思いますね。 どうしても、今までの政党の枠組みだけでいうと、トップが革新首長になって上からいい政策をやってあげるというパターンなんですね。私はもう一歩進めて、住民がきちんと参加できる仕組みを作って、試行錯誤をしながらでも、住民自身が自己統治能力をつけていくことがなければ本物にはならない、いい首長さんがいなくなれば結局昔に戻っていくことになると思うんです。
吉田 とにかく、投票率がなかなか50%を超えないでしょう。区長選挙で盛りあがっても50%くらいですからね。ですから「関係ないや」と思っている人も多いんですね。都心に働きに行って、寝るだけに帰ってきたりという人もいますし、特に若い世代の人は区政といってもピンときていないんですよね。せいぜい住民票を取りに行く時くらいの付き合いなんです。 でも、結婚して子どもができたりすると、母親教室だとか子どもの検診だとか保育園をどうするかとかいう問題が出てきますし、学校の問題も出てきます。子どもを通じて親同士も一緒に少年野球をやったりすることになると、だんだん地域のコミュニティを意識してきますし、行政との関わりも否応なしに出てきます。 今の教育には主権者としての教育が希薄で、行政というとお上という意識が強く残っていますから、これが変わるには暫く時間がかかると思いますが、まさに区政そのものを住民自身の主権者としての経験の場にしなければと思います。
吉田 1975年に卒業しまして、歯科医師を25年以上やってきています。僕が、大学に入ったのが1968年で、大学紛争の真っ盛りでした。私の世代だとデモに行ったことのない人なんてあまりいないんではないでしょうか。北海道大学の教養部の自治会の委員長をやったこともあります。歯科医師になってからも、政治には関心をもってきました。 1975年に太田病院の歯科に入って、途中で、八丈島の診療所をつくったこともありましたけれども、いよいよ健和会で歯科をつくるというので、誰かいないかということで私が手をあげたんです。 父親が戦前から足立と関係が深かったこともあります。綾瀬新橋の脇に空き地がありますが、あそこにあった「鉄道機器」という会社で、戦中、戦後にかけて働いていました。1983年に、健和会で最初の歯科である蒲原歯科診療所を開設し、所長となりました。ちょうどみさと健和病院ができた年です。 小さい診療所ですから、経営問題で大分苦労をしました。小規模の中で若手を育てるわけですから、一人歯科医師を抱えるとすぐ影響が出るような大変さがありました。でも、健和会の場合は、東京都で第1号の訪問看護ステーションだとか、地域に根ざした寝たきり老人の取り組みだとかを積極的に展開していたところですから、恵まれていた点がありましたね。 歯科でも、来る患者さんを待っていて治療するだけの従来の歯科からもうひとつ脱皮して、地域に出ていく、それから本当にかかりたくてもかかれない人のところまで目を向けた歯科医療をするという点で、新しい分野を切り開くことができました。柳原での蓄積、活動に刺激を受けて、やれた部分は大きいんではないかと思います。
吉田 ほとんどなかった時代です。民医連でもせいぜい、頼まれるといくというくらいでしたね。それに、全身疾患のある患者さんだとか、在宅の人というのは、普通の開業医では断られてしまうんです。極端な話、肝炎ですら断られてしまう。 そういう分野は、医療機関と連携の取りやすい私たちのようなところが、昔から積極的に取り組んでいたんですけど、頼まれればいくという段階から、患者さんの人権を守る重要な分野として確立していたことが重要だと思います。いいかえれば、ボランティアの時代から、きちんとした仕事として在宅の歯科医療が成り立ってきたのは、1992〜93年だと思います。 その後、健和会の歯科が発信基地になって、全国の方針にもなっていったんですね。頼まれればいくという往診はどこもやっているんだけれども、それをきちんと仕事の領域として継続的に維持発展できるようにしようよと、往診チームをつくったり、だんだん方針に普遍化されていったんです。そうすると、収入の一定部分を在宅の歯科医療の分野が占めるという構造になっていき、医療経営上も不可欠の分野になっているんですよね。
吉田 苦労もありましたが、若手にきちんと仕事をしてもらうような体制をつくってきました。それは単に医療技術上のことではないんです。人間集団が一緒に仕事をしていく上のまとめ役だとか、医療の理念の問題が大きいんですね。 医者の教育というのは、技術的にきちっとしていなければいけないのは大前提ですが、もうひとつは、患者の人権を本当に守っていくとか、医師としての理念のようなものが必要です、両面がバランスがとれていないと駄目なんですね。これが、今後若手が力をつけていく上で課題になるかなと思うんです。 技術は目に見えやすいですが、もう一歩先に行くと患者の捉え方だとか医療思想のようなものが必要になりますね。 これはひとつひとつの症例、事例を大事にして、そういうことを通じて身についていくものでしょうね。例えば、歯をあまり良く磨かない人にいくらいい治療をやったって結局駄目だというのも一面は正しいんですよ。でも、実際には治療をしながら患者さんが徐々に変わっていく面もあるんですよ。そういうことを日常的に悩みながらやっているというのが現実なんではないだろうかと思います。
吉田 そうです。ただ、区長の経験というのは想像以上に大きくて、区政にはずっと関心を持ち続けてきたし、スウェーデンとかデンマークの視察に行きましたけれども、今まで医療機関で働いていて行ったのとは違った面が見えてきました。モチベーションが違っているのが大きいと思いましたね。相当違う目でいろんなことが見えるようになってきました。
吉田 まずは、みんなで一致できる基本政策のすり合わせをして、つくりあげることが必要ですね。今診ている患者さんもいるものですから、すぐに診療を完全にやめるわけにはいきませんが、区長選に向けた活動の方に大きく軸足を移していくことになると思います。
吉田 人生いろいろなことが起こりますから、問題意識をもって仕事も勉強もしていってほしいですね。そして、本当に安心して暮らせるまちをつくるために、健和会グループのようなところで頑張っているわけですから、一緒に力を合わせて政治も変えていってもらいたいと思います。 今までは、医療・福祉の問題は医療・福祉の問題としてあって、他方に政治の問題があったんですね。ところが今の時代は、すごくそういうものが接近してきていると思うんですね。 よく例にあげるんですが、介護保険開始に向けて、24時間介護サービスを区内全域でやろうとした時に、それをやるためには予算付けをきちっとやらないと駄目なんですね。首長がどういう姿勢でいるかということはすごく大事なことなんです。同時に、地域でそういう実践をやっている人がいないと成り立たないんですね。両面ないと成り立ちません。 いい首長さんさえいればうまくいくわけではなく、実際に地域の草の根で頑張っている人たちがいて初めてうまくいくんです。最近では全国の自治体で「協働のまちづくり」がはやり言葉のようになっています。両方が組み合わさった時に区民のための施策が前進するということを実感しましたね。 ですから、そういう意味では、地域で頑張って医療、介護の仕事をしていることが、自分たちの目の前の患者さん、利用者さんに喜ばれるというだけではなくて、区民全体にとっても非常に大事になってきている時代ではないかと思います。
吉田 少し太ったねとか、やせた方がいいんではないか、とか言われますので、時間をみてストレッチ体操を続けるようにしています。それに、もともと頭の切り換えは早い方ですから。
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