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ひとこえ万三

16年7月28日

2016年都知事選 たたかいは続く 16年7月28日

細川氏出馬に惑わされずに宇都宮勝利を訴える 14年1月22日

最後のギリギリまで宇都宮けんじ 12年12月12日 大震災・原発事故の中での区長選を終えて 11年5月20日
2011年足立区長選挙への立候補にあたって 11年4月20日 このままだと134年以上かかるぞ 10年6月24日
「大連立」がダメなら「政界再編」か 07年11月 8日 「シッコ」の示す近未来 07年 9月10日
2007年猛暑の夏 07年 8月30日 新しい一歩とは何か 07年 8月1日
参院選で何を問うのか 07年 7月 2日 フランス大統領選挙と足立区長選挙 07年 5月 8日
次につながる戦い・2007都知事選を終えて 07年 4月11日 いよいよ都知事選本番に突入 07年 3月21日
都知事選、構図固まる 07年 3月 6日 風向きは変えるのだ! 07年 2/16日
頑張れ!そのまんま東さん 07年1月28日 リアルなもの 07年 1月16日
亥年はユサユサ・グラグラでおめでとうございます 07年 1月 3日 子どもの頃の悩み 06年12月12日
「虚像」対「まんぞー」 06年11月30日 イス取りゲームに再チャレンジ? 06年11月17日
格差社会型教育 06年11月10日 グーグルアース 06年10月30日
すべての都民のみなさんに 06年10月24日 コンフィデンス・自信 06年10月 3日
危険な兆候・三連発 06年 8月21日 国民に経済制裁? 06年 7月11日
「ガセネタ」国家 06年 3月 9日 2006年はめざせ金八先生 06年 1月12日
次は医療と農業? 05年12月 9日 構造的欠陥上の私たち 05年11月24日
靖国参拝と世界の常識 05年10月21日 負けるな!やせガエル 05年 9月23日
9・11パート2=小泉自民党大勝 05年 9月14日 「国会解散」の本当の目的 05年 8月22日
同窓会の季節 05年 8月 5日 新しい芽が 05年 6月27日
鉄道も介護も安心第一だ! 05年 5月13日 裸のサルと衣じらみ 05年 4月25日
金持長生・庶民早死 05年 3月21日 『パッチギ!』を見て思う 05年 2月16日
2005年は手遅れにならないうちに 05年 1月11日 救急車が危ない!! 04年12月 8日
災害への支援の始まり 04年11月17日 地域密着・ファンサービス 04年10月 5日
歯グキが腫れた 04年 9月15日 オリンピックの見え方 04年 8月25日
新たな戦略の必要 04年 7月14日 曲がり角に立つ日本 04年 7月 1日
身体の抵抗力 04年 6月 2日 喰わせもの 04年 5月15日
危険なリーダー 04年 4月19日 劣化ウラン弾の罪悪 04年 4月 1日
政治活動は良いことだ! 04年 3月 7日 人間使い捨て計画 04年 2月18日
共産党大会 04年 1月26日 2004年・わが家の正月 04年 1月26日
2004年・わが家の正月 04年 1月10日 新年おめでとうございます・2004年 04年 1月 3日
今の政治は「非礼である!」 03年11月 5日 トカゲの尻尾どころじゃない! 03年10月21日
第1、第2の自民党の違いを選択? 03年10月14日日 テロ容認発言のもつ深刻さ 03年 9月24日
コロンブスと桃太郎 03年 9月10日 これからどうする阪神タイガース 03年 8月 3日
日本の最先端はどこ? 03年07月20日 組織力の違い 03年 7月 8日
今後につながる「くらし第一こそ…」の政策 03年 6月23日 勇気をもって歩き始めよう 03年 5月19日
いよいよ決戦の時! 03年 5月10日 公開討論会から逃走した区長 03年 5月 7日
足立区は吉田万三が変える! 03年 4月21日 「くらし第一」こそ景気回復のカギ 03年 4月 8日
「戦争NO!」の高校生は日本の希望だ 03年 3月25日 ますます「今こそ平和を!」の声を 03年 3月20日
誰が足立区の財政を悪化させたのか 03年 3月13日 3月3日はひなまつり 03年 3月 4日
全世界の声で、戦争にNO!を 03年 2月20日 綾瀬新橋と父の思い出 03年 2月14日
桜の樹の下には 03年 2月 5日 元気のない人たち 03年 2月 1日
阪神・淡路大震災から丸8年 03年 1月23日 新成人に贈るささやかなプレゼント 03年 1月17日
2003年はモーツァルトの心で 03年 1月 8日 いよいよ今年は本番の「ハイシャ復活」だ! 03年 1月 1日
おいしい公共事業のカラクリ 02年12月21日 大前提の抜けている「税制改正」 02年12月15日
みんなで考えよう!旧区役所跡利用 02年12月 8日 燃料電池乗用車開発のもつ意味 02年12月 3日
「民の声リンガル」? 02年11月26日 株価最安値と竹中大臣の言い訳 02年11月20日
刑務所について考えた 02年11月14日 イラク攻撃に「NO!」と言えない日本 02年11月 8日
直前になって、公聴会のお知らせとは! 02年11月 2日 日本の選挙結果とブラジルの選挙結果 02年10月29日
要注意!!足立区の「憲法改正」? 02年10月21日 都庁展望室で「カジノ」だって! 02年10月15日
ノーベル賞で自信回復だ! 02年10月12日 株価暴落、田島陽子、そういえば大橋巨泉 02年10月 8日
小泉改造内閣が発足したら、台風が来た! 02年10月 2日 テレビ番組は社会の縮図? 02年 9月30日
都心の高層ビルと足立区 02年 9月26日 歳はとりたくない?10月から大変だ! 02年 9月21日
日朝関係「本物の謝罪vs本物の反省」からこそ 02年 9月18日 東京電力だけか?トラブル隠し 02年 9月16日
9月11日を平和の日に 02年 9月12日 田中康夫さん「しなやか」の勝利 02年 9月 9日

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16年7月28日 2016年都知事選 たたかいは続く

 都知事選も大混戦・大激戦のまま最終盤をむかえている。週刊誌を使った悪質なネガティブキャンペーン、その雑誌の見出しだけが目立つ新聞広告など、くりかえし鳥越候補追い落としの攻撃が目立つ。まだ誰も勝利を確信できない状況だからである。

 7月の参院選では2つの注目すべき特徴があった。ひとつは、32の1人区で野党共闘が成立し、その内11の選挙区で野党が勝利したことである。数だけ見ると微妙だが、今後につながるこの結果は安倍政権にも衝撃を与えている。

 2つ目は、今回から18歳以上が投票することになったが、その結果である。今、20歳台〜30歳台の若年層が、非正規労働や高い学費などでもっとも困難な暮らしを余儀なくされていると言われている。そしてその若い世代の50%は自民党に投票したという。

 私が聞いた範囲では、「野党は批判ばかりしている」「民主党も自民党とあまり変わらなかったので、それなら自民党」「中国がのさばってきているのでガツンとやった方がよい」などがその理由だ。みんなどこかで聞いたことのあるものだ。かれらの多くは新聞などは読まない。ニュースといえばスマホに流れてくる、ほとんど見出しだけのヘッドラインニュースくらいである。それでも舛添さんのことがあって、少しは政治のことが話題になるようになったそうだ。

 かれらは今の生活に満足しているわけではない。むしろ息苦しさや閉塞感を感じている。しかし、彼らの感覚からすると、「憲法守れ」という声は、今の苦しい現状を含めて何も変えようとしない「現状維持」のように聞こえるようだ。「憲法などブッ飛ばして、中国や北朝鮮をギャフンといわせる!」なんて言ってる人のほうが、現状打破してくれそうに見えるのである。日本版トランプ現象だ。

 ちなみに、インターネットの世界では、いち早く無料配信に踏み切った産経新聞ニュースが圧倒的なシェアを占めているそうである。

 都知事選はあと2日だが、その後もまだまだきびしい攻防は続く。鳥越氏の勝利に向けたたたかいの意味は大きい。

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14年1月22日 細川氏出馬に惑わされずに宇都宮勝利を訴える

 細川元首相が小泉元首相と組んで都知事選に出馬するという。ここ数日のマスコミ報道も舛添vs細川という世論誘導と思えるような調子が目立つ。さっそく菅直人氏などが反応したが、「細川氏への合流」などと言いだす人もいるので、私の見解を表明し、宇都宮勝利を訴える。

 大急ぎの意見なので、要点をしぼって述べることにする。

(1)本気で脱原発をめざすなら宇都宮健児

 「一本化」を主張する人は、何故まず細川氏より先に手を挙げている「宇都宮氏への合流」を提言しないのか。現時点での知名度では細川氏が上回っているということが大きな理由なのだろう。

 宇都宮選対は「公開討論会」を提案したが、案の定細川氏側は受けようとはしない。それだけではなく、青年会議所の公開討論会をはじめオープンな場所での討論会に細川氏も舛添氏もあれこれ理由をつけて極力出てこようとしない。

 同じ「脱原発」の看板を出していても、その中身を広く都民に知ってもらうことより、あまり関心が高まらないままの人気投票で「知名度の高い候補が逃げ切り」を狙っていることは明白である。政策論争などになって化けの皮がはがれることを恐れているのだ。

(2)変革の立場か、評論家の立場か

 私は、細川氏出馬の背景にある最大の要因のひとつは、昨年とくに秋以降の国民の様々な運動の高揚とりわけ「脱原発」「反TPP」につづく「特定秘密保護法に反対する運動」の急速な広がりがあると思う。

 暴走する安倍政権であるが、1年前の総選挙で実は得票はほとんど伸びていない。民主党が自滅し、小選挙区制のマジックで大勝したにすぎない。

 無党派層はもちろん保守層の中でも脱原発派は多く、安倍政権の暴走を心配する部分も水面下では広く存在している。(小泉氏もそのことを、独特の嗅覚でとらえているに違いない)

 夏の参院選では、5人区の東京で明確な脱原発の候補が2人当選している。要するに、舛添だけでは勝利を確信できないのだ。このままでは脱原発の票がかなり宇都宮に流れる危険もあるからこそ、多少のプラス・マイナスがあったとしても保守系脱原発候補が必要だったのではないか。

 裏を返せば、逆にそこに宇都宮当選の可能性もあるということである。ちなみに現時点での知名度では、舛添・細川・宇都宮の順のようだが、若い年齢層では、舛添・宇都宮の順で細川は意外と低いようだ。

 しかし、私たちは評論家や予想屋ではない。私たちの主体的な活動でこれを変えようと立ち上がっている。知名度アップだけではない。都政の転換とあわせて、「安倍政権の暴走にストップをかけることのできるのは宇都宮しかいない」と東京の各地で戦いが開始されている。

(3)最悪のコラボレーション

 徳洲会からの5千万円の裏金疑惑でやめた猪瀬前知事の後釜に、20年前とはいえ佐川急便からの1億円の裏金疑惑で首相をやめた細川氏が出てきたのでは、いくらなんでもめぐりあわせが悪すぎると私は思う。

 ところで1年前「宇都宮選対」で活動した弁護士の澤藤氏がそのブログで「宇都宮やめろ」と繰り返している。澤藤氏の発言についての私の見解は、別の機会にていねいに発言したいと思うが、1年前の宇都宮選対の様々な弱点の指摘にとどまらず、このことを的確に処理できなかった大きな責任は宇都宮氏にもあるとして、「そもそも宇都宮氏は大した人ではないから都知事なんかはとても無理」とまでエスカレートしている。

 個人的には、澤藤氏の胸中察するものもあるが、憤激のあまり「運動の前進にとってもっとも大切にしなければならないものは何か」を見失ってしまったご意見と「細川氏への合流を」がくっつけば、事ここに至って、宇都宮氏の勝利めざして立ち上がっている多くの都民の足を後ろから引っ張ることになるのは目に見えている。

(4)結論を急ぐ

 個人的な怒りは今しばらく抑え、評論家的な推測もしばらく置いて、宇都宮勝利に向けて力を合わせることを訴えるものである。


 1月19日のある講演会・集会の席で、澤藤氏と私にそれぞれ10分ずつ発言の機会が与えられました。その後澤藤氏のブログに一部紹介されたこともあって、どのような発言だったのかと聞かれることもあり、あらためて私の訴えを紹介しました。

 ここに載せた「訴え」は、当日の参加者に配布した1月15日付けの私の訴えから、個人名など一部削除し、一部加筆修正したものです。

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12年12月12日 最後のギリギリまで宇都宮けんじ

 12月16日は東京都知事選の投票日であると同時に衆院選の投票日でもある。

 あと数日、選挙戦最終盤でわたしも、宇都宮けんじさんの勝利をめざしてがんばっている。

 日に日に名前は浸透しつつあるが、まだまだ名前を知らない人も多い。ギリギリまで、対話活動でどれだけ名前を知ってもらえるかどうかが、勝負の分かれ目かもしれない。

 対する石原氏の後継・猪瀬氏は「寝たふり」戦術のようだ。あまり選挙への関心が盛り上がらず、都知事選は衆院選の陰で霞んでくれれば、相対的に知名度もあるので、自民・公明などの組織票を固めて逃げ切りという訳だ。

 威張りくさった態度だけでなく、そんな選挙戦術まで石原氏を真似ている、立派な後継者である。

 何故か選挙が近づくと、恒例のように発射される北朝鮮のミサイルもさることながら、「国防軍」だの「核武装」だの「憲法改正」などが堂々と口に出される昨今、「原発ゼロ」「憲法擁護」を明確に主張する宇都宮けんじさんを擁立した都知事選挙は、一昔前の「社共共闘」型とも違う、新しい国民的共同の方向を指し示している選挙と言えるのではないだろうか。

 新しい時代に向かっての歩みが始まっている。最後の最後まで力を出しきろうではありませんか。

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11年 5月20日 大震災・原発事故の中での区長選を終えて

 私、吉田万三は、5月15日投票の足立区長選挙で残念ながら当選できませんでした。ご支持、ご支援していただいた区民の皆様をはじめ、多くの団体及び個人の方々に力不足をお詫びするとともに、あらためて厚く御礼申し上げます。

 結果は、

近藤やよい 191554票
吉田万三   53731票

と、近藤現区長の圧勝となりました。私の得票は有効投票の約20%です。

 今回の区長選は、東日本大震災とそれに続く福島原発での事故という大きな出来事の最中の選挙でもあり、国のあり方とともにそれぞれの住民にとっての自治体のあり方も問い直されるいい機会でした。しかし、自粛ムードや先の見えない不況の中ということもあり、区民の関心も今ひとつ盛り上がらないままに終わったという印象です。

 勝ち負けはともかく、この機会にいろいろとかみ合った議論があれば、と思っていましたが、青年会議所主催の公開討論会も流れてしまいました。確かに自民・公明の厚い支持基盤をガッチリ固めれば勝ちが保障されているのに、わざわざ人前に出て、追及されたり、ボロを出したりする可能性のあることは極力避けるのが、「勝ち」を最優先するなら当然かもしれませんね。

 現区長は石原都知事を真似たのか、公務優先ということで街頭にはほとんど顔を出さず、夜な夜な身内の集会をこまめに回ったとお聞きしました。

 とはいえ、私が訴えた公約・政策は、必ずこれからの足立区にとって意味のある提言になったものと確信しています。

 私のメインスローガンは「脱原発・子どもを守ろう」「不況と大震災に負けない元気な町を」などでした。とくに「自然エネルギーへの転換」は実際に進めようとすれば、私たちの足元から始めなくてはならないことです。

 近藤区長をはじめ区長選と同時に行われた区議選でも、自民、公明、民主の区議候補で原発問題にふれた候補は誰一人いませんでした。どうも「原発問題や不況打開というテーマは、基本的には国の仕事ですから」というスタンスのようです。

 政策的にも、国の政策や基本方針の枠内で、という意識が強く、「くらし・福祉・子育て支援」でも「防災」という課題でも、まず第一に自己責任が強調されますし、せいぜいその延長線上の地域での「共助」です。

 私は、今回の大震災でも明らかになったように、地域社会のお互いが助け合い、支えあう力と行政の公的責任が車の両輪としてしっかり機能することが大事、という立場です。どちらかが不十分であっても、うまくいきません。

 人間はいちいち他人に言われなくても、普段は自力だったり、助け合ったりしながら生きています。「自己責任」論者の特徴は、人が困った時に限って「自己責任」を言い出します。そこが違うのです。困った時は「助け合い」でしょう。

 いろいろと基本的な考え方の違いはあるにしても、今後も続く放射能汚染対策や地域経済の活性化などの課題では、立場を越えて知恵を出し合わなければ、と思います。

 また「認可保育園の増設」や「医療・介護の充実」など区民の切実な要求については、引き続き住民の運動と協力して実現をめざしていきたいと思います。

 今、時代は動こうとしています。新しい時代に足を踏み出すのは、勇気のいることです。

 「焦らず、あわてず、たじろがず」、一歩でも二歩でも足立区が良い区になるように、これからも力を合わせていきましょう。

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11年 4月20日 2011年足立区長選挙への立候補にあたって

 私の足立区長選立候補へ背中を押したのは、今回の3月11日に起きた東日本大震災でした。

 地震と津波による被害も未曽有のものでしたが、同時に起こった福島原発の事故は、天災によって誘発されたとはいえ、明らかな人災です。これから長期にわたって、私達の生活に影響が及ぶことになります。

 この様な危険な原発推進、原発依存政策はやめなくてはなりません。「脱原発」は今多くの人々の共通の認識になりつつあります。私はこの足立から「脱原発」で様々な垣根をこえた大きな共同の流れをつくり出し、その先頭に立ちます。

 原発事故による放射能汚染は、とくに妊婦や子ども達に大きな影響を与えます。子ども達のいのちを守ることは、日本の未来を守ることでもあります。

 原発事故をはじめ今回の大震災は現在も進行中ですが、そのさなかに行なわれる区長選は、単なる4年に一度の選挙ではありません。区民が真剣に足立区の将来、日本という国のあり方を考えるいい機会とも言えます。区民の前で活発な議論が闘わされることは、誰が勝利するかに関わらず、必ずや次の区政に生かされるものと確信します。

 おりしも日本は超高齢社会を迎えようとしています。2025年から2030年頃には高齢化がピークに達すると言われております。とりわけ大都市部にそれは集中しており、この東京でも高齢化人口は100万〜150万の増加が予想されています。区民が安心して老後を迎えられる体制をしっかりつくることも、まったなしの課題です。また、一時的に大震災の影に隠れたように見られる不況への対策も急がれています。

 子育てから高齢者まで、経済対策も含めて大きな政治的転換のビジョンが求められているときです。足立区のリーダーには、今こそこの大きなビジョンを示す力とこの転換をやり遂げる強い意志が求められています。

 私はこの様な立場から「足立革新区政をつくる会」と政策協定を結び、新しい時代にふさわしい足立区を目指して、全力で区長選をたたかう決意を固めました。改めて、多くの区民の皆様からのご支援、ご協力をよろしくお願い致します。

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10年 6月24日 このままだと134年以上かかるぞ

 久々の「ひとこえ」だけれど、世の中の動きはまことに速い。昨年の政権交代、アッという間の鳩山首相の迷走と退陣、それで今度は菅内閣の発足だ。

 しかし菅直人には本当にガッカリした。就任早々、普天間基地の問題で「日米合意を尊重する」と発言。さらに消費税の増税まで言い出した。彼は自民党の総理大臣でも十分に通用する器であることを示している。

 自民党も民主党も大して変わらないとも言えるけれど、やっぱり本気で日本を変えようと思ったら、菅直人や民主党くらいではどうにもならないのだろう。

 何が問題かと言えば、一番の本質に切り込めるかどうか、なのだ。共産党のよく言う「アメリカにも財界にもキッパリものが言えるかどうか」ということだ。

 私は5月に沖縄に行って来たが、そこでいろいろ考えた。戦後65年経った現在、日本には米軍基地が134ヵ所存在している。その約75%が沖縄にある。

 9万人を超える県民大会をはじめ、鳩山首相の迷走のおかげもあって、最近では多くの国民も「沖縄も大変ねー」くらいまでは思うようになった。しかしマスコミは「基地撤去」ではなく、「移設問題」などと言って世論を誘導している。

 この米軍基地は最終的にはどうなるのだろうか。永遠に実質上の占領状態を続けるのか。それともいずれの日にか本国に帰ってもらって、ゼロの日を迎えるのか。

 冷戦が終わり、旧ソ連が消滅し、あれほど力説していた脅威はかなり減ったはずなのに、あれこれ新たな脅威などと屁理屈をつけて米軍基地はそのまま減らなかった。

 134ヵ所の米軍基地を1年に1ヵ所ずつ撤去していくと、134年かかる。10年に1ヵ所ずつだと1300年以上になってしまう。

 1945年、戦争でアメリカに負けたからといって、その後基地の移設やたらい回しをくりかえし、200年も300年も実質上の占領を許しておくような国は、将来確実に「世界史」の教科書にとりあげられて、世界中の笑いものになるのではないか。

 1945年と言えば、1868年の明治維新から約80年後のことである。NHK大河ドラマで坂本龍馬を見て喜んでいる場合ではない。私たちは、沖縄の人たちから「あなたたち日本国民はそれでいいのか!?」と言われているのだ。

 今必要なことは、ゼロというゴールに向かって、一歩でも二歩でも前に進める努力ではないか。

 医者が患者さんを診る時も、必ずその病気の原因を考え、自分のおこなう治療が最終的にはどの辺りのゴールになるのかを意識しながら診療にあたるものである。目先の対症療法ばかりをくり返すのは「ヤブ医者」と呼ばれる。

 日本にはヤブ医者みたいな政治家が多すぎる。本質を「ズバッ」と言う政治家は「またまた現実離れした理想論ばかり言ってる」などと揶揄されることも多々あるが、今の日本に本質を「ズバッ」と言う政治家が一人も居なくなったら、それこそ大変ではないか。

 ということで、参院選も始まったけれど、私は「小池あきら後援会」や「小池あきらの勝手連」でがんばっています。

 もちろん、沖縄で起ち上がった大学の後輩の「伊集唯行さん」も応援しています。

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07年11月 8日 「大連立」がダメなら「政界再編」か

 最近、少々のニュースでは驚かなくなった。なにしろ夏の参院選後はあきれるようなことが続く。

 安倍首相が突然政権を放り出して、日本中しばらく「開いた口がふさがらない」状態になったと思ったら、その後福田首相が登場。すると今度は、自民・民主の党首会談で「大連立」の相談が始まり、うまく行きそうもないので、民主党小沢党首が辞任だ、それをまた慰留だ、と言う。

 きっとアメリカあたりの圧力もあったのだろうが、民意を忘れては、いかなる談合もうまくはいかないのだ。しかし民意はやっかいで、小沢氏も簡単には引っ込みがつかない。

 私はこのドサクサで「二大政党」の化けの皮がはがれ始めたと感じた。とにかく衆参のねじれ現象を解消しようとしたら、一本釣りも含めて「大連立」か「政界再編」くらいしか考えられない。

 仮に総選挙で自・公が勝っても、今のままでは参院での力関係は少なくとも3年は変わらない。民意の圧力を受けたままで民主が総選挙で勝ったとしたら、もっとやりにくくなってしまうと思う人がいても不思議ではない。

 「大連立」が無理なら早く総選挙をやって、どっちが勝ってもさっさと「政界再編」してしまう方が、一挙に参院での力関係も変えることができる。

 こんな一石二鳥のためなら、多少の妥協など大したことではない。あとはタイミングとそれなりの理由づけがあればよい。選挙のあとに必ず次がある!

 つまりどっちが勝っても、根本のところは何も変わらないのだ。しばらく止まっていた「憲法調査会」も早速動き出すという。

 だからこそ、この根本の転換を図るために、憲法9条と憲法25条で一致する勢力が力を合わせる時ではないか、と私は思う。

 明らかに参院選後、風向きは変わってきている。

 私はこれまでも機会があると「食糧自給率と日本の安全保障」や「くらしの安心」などを語ることはあったが、これは単に「なんとかしなければ」というテーマではない。今こそこの9条と25条が、日本再生の基本方針として大きな力を発揮する時である。

 総選挙は案外近いのではないか。

 ところで、共産党は現実の力量に合わせて、比例区中心に戦う方針らしい。

 東京新聞では色々シミュレーションまで出していたが、私のまわりでも「今度は黙って民主党に投票することになったんですね」と好意的に話しかけてくる人や「選択肢が二つしかないなんて」とちょっぴり残念がる人や色々だ。

 私は共産党の代表でもないので、そんなこと言われても困惑するばかりだが、総選挙の主戦場は小選挙区制の選挙区ではないか。

 その主戦場でどう戦うかを語らない方針を見て、少々拍子抜けしているのだ。

 親共派とか反共派とかあるのかもしれないけれど、若い世代はきっと「でもそんなの関係ない!」と言うに違いない。

 話は変わるが、老舗の看板を守らなければ、といくら思っていても、実態がともなわなければ意味がない。

 古い餅や古いあんこにいつまでもこだわらず、新しい気持ちで「赤福」にも「御福餅」にも頑張ってほしいと思っている。

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07年 9月10日 「シッコ」の示す近未来

 週刊東洋経済が「老後不安大国」という特集をだしている。副題は「小さすぎる福祉国家の現実」だ。

 在宅介護、高齢者医療、療養病床の削減、年金、住まいの問題など、大変充実した特集になっている。現実を直視すれば、現状の告発にならざるをえない内容である。

 「構造改革」だの「グローバル化」だの美辞麗句の下で、結局アメリカ型への道を突き進んできた結果がこれなのだ。

 現在公開中のマイケル・ムーア監督の映画『シッコ(SiCKO)』は、アメリカの医療の実態とその行き着く先をよく示している。9.11で活躍した救急隊員は後遺症で窮地に立たされ、大もうけする保険会社が医療を支配する国である。

 「シッコ」とは「ほとんどビョーキ」という皮肉がこめられた俗語だそうだ。「百聞は一見に如かず」というが、ぜひ多くの人に観てもらいたい映画である。

 日本も「病気になったら自己責任!」という国になりかかっているのだ。

 来年度からは「後期高齢者医療制度」が始まろうとしている。75歳以上の高齢者はこれから保険の本人になり、保険料は年金から天引きされることになる。

 年金額が年額18万円未満の人は天引きしないそうだが、年額18万円と言えば月額1万5千円未満ということだから、これで天引きしたらほとんど無くなってしまう。

 しかも70歳から74歳までの医療費の自己負担も2割になる。こんなトンデモナイ制度はただちに撤回しろ!と私たちは要求している。

 来年からは「歳をとったのも自己責任!」ということか。

 世界第2位の軍事予算を誇るわが日本は、「テポドンが飛んでくるかもしれない」とか、「ミサイル防衛システム」とか言って、懸命に何かを守ろうとしているようだが、すでに国民は守られていないのだ。

 だいたい「イザという時」になったら、この国は満州に人間を置き去りにして逃げてしまった過去の実績まであるのだから、アテにはできない。

 ミサイルで攻撃される確率より病気になる確率の方が余程高い。歳をとる確率ときたら100%である。

 私としては、テポドンの方は当面竹槍等の準備により自己責任でやるので、医療や介護の安全保障を優先してほしいと思っている。

 費用対効果からいっても、はるかに有効なはずである。

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07年 8月30日 2007年猛暑の夏

 今年の夏は文字どおりの猛暑だった。史上最高の40.9℃にも驚いたが、東京も相当なものだった。

 40℃前後ということは、ずっとお風呂に入っているか、病気の高熱でうなされている状態だ。体温より気温の方が高いのだから、服など脱ぐと余計暑くなるということだ。もっと暑い砂漠の遊牧民がガウンをまとうのも、そういうことらしい。

 ところで今年の夏は暑さもさることながら、どこか世の中の風向きも変わってきているような気がする。

 テレビでは「はだしのゲン」や「水木しげるの玉砕」などが放映されていたし、映画「夕凪の街・桜の国」も評判になった。

 いつもの8月6日や8月15日と少し違っている気がするのだ。参院選での安倍政権の大敗の影響もあるのだろう。「戦争の実態や憲法9条の大切さにあらためて目を向けよう」そんな気持ちが、静かに浸みこむように日本中に広がってきているのではないだろうか。

 先日、都知事選挙でお世話になった葛飾区選出の元共産党都議団長の木村陽治さんから本をいただいた。「都知事選ウロウロ日誌 万三事務所におまけがひとり」(かもがわ出版)という本だ。

 選挙戦のいろいろな場面がいきいきとよみがえってくるようで、推薦のコメントを書かせてもらった。

 私がいちばん強調したのは、選挙を4年に一度のイベントにしてはいけないということだ。立場も違えば物事の見え方も違うのは当然だが、そうであってもそれぞれが語り合うことこそ次への第一歩になるのだ。

 戦いに勝ち負けはあるけれど、語り合うことのできない戦いほどむなしいものはない。

 私のホームページの掲示板でも、さまざまな意見が自由に飛び交って、中には「この掲示板の趣旨と違う!」なんて意見もあったけれど、私は自由に飛び交うことにむしろ肯定的なのだ。

 匿名のもつ無責任さの問題などいろいろ課題はあると思うが、インターネットの最大の特質は、組織や肩書きとは関係なく、そこに参加する一人一人が平等に一人の意見を表明できることだ。

 「真理の前に万人は平等である」という科学思想や「それでも地球は回っている」と言ったガリレオを持ち出すまでもなく、誰が何を言おうと、たとえ変な人や性格の悪い人が口にする意見でも、「正しいことは正しい」のである。

 インターネット時代は、さまざまな組織のあり方を根底から変えさせるかもしれないと思う。今まで黙っていた人まで討論に参加できるのだ。

 自由な討論こそ、民主主義の最大の活力源なのである。

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07年 8月 1日 新しい一歩とは何か

 2007年の参院選が終わった。自民党は大敗、民主党が大勝し参院第一党、という結果になった。

 テレビでは、今後の政局やタレント候補の話題ばかりが目につくが、大事なことは、この結果が、これからの日本の将来や私たちの暮らしを良くすることに、どうつながっていくのかである。

 年金問題や増税、事務所費不正への庶民の怒りが背景にあったことは間違いない。憲法9条を変えることへの不安や閣僚の数々の暴言への批判もあった。

 また、ペラペラと紋切り型の言い訳をしゃべり続ける、おぼっちゃま首相への失望感もあった。「自民党は大負けして、早く安倍を替えた方がいい」という自民党支持者もいたくらいだ。

 この変化は、これまで続いてきた自公政権による「痛みを実感!」させる政治に、国民がNO!をつきつけたという意味で、新たな第一歩である。

 しかし見方を変えれば、その批判の受け皿に民主党がなったということで、これは保守二大政党制への第一歩と見ることもできる。

 この選挙のもうひとつの結果は、共産党・社民党も議席を少し減らし伸び悩んだことである。共産党は5議席を争う東京で議席を失った。また公明党も、東京・大阪以外の選挙区で今までの議席を失った。

 参院選はこれまでもほぼ同じようにやられていたのだが、衆議院で始まった小選挙区制の影響は、マスコミの二大政党キャンペーンと相まって、約10年を経て有権者の意識に浸透し、その結果が参院選における投票行動にも反映しているのだ。

 これからの問題は、格差を拡大し続ける「新自由主義的政策」とその表裏一体をなす「戦争できる国づくり」に対して、「国民のくらしの安心」と「憲法9条に基づく平和戦略」の旗印を誰が立てるのか、ということだと私は考えている。

 民主党の小沢氏が「生活第一」と訴えたことは、何でもありの小沢氏らしいとも言えるし、国民の気分をよくとらえていたとも言える。同時に「これは民主党にとっても後戻りできない思い切ったスローガンを選択したなぁ」と「くらし第一」と訴え続けてきた私は思ったものだ。

 では共産党・社民党は「こんなに政策は正しかったのに」何故議席は減ってしまったのか。

 それははっきりしている。政策は訴えたが、その次に語るべき「これに至る道すじ」について語らなかったし、語れなかったからだ。

 私は今ほど「たしかな野党」が必要な時はないと思っていた。そこが新しい一歩への出発点になるからだ。ゼロからの出発なんてことになったら、それこそ大変だと思っていた。

 安倍首相は「反省すべきは反省し」なんて言ってるけれど、長いばかりで何を反省するのかさっぱりわからないことに、多くの国民はウンザリしている。

 他人事ではない。新しい一歩をどのように踏み出すのかも、具体的に語らなければならない時なのだ。

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07年 7月 2日 参院選で何を問うのか

 参院選が間近に迫ってきた。日本の将来にとって大事な選挙である。

 ここ数日、久間防衛大臣の「アメリカの原爆投下はしょうがなかった」発言が問題になっている。どこの国の大臣かとあきれてしまうが、被爆者にとってはさらに許しがたいものだと思う。

 こういう人が「現憲法はアメリカから押しつけられたもの」とか「あの戦争は自存自衛のもの」とか言ってる人たちと一緒に政権中枢に居ることは、一見矛盾しているようにも見える。

 私は、案外この「アメリカへの媚びへつらい」こそが、この人達の一番の本質ではないかと思う。もちろん戦争を反省しているわけではない。弱かったから負けたのであり、強い方が勝ったのだから、「しょうがない」のである。

 こういう人は、自分が強くなった暁には、今度は他人が自分に対して「しょうがない」と言う番だと考えるに違いない。

 しかもこの大臣、自衛隊が国民のさまざまな活動を極秘に監視していることが明るみに出てくると、「当然の仕事」と開き直るような人である。こういう人たちが権力を握りはじめているのが現在の日本である。

 それ以上に巷で話題になっているのが、年金問題と住民税増税だ。しかもこの怒りは、国や政治への根深い不信感を伴った怒りだ。こんな有様では誰だって年金を納めているのがバカらしくなる。もうすでに年金制度は壊れ始めている、と言えるのではないだろうか。

 ちなみに2004年度の東京都の国民年金の収納率は58.3%である。これから20年もしないうちに、日本は大量の無年金者が続出することになる。

 そろそろ発想の転換が必要な時だ。一般庶民が足を引っぱりあっても問題の解決にはならない。私は、思い切って国の責任で生活の最低保障の地ならしすることを考えるべき、と思っている。

 原理的に考えればわかることだ。このまま格差社会が進行すれば、国民の半数近くが生活保護になるか、それとも憲法25条を無くしてしまうか、どちらかしかない。

 元来年金制度は完璧に公平な制度ではない。早く死んだ人は受取額は少ないのだ。「預貯金とは違う、助け合い制度だ」なんて説明していたではないか。

 助け合う精神のない人は問題外だが、助け合う余裕のない人が沢山いるのが現状なのだ。

 ある意味、憲法9条、25条の価値と意味とが問われている今、マスコミは「二大政党、さあどっち」とか言ってるけれど、憲法にも新自由主義にもかすりもしない対決を、またまた見せられてばかりではかなわない。

 本当に問われなければならないのは、新しい政治の流れの第一歩をつくれるかどうかなのだと思う。

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07年 5月 8日 フランス大統領選挙と足立区長選挙

 フランスの大統領選挙はサルコジ氏が勝利した。今後、新自由主義的な「改革」が進められると予想されているが、もう少し違う角度から見ると、フランスは日本の将来の問題点も示しているように見える。

 30年以上前の話だが、私は夏休みを利用してパリを旅行したことがある。

 印象深かったのは、夏休みということで多くのフランス人は長期のバカンス(夏期休暇)だったのだが、パリは動いていたことだ。ゴミの収集や清掃など、そこで働いていた多くはバカンスとは関係のないアフリカや中東から来た人たちだった。

 移民だったのか出稼ぎの人なのかは定かではなかったが、先進国の労働者の権利が、このような二重構造の上に成り立っているのか、と認識を新たにした。

 小田実さんも、アジアの上に乗っかった日本という存在を指摘していたように記憶しているが、他人事とは思えなかった。

 今、日本もそのような時代を迎えているのではないか。

 単なる安上がり労働力と見られている人たちが声をあげ始めた時に、移民排斥と治安強化の方向に向かうのか、同じ人間・同じ働く仲間として受け入れる方向に向かうのか、いずれ厳しく問われることになると思う。

 少子高齢社会においては介護する人が不足するので、フィリピンをはじめ東南アジアから介護の人材を連れてこよう、という話も進み始めているが、介護分野で働く人たちが誰であろうと、しっかりと生活が成り立つ条件を整備しなければ、本質的な解決にはならないことはハッキリしている。

 世界のあちこちで、私たちの社会のあり方・未来像をめぐって、これからも模索とせめぎ合いはつづくように思う。

 足立区では、他の自治体から少し遅れて、5月27日から6月3日投票日の区長選挙が行なわれる。

 私は、「人にやさしい町づくり」をめざしている宮崎わか子さんを応援している。元自民党都議の近藤やよいさんとの一騎打ちになりそうだ。

 「宮崎わか子」のすぐれたところは、何事にも立ち向かっていくチャレンジ精神である。これまでの数々の仕事もそうだが、「誰もやらないなら自分が」と出馬を決意したことが、なによりもそれを物語っている。

 そして彼女のもうひとつの大きな特徴は、「先入観を排し、自分の目で確かめ、自分の頭で考える」というところだ。都知事選挙の時も、いろいろ意見がくい違って議論したけれど、そういう議論ができることが大切なことなのだと思う。

 足立では間違いなく「宮崎わか子」が唯一のよりましな、というよりベストな区長候補なので、是非みんなで力を合わせたいと思っている。

 従来のレールの上を走るだけなら誰でもできるのだ。発想を転換し、新しい時代に目を向けようとするなら、彼女のような人間こそ求められているのではないだろうか。

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07年 4月11日 次につながる戦い・2007都知事選を終えて

 東京都知事選挙が終わりました。まずは応援して下さった皆さんに感謝申し上げます。

 結果は、石原慎太郎氏が281万1486票で三選。浅野史郎氏・169万3323票。私・吉田万三が62万9549票(得票率11.4%)でした。

 最終的な得票数までにはつながらなかったとはいえ、終始攻勢的でよい戦いができたと感じています。

 選挙ですから目標は当選をめざしての戦いですが、そこに至ることは簡単なことではありません。

 その結果は一国の政権交代にも匹敵するくらいの規模と内容を持つものですから、単に準備期間の長さとかイメージ戦略というレベルでなく、選挙戦本番に向かうまでの数々の運動の積み重ねや政策の検討、戦いを性格づける旗印の決定、戦いへの陣形の構築などが問題になります。

 昨年の秋以降、共産党都議団の奮闘などもあり、石原知事による都政私物化の実態が次々と明らかにされ、マスコミでの報道もされる中で「石原タブー」が崩れてきました。

 私が基本政策の「都政改革プラン」を発表し、福祉・子育て・くらし充実をはじめ3つの転換を訴えたことが政策的論戦をリードし、選挙本番に入ると石原氏はポーズとはいえ「反省」を口にし、終盤には「くらし満足度」「教育と子育て支援の充実」「都民の目線による医療と福祉をすすめます」「中学3年生までの医療費無料化」とまで言うような状況をつくり出しました。

 また運動面でも、「戦いの大義の旗印」「政策の一致」の重要性の認識という点でぶれなかったことが、運動全体の元気の源になったと言えるのではないでしょうか。もちろん、戦闘能力の高い候補者の発掘・選択も大切なことです。

 同時に、この都知事選の戦いは、石原慎太郎という虚像を恐れる弱気との闘いでもあったように思います。

 一挙に勝利の展望などがひらけるわけもないのですから、まずはその状況を打ち破るための戦いに立ち上がらなくては、状況の変化をつくり出すことは不可能です。

 その弱気の延長として、共産党だけ推薦の吉田では勝てるはずがないので、とにかく「よりましな候補」での一本化論がありました。

 昨年11月のシンポジウムの時点で私が指摘しておいたように、一致点をアイマイにしたままの「よりまし論」は、負けた時には何も財産の残らない戦いになる危険性があるのです。

 そうは言っても、たしかに力を集中しなければ勝てないのですから、この「よりまし論」の主張は、石原氏への反感が強ければ強いほど、一定の説得力を持ったのです。

 選挙期間中も言いましたが、誰が出てきても相手が石原さんだと「よりまし」に見えるのです。

 しかも、それ以上に今後重視すべき問題として私が感じたことは、「二大政党論」が想像以上に有権者の意識の中に浸透しつつあり、都知事選挙は国政選挙に近い感覚だから当然とも言えますが、この影響が地方政治のレベルまで出てきている点です。

 この問題でも、今回の都知事選での戦いは、今後につながる沢山の経験や教訓を残すことができたのではないかと思っています。

 戦いはこれで終わったわけではありません。

 私自身は、また医療の現場の仕事に戻ることになりますが、国政では改憲の動きが急な情勢です。

 私を応援してくれた人も、浅野さんを応援した人も、中には石原さんに投票した人でも、「憲法9条は守ろう」という点では、今後力を合わせていかなくてはならないと思う人が沢山いるのではないでしょうか。

 選挙の中では、福祉の実績などでのやりとりがあったり、私もオリンピックと民主党の関係で浅野氏を「幽体離脱」などと言いましたが、応援している人はまたそれぞれの思いでやっているのですから、今後はむしろ一致点の方を重視していきたいと思います。

 取り急ぎの私なりのまとめなので、不十分なところもあるかと思いますが、皆さんのご意見も聞きながら、今後に生かしていきたいと考えています。

 重ねてご支援していただいた皆さんにお礼を申し上げ、ご挨拶といたします。

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07年 3月21日 いよいよ都知事選本番に突入

 いよいよ都知事選挙直前になってきた。

 マスコミの取材、テレビでの公開討論などのスケジュールも次々と入ってきている。

 また、私のホームページの掲示板を始めインターネットのブログでも様々な議論が戦わされている。

 3月13日は有楽町の日本外国特派員協会に招かれ、講演と質疑。そこでもいろいろな質問の中で、反石原としての私と浅野氏についての質問が出された。

 たしかに石原氏に対抗して出馬すれば誰でも反石原ではあるが、その中身が問題である。

 私も、浅野氏の出馬の記者会見をテレビや新聞で見て驚いたのだが、「石原さんはあこがれの人」とか「1期目は輝かしい実績で、2期目から悪くなった」とか「いいところは石原都政を継承」とか言っている。

 石原知事の暴言は1期目から始まっており、シルバーパスの有料化や老人福祉手当などの福祉切り捨ても1期目から始めたことなのだ。

 その上で私が話したのは、日本の政治状況がアメリカに近づいてきている点である。

 日本の財界がめざしているのは、アメリカ型の保守二大政党である。小選挙区制という基本的なお膳立てもできている。

 民主党もそのことは充分承知していて、サンデープロジェクトで鳩山氏が「共産党とは一緒にやらない」というのは、単に票が減るということではなく、そんなことをすれば財界からの信用も支援も失ってしまうからである。

 すでに東京都知事選を石原氏(自民推薦隠し)VS浅野氏(民主推薦隠し)=自民VS民主の代理戦争のように見る人までいる。旧社会党の流れも一部あるので、民主党を保守政党と思っていない人もいるようだが、日本の二大政党も保守二大政党なのだ。

 石原氏が大きな壁であることを否定しないが、私はその向こう側にもっとソフトな顔をした「二大政党」という壁を見てしまうのだ。

 この間のいろいろな議論を通して、今の状況はアメリカの良心的と言われる人々の悩みと通じるものがあるように私は感じている。

 ネオコン勢力に支えられたブッシュを倒すための選択肢は、ややリベラルな感じの民主党を応援することを通して民主党にプレッシャーを加えるという政治的回路くらいしか見当たらない、というのが多くのアメリカ国民の現状ではないだろうか。

 1996年、2000年、2004年、ラルフ・ネーダー氏は様々な制約を乗り越えて大統領選挙に出馬した。残念ながら、アメリカにおいて新しい「第3極」という選択肢を創り出すところまでには至っていない。

 こんなところでネーダー氏を引き合いに出すのも気が引けるが、2000年の大統領選挙では、フロリダ州、ニューハンプシャー州でゴア氏とネーダー氏の合計得票がブッシュ氏を上回ったこともあり、民主党ゴア陣営とネーダー陣営の間で、選挙の前にも終わったあとにも非難の応酬があったという。

 現在多くのマスコミが、二大政党論へと世論誘導しているようにも見える。しかし日本はまだアメリカと同じ状況までには至ってないのだから、私は何も先回りして二大政党論にすり寄ることはない、と思っている。できれば様々なグループや個人の意見を代表する小政党が存在するような制度が理想的だと思っている。

 それはさておき、この日本には、保守二大政党ではない「第3極」の選択肢が必要ではないか。

 共産党が自ら「第3極」をめざすのも政党である以上当然だと思うが、私は「第3極」にもいろいろな形があるはずだから、あらゆる可能性にもっと熱心であってよいと思っている。残念なことに、その熱心さが見えてこないことに失望したこれまでの支持者の中には、勝ち馬に乗るために消極的だが浅野氏を支持している人もいるようである。

 しかし選挙は戦いである。

 この1週間はテレビ出演や政見放送録画で忙しかったが、テレビ討論などを通じて都民の関心も高まり、いよいよ状況が動き出したことを実感する。

 戦いでもっとも大事なことは、「戦いの大義」である。

 「大義なきイラク戦争」などと言われるように、戦いの旗印がハッキリしない軍勢は、いくら頭数が多くても、いくら強そうに見えても、強い力を発揮することができない。

 昨年の秋から私が言っていたことだが、「政策の一致」とは、そういうことなのだ。

 そのことをアイマイにして、相手の影におびえ、「足し算的思考」で幅を広げれば広げるほど、政策は○でもなく、×でもなく、△印になるばかりである。

 「何をもって石原慎太郎という巨像を打ち破るのか」を明らかにし、闘ってこそ、世論も風向きも変わり、状況が変わるのだ。

 それが世論調査と違う「戦いのダイナミズム」である。真実が見えれば人間は変わるのだ。

 時間は限られているが、私は最後の最後まで全力でがんばる決意を固めている。

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07年 3月 6日 都知事選、構図固まる

 3月1日の朝日新聞は、1面トップの見出し「都知事選構図固まる」で「浅野氏立候補へ」と報じた。

 浅野さんが2月25日の集会に顔を出した頃には、ほぼ出馬へのレールは敷かれており、徐々に周囲で盛り上げながら、すでに会場が確保されている3月9日あたりで正式発表という段取りかな、と思っていたので、それほど驚きもしなかったのだが、ここ数日私のところへも急にマスコミの取材がやって来るようになった。

 またこの件について、吉川さん、大木さん、須藤さんをはじめ、いろいろなかたからメールもいただいた。中には「この際吉田さんが候補を降りてくれないだろうか」という主旨のものもあった。

 取材で聞かれることは、このニュースへの感想や浅野氏への評価についてである。

 私は、浅野氏がまだ正式に「何をやる」とも言ってない段階なので、あまり踏み込んだことは言えないという前提で、ふたつのことを話した。

 ひとつは、これまで「東京。をプロデュース2007」など市民運動の方々とも話したり、シンポジウムで発言したりしてきた経緯から見ると、「残念だけれど仕方がないのかな」という思いである。

 私が一貫して主張したことは、「石原都政の何を変えるのか」という政策の一致点が大事だということであり、これは11月26日のシンポジウムにいた人は皆知っていることである。

 ただ受け止め方には主観や思惑も入るので、なかには「政策が一致すれば統一候補は可能だ。吉田は絶対降りないとは言っていない」ということを多少ふくらませて、そこから肝腎な「政策」が引き算されて「吉田は降りてもいいと言っている」みたいな情報を流した人もいたようだ。そこまで行くとウソである。

 私から見ると、その後このエネルギーは政策の検討よりも「有名人さがし」の方に費やされてしまったように見える。政策の話し合いもなかった。それが残念なのである。

 もちろん「勝てそうもないから手を挙げない」とか「勝てそうな雰囲気になってきたので手を挙げる」とかいうことは、はじめから私の辞書にはない。

 そもそも民主党は石原知事の与党だったのだし、それを公式に反省した形跡もない。

 しかも、すでに告示まで1ヵ月を切ったギリギリの時期での話である。私には「後出しジャンケン」に付き合うほどのヒマが無かっただけである。

 まして「何をやる」とも言っていないのに、善意からとはいえ「この際降りたらどうか」というのは、私には理解できないのだ。何故、浅野さんに「降りたらどうか」と言わないのだろうか。やはり知名度なのか。それとも一緒に運動したり、後ろにくっついている人たちのことなのか。

 様々な歴史的経過や政党の思惑があることも、私なりには理解しているつもりである。石原知事があまりにもひどいので、「勝ちたい一心」との気持ちもよくわかる。しかし、これが現在までの私たちの力の到達点なのだから、ここまで来たら力の限り頑張ろうと思っている。

 ふたつめのコメントは、浅野氏への評価だ。

 現時点では、宮城県知事時代を参考にするしかない。

 浅野氏は全国で「改革派知事」と呼ばれた知事の一人でもあったが、この「改革派」にはいくつかの共通点がある。

 談合問題などの不祥事をきっかけに、入札制度の改善や情報公開に取り組んだり、選挙公約をマニフェストと呼ぶようにしたりしたことだ。

 このマニフェストが単なる呼び方でないことについては、長くなるので別の機会にふれたいと思う。

 しかし最大の共通点は、大型開発中心の税金の使い方のところまではメスが入らないことだ。

 全国の地方自治体のほとんどが感染しているとも言える「開発優先病」は、病気が悪化すると体力のない人から入院が必要になるのだから、「夕張」は他人事ではないのだ。

 この自治体の構造を変えることが、今もっとも必要とされていることではないだろうか。

 その点で、ダムの問題に手を入れた長野の田中康夫さんは、数少ない例外のように思う。

 私の言いたいことは、「改革派」と言うけれど、お城の入り口の門を修理したり、風通しを良くしたりはしたが、本丸には手をつけなかった、ということである。

 宮城県では、今でも船の来ない港の工事などが進行中で、浅野氏就任時の県の借金7千億円は、12年経ってやめる時には1兆4千億円と2倍になってしまったという。

 それまでの県政の流れが結局そのまんま引き継がれ、ブレーキがかからなかったのだ。

 大筋、以上のような感想を述べさせてもらった。

 そうこうしている間に、どうも浅野氏正式出馬のようだ。3月6日午後の出馬表明を受けて、夕方にはさらに取材がやってきた。

 正直言ってあまりの抽象論にやや拍子抜けなのだが、私は最後まで「本物の改革は何か」を訴えようと思う。

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07年 2月16日 風向きは変えるのだ!

 2月14日、吉田万三の「都政改革プラン」を発表した。

 あと約1ヵ月に迫った東京都知事選に向けた政策を「3つの転換と6つの重点公約」としてまとめたものであり、石原都政の対極をなすものと考えている。

 昨年11月以降、石原知事のトンデモない豪華海外出張、四男優遇ワンダーサイトや高級料亭での飲食などが次々と明らかになってきた。

 今まであまり取りあげなかったテレビ・週刊誌をはじめとするマスコミも、セキを切ったように報道するようになった。

 当初はビクともしない大岩のように思われていた石原知事も、相当あせったり、うろたえたりしたのだろう。最近はしきりにテレビに出演し、弁解したり、「俺はいじめられている」なんて泣き言を言ったりしている。「石原ヨイショ番組」や「ヨイショ司会者」まで出てくるようになった。

 ところで、マスコミは石原知事の実態はある程度書くようになったが、そのあとは民主党の候補者選びのニュースばかりが目につく。

 ニュースというのは、競馬のレース予想みたいなことが仕事なのかとつい思ってしまう。そういえば自分でも「出馬」なんて言ってたな。(笑)

 これからはもっと政策の内容に迫ってほしいと思うけれど、しかしこういうのも二大政党論の影響なのかもしれない。

 11月に開かれた市民グループのシンポジウムでも、生活者ネットの代表が「私たちは地域政党で、国政は二大政党なので、国政レベルでは民主党を支持します」というようなことを発言していたので驚いたのだが、私は二大政党論はあまり信用していない。

 二大政党のアメリカはどうだろう。ブッシュがイラクで戦争を始めた時、共和党も民主党も国会議員は一人を除いてほぼ全員が賛成した。

 戦況が泥沼化し、戦死者も増加、アメリカ国民の世論もイラクからの撤退・戦争終結へと風向きが変わってくると、民主党の大統領候補は「私がイラク戦争を終わらせる」と言い始めた。「始めた時は賛成してたじゃないの」という国民の声に、今やヒラリー女史は弁明に努めているという。

 自らが行動して戦争を止めようとしたのではない。風向きが変わったので、それに合わせて言うことが変わってきたのだ。

 風向きが変わったのは、戦死した兵士の母親の反戦行動をはじめ、様々な草の根の運動があったからこそではないか。

 そのシンポジウムで私が強調したことのひとつは、「待っていても風向きは変わらない。自力で風を起こしてでも風向きを変える動きをする人がいなければ、何も変わらない」ということだった。

 さらに大切なことは「石原都政の何をどう変えるのか」ということである。

 本気でこの都政を変えようとするなら、ポーズではなく、その中身が問われることになる。

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07年 1月28日 頑張れ!そのまんま東さん

 そのまんま東さんが宮崎県知事に当選した。前知事が逮捕されて空席だったので、選挙後即就任。その2日後には鳥インフルエンザの発生だから休む間も無いようだ。

 テレビのニュースを見ていると、私はつい自分の経験を思い出して「これからが大変だろうなぁ」と思ってしまう。

 談合体質にメスを入れたり、入札制度の改善などは、本質的な問題の入り口だからある程度目に見える結果は出せると思う。

 問題はその先で、日本中に蔓延する大型開発・ハコモノ中心の体質を変えようというところまで行くと、猛烈な抵抗が始まるはずだ。

 これまでも、そこで立ち止まってしまった知事がたくさんいたように思う。そこから前に進めるかどうかで真価が問われるのだ。

 私が足立区長の時、昨年亡くなった当時の青島都知事にお会いする機会があった。

 その時、青島さんは私に向かって「吉田さんも私と似たような立場だけれど、ずっと突っ張っていた方がいいよ」とアドバイスしてくれるではないか。「自分は都市博中止まで頑張ったけれど、あとは体力ももたなくて力をゆるめたら、ズルズル押し込まれてしまった」というようなお話だった。

 意外と自分の置かれている立場を冷静に見ていることに驚いたことを思い出す。

 そのまんま東さんも大変だけれど頑張ってほしい。はじめからペコペコしすぎが少々心配だが、偉そうにふんぞり返っている知事なんかよりは余程ましだ。

 リーダーに必要な力は、住民の心に共感する力、対話や議論の中から知恵を引き出す力、物事の本質をつかんで判断する力などではないだろうか。

 そう考えると、独裁者なんて能力がなくても誰でもやれそうだ。

 なにしろ対話や議論の力は不必要で、一方的に命令したり、怒鳴ったりできればいい。大した能力はいらないのだ。

 あとは取り巻きがチヤホヤしたり、強い姿を上手に演出したりすれば、「独裁者一丁出来上がり!」だって可能な気がする。

 しかしそういう人に限って、ちょっと批判されると「俺はいじめられている」なんて泣き言を言い出すから情けない。

 東京には、本当にいじめられても、歯をくいしばったり、励まし合ったりしながら、頑張っている人がたくさんいるのだ。

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07年 1月16日 リアルなもの

 親が子どもを殺したり、兄が妹を殺したり、妻が夫を殺したり、驚くような事件が続いています。

 ニュースの解説では、この人たちが育ってきた時代背景が言及されることもしばしばです。

 30年近く前になりますが、私が新米歯科医師のころ働いていた病院や診療所では、年1回「健康まつり」を開催していました(今でもやっています)。

 歯科では歯科相談の隣で、子ども向けのアトラクションに動物の石膏模型や自分の指の石膏模型をつくって配ったりしました。

 動物の模型には、ライオンやパンダ、ネコやペンギンなど可愛いものがたくさんあったのですが、子どもたちに一番人気があったのは「怪獣」でした。子どもは生身の動物より、いつもテレビで見ている怪獣の方に親近感を持っていたんです。ザリガニよりバルタン星人というわけです。

 この頃から「バーチャルリアリティー」の世界は始まっていたのでしょう。その頃の小学校低学年の子どもたちが、今では30〜40歳代になっています。

 そう言えば、安倍首相をはじめ今の若手政治家といわれる人たちも、この世代に近いのでしょう。プラモデルや雑誌で育った「戦争オタク」出身の人たちが、日本の将来を論じる時代になっているのです。

 その次は、「信長の野望」世代が世界制覇を論じ始めるかもしれません。

 しかし「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、映像の力は百の言葉や文字に勝ることもあります。

 自分で言うのも照れくさかったのですが、都知事選挙に向けてビデオが作られました。岩波映画でお仕事されていたプロデューサーの今泉さんが大変熱心に動き回ってくれました。

 ところでこの岩波映画の創始者は、雪の結晶や北大の低温科学研究所で有名な中谷宇吉郎先生だったのですね。原宿駅近くのご実家の一部が、今でも科学映画の事務所として使われていました。

 「真実の姿をわかりやすく見てもらう」という心のこめられたビデオです。私がもう少しやせていた頃の姿も映っています。

 ビデオテープ、DVD、ともに400円で、お問い合わせは「革新都政をつくる会」へ、とのことでしたが、グーグル・ビデオ(Google Video)にアップされているので、「吉田万三」と検索すれば見ることができますし、このホームページからも直通できます。是非まわりの人にも勧めてください。

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07年 1月 3日 亥年はユサユサ・グラグラでおめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 2007年は亥年、団塊世代の私も年男です。亥年には災害が起きるとか、中日が優勝するとか、いろいろと言われることがあります。

 12年前の亥年、1995年には神戸の大震災が起きました。天災は防ぎようのないところがありますが、人災は人間の努力で手を打つことが可能です。

 2006年は、格差社会やワーキングプアなど、庶民のくらしの大変さが浮きぼりになりました。これに住民税増税や医療費の負担増が追いうちをかけました。

 子どものいじめや自殺も大きな問題になりましたが、その前に大人の世界では、大人がお年寄りや大人をいじめ、自殺や孤独死がたくさんでていたのです。

 また、耐震偽装とかやらせタウンミーティング等々、あきれてしまう出来事も続きました。大人が大人を騙している姿も、子どもたちは見続けていました。

 こんなことを許している大人が子どもにいくら説教してみても、たてまえばかりの軽い言葉はうわ滑りして、あまり説得力はありません。

 年末には教育基本法が改正され、年が明けると、たてまえばかりの大人の代表みたいな顔をした安倍首相は、いよいよ「次は憲法改正だ!」と言ってるではありませんか。

 あらためて、今年は日本の将来にとっても、私たちのくらしにとっても、大事な年になると思います。

 3月22日からは、4月8日投票日の東京都知事選挙が始まります。

 石原知事の実態を知れば知るほど、「シンジラ〜レ〜ナ〜イ」を通りこして「黙っていられない!」と出馬表明した私ですが、あっという間に2ヵ月が過ぎました。あと2ヵ月半ですから、本当に時間が足りないことを実感します。

 しかし、はじめは巨大な岩のように強そうに見えていた石原知事の化けの皮もだいぶ剥がれてきました。

 ユサユサやっていたら、最近なんだかグラグラしてきたぞ、というのがこの2ヵ月の手ごたえです。まだゴロゴロ転がるところまでではないですが、力を合わせて勢いつけて、さらにユサユサやって、最後はこのトンデモない大岩を崖の上からゴロゴロッと蹴落としてしまいたいと思います。

 東京から、みんなの力でユサユサ・グラグラ、政治の地殻変動を起こす年にしようではありませんか。

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06年12月12日 子どもの頃の悩み

 子どもの頃の記憶なのでボンヤリしているのだが、3歳か4歳の頃の話だ。

その1----

 右と左のちがいをはじめて教わった時のこと。

 「ハシを持つ手が右手、茶碗を持つ手が左手」と教えてくれるのだが、自分はどっちの手でハシを持っているのかよくわからない。上と下の区別はすぐわかるのだが、右と左は人生ではじめて出会った「抽象的概念」みたいなことで、なかなかしっくりしなかった。

 ご飯を食べる時はわかった気がするのだが、食事が終わってしばらくするとまたわからなくなった。

 それでも成長するにつれ、いつの間にか左右の区別はつくようになっていた。

その2----

 ひらがな(平仮名)をはじめて教わった時のこと。

 字を覚えるのがおもしろくて、そのうち数字もアルファベットもなんでもかんでも書けるようになったのだが、「ゆ」だけがうまく書けないのだ。

 本を見ても微妙なところで字が切れている。人によっては一筆書きのようにクルクルッとつながっている。どこが切れていてどこがつながっているのかが、よくわからん!

 何度書いても変な形になってしまった。

 大人になって、あれは自由の「由」という漢字をくずした形だと知って少しは納得できたのだが、いまだ心のどこかに釈然としないものが残っているような気がする。

 何年か前に、与党か野党かはっきりしない政党が「ゆ」党と揶揄(やゆ)されたことがあったが、たしかに「ゆ」は今でも、どこが切れていてどこがつながっているのかがアイマイだ。右左ほど単純ではないのだ。

 ところで、11月26日に開かれた市民グループのシンポジウムは「どうしたらあのトンデモナイ石原都知事を倒せるか」ということが主題でした。

 私は「数合わせも大事なことだが、それだけでは勝てない。石原都政の何が問題なのか、どこが私たちの一致点なのかを明らかにしなければ、大きく世論を変えるような戦いにならない」と話しました。

 人によってそれぞれ、どこが切れ目の所かは、簡単そうにもむつかしそうにも見えることでしょう。

 私は、(1)憲法9条を守る、(2)税金の使い方を大型開発中心から暮らし中心にする、くらいで一致できれば、もっともっと力を合わせることができるはずだと確信しています。

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06年11月30日 「虚像」対「まんぞー」

 東京都知事選への出馬を表明して以降、ほとんど休みなく東京中を走り回っている。

 なんと言っても、石原慎太郎というトンデモナイ都知事をいつまでも黙って見過ごすわけにはいかない!という思いからだ。

 これまでも、石原知事には「ババア」発言や憲法否定など数々の暴言もあったけれど、本人が居直ったりしているうちに時間も経過して、しばらくするとウヤムヤにされてきた。

 しかし、最近になって次々とボロも出はじめてきたようだ。とにかくその中身にあきれてしまう。

 知事就任以降7年半で19回の海外出張。視察とか研究とかいろいろ理由がついているようだが、台湾6回を筆頭に、ガラパゴス諸島10日間とか、グランドキャニオンとか、イギリス・マン島とか、ようするにほとんど観光旅行ではないか。「豪遊」「税金ドロボー」と書いた新聞まであった。

 さらに今度は、石原ファミリー・身内優遇のトーキョーワンダーサイト(TWS)のやりたい放題の実態も明らかになってきた。他の文化施設予算は大幅に削られているというのに、ここだけは5年で予算が8倍になったというから驚きだ。

 暴言吐き放題、ゼイタクし放題、しかもそういうことを不思議とも恥ずかしいとも思わないあたりが、まるでどこかの独裁者のようではないか。

 ところが多くの都民には、こんな東京都政の実態がまだまだ知られていない。

 その理由のひとつは、露骨な情報操作だ。石原氏の暴言と実像を追求しつづけたジャーナリストも皆無ではなかったが、ほとんどのマスコミはサラッとニュースを流したくらいの印象だった。舞台裏では、彼に批判的な目を向けるものは容赦なく威圧されるという話まで耳に入ってくる。

 その結果、しっかりと演出された格好の良い石原知事の姿ばかりが、私たちの目に映ることになる。

 だから石原知事は強そうに見えるし、誰もなかなか対抗馬として手を挙げようとしなかったのだと思う。

 石原知事は、まさに演出された「虚像」ではないだろうか。

 したがって、この戦いは「虚像」対「まんぞー」の戦いなのである。

 しかしである。それは単なる「虚像」というわけではない。

 石原知事の暴言を「今までの政治家と違って本音で語っている」「役人に負けないでやってくれそう」などと言う人がいるのだ。そしてその人はイス取りゲームのイスに座れず、「ごくつぶし」なんて言葉を投げつけられている若者だったりする。

 そのような状況に出会う時、私は、失業率が高まると、その不満の矛先が安い労働力を供給する移民に向けられ、「移民排斥」を叫ぶ極右政党が勢力を伸ばしているヨーロッパの構図に似たものを感ずる。

 弱いもの同士が、少ないイスを奪い合っているのだ。

 「虚像」が徐々に実体を持ち「巨象」へと成長する時ほど危険な時はない!ということを、過去の歴史は静かに語っていたように思う。

 「虚像」はあなどれないのだ。

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06年11月17日 イス取りゲームに再チャレンジ?

 今年に入って、学生時代からの親しい友人が相次いで亡くなった。

 書店の社長をしていたS君は、前社長から仕事を引き継いだ典型的な雇われ社長だったが、まじめすぎて不器用な彼は、経営の行きづまりに責任を感じて自ら命を絶った。引き継いだ時から行きづまっていたというのに。

 誰もが「なんてバカなことを!」と思ったが、他人に言えない苦悩だったのだろう。

 相談にのっていた同じ団塊世代の弁護士は、「オーナー社長はもっとサバサバしていてしぶとい。さっさと家族の相続放棄の手続きをして会社をたたんでしまう。雇われ社長で、責任感が強く、妙な男の美学みたいなものがある団塊世代の特徴なんだなぁ」と残念そうに話してくれた。

 会社の整理にも目途が立った数ヵ月後、関西にいるご家族にも参加してもらい、東京で友人たちでのささやかな「偲ぶ会」を開いた。北海道や京都からも友人が駆けつけてくれた。

 心やさしく、誰からも愛された彼の姿や学生時代の話を、彼の息子や奥さんに話しておきたかったのだ。少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 それは、日本中にあふれている倒産やリストラがらみの悲しい話の一つかもしれない。

 「再チャレンジ」なんて言葉を聞くと、私は子どもの頃の「イス取りゲーム」を思い出す。人数より足りないイスから必ずはみ出してしまう人間がいる。次の曲がかかると、今度は今まで座っていた人が押し出されて、新しい人がそこに座る。

 それが安倍首相のいう「再チャレンジ」だ。

 蹴落とされたら、次は必ず他人を蹴落とすくらい強い人間にならないと生きていけない。

 そのためには、子どものうちから競争させて、スキあらば他人からイスを奪い取る訓練をさせておこうというのだろう。

 表面は笑顔でも、心を許したりしない人間だけが、こういう世界では勝ち組になれるのだ。

 こんな、一部・二部入れ替え戦のくり返しみたいなことに、みんなそろそろ疲れてきている。だからもっとイスを増やせばいいのだ。

 仕事を増やし、くらしを応援するように税金の使い方を変えることができれば、子どもたちだってもっとのびのびと生きていけるにちがいない。

 今必要なことは、「再チャレンジ」よりもイスを増やす政治への転換だと思う。

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06年11月10日 格差社会型教育

 11月4日の朝日新聞朝刊を開いてびっくりした。「足立区の小中学校で、学力テストなどの成績の良し悪しで、学校に配分する予算に差をつけて競争させる」という記事だ。

 その後批判の大きさに驚いて、あわてて少し手直しするようだが、本当にあきれてしまう。

 「成績の悪いところに予算を多く配分して全体の底上げをはかる、というならまだ少しはわかる話だが、話が逆だ」とコメントしている人がいたけれど、こういうのをムキ出しの新自由主義というのだろうか。

 「成績の悪そうな子はテストの日には学校を休むように、それとなく言われている」なんて話も耳に入ってくる。

 それにしても知恵のないことだ。

 だいたいこういう考え方を良しとするなら、こういう考え方が大好きな石原都知事が「それはいい!早速東京都でもやろう!」なんて言い出すかもしれない。そこまで考えなかったのだろうか。

 この方式を東京で導入すると、その努力や苦労よりも成績で、足立区は予算を減らされてしまうというのに!

青年たちとの写真::クリックすると大きくなります 今、日本中でいじめによる自殺が問題になっている。

 「生きていてもつらいことばかりだ」という子どもの悲痛な叫びには、「弱いもの・成績の悪いものには存在価値がない」という考え方を助長している大人の社会の陰が投影されているのではないか。

 学校の成績は、人間の様々な能力のほんの一部を示すものにすぎない。「他人へのやさしさや思いやり」などという教科はない。(写真をクリックすると大きくなります)

 高校の必修科目未履修も問題になっている。

 10数年も前のことだが、病院に新しく入ってきた新人医師に聞いたことがある。私立の中高一貫校出身で、はじめから医学部進学コースだったので、歴史などは勉強せず、英語・数学・理科の3教科ばかり勉強してきたそうだ。

 とても効率の良いやり方で、昔からやっていたに違いない。

 本人は人間的にもバランスのとれたまじめな医師として成長したから、それでもまだ救いがあるが、確かに歴史のことなんかはほとんど知らなかった。

 学力テストにも、いじめにも、必修未履修にも、共通していることは、成績や効率だけが最優先される人間観ではないだろうか。

 そういう人たちがだんだん国会でも多数を占めるようになってきて、教育基本法も変えてしまおうとしている。

 全国に先駆けてその旗をふっているのが、石原都知事である。

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06年10月30日 グーグルアース

 10月24日に正式に都知事選出馬表明してからは、あちこちから声がかかり急にいそがしくなってきた。

 診療のほうも10月いっぱいでなんとか引き継ぎができそうだ。ご迷惑かける方もいたかもしれません。申し訳ありません。やむにやまれぬ事情につき、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 ところで診療といっても、一般外来だけでなく病院や特養ホームでの診療、在宅患者さんへの訪問診療などもある。

 しばらく前に、その訪問診療に使う往診車にカーナビが付いたのだが、ほとんど地図が頭に入っている私にとっては幹線道路ばかりを案内するカーナビはかえって邪魔くさいものだった。

 とはいえカーナビもさるもの、なかなかのすぐれもので、地図は立体画像、夜になると画面は夜景に変わる。さすがに雨の日だからといって画面に雨は降らないが、道をよく知らない人には頼りになる存在だ。

 このカーナビが軍事技術の転用であることはよく知られている。どこかで戦争が始まると精度が悪くなると言われていたくらいだから、誰かがどこかで調節しているのかもしれない。

 しかしその程度で驚いてはいられない。最近はインターネットに「グーグルアース」まで登場している。地球の画像をズームアップしていくと、世界中の都市や観光地がグングン拡大されて見ることができる。パソコンで世界旅行を楽しんでいる人もたくさんいるようだ。

 ちなみに東京をグングン拡大していくと、なんと自分の家まで見えてくるではないか!駐車している車もはっきりわかる。さらにマウスを動かすと、多少つぶれた形だが立体画像にもなってくる。

 しばらく見ていると、周囲の空き地の状態などから、この画像は1年くらい前の画像だと確認できる。きっと、使用済みで軍事的利用価値のないものを下取りに出して、それを商売にしているのだと思う。

 それにしても、これなら北朝鮮だってイラクだって世界中の隅々まで手に取るようにわかるのだろう。それが「エシュロン」という名前なのかどうかは知らないが、いずれにしろ遠い空の彼方の偵察衛星で20分に1回くらいはしっかり監視されているに違いない。

 「女性が露天風呂に入ったりする時には要注意だ!」と思わず私は余計な心配までしてしまった。真上があぶない。

 昔からお天道様や神様は、人間の良いこと悪いことを空の上からしっかり見ていると言われてきたが、この偵察衛星はそれにとって代わることができるだろうか。

 それは無理だと私は思う。何故なら、建物や車は見ることができても、そこに暮らしている生身の人間のこころまでは見えてこないからだ。

 それにしても東京は広い。

 これから、一生懸命がんばっている都民のこころの声を聞くためにこの街を走り回らなければと、グーグルアースを見ながら私は身の引きしまる思いになったのでした。

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06年10月24日 すべての都民のみなさんに

 10月24日、私吉田万三は「革新都政をつくる会」との協定が合意に達し、正式に来年の東京都知事選挙への出馬を表明し、記者会見を行ないました。

 すでに新聞等で報道されていたため、ご存じのかたも多数おられるとは思いますが、「これまで私を応援してくれた足立の皆さんに、十分とは言えないまでもしっかり理解してもらった上で、正式に出馬表明するのがスジ」との考えから、この日になりました。

 以下が私の発表した「決意表明」です。


07年東京都知事選挙への出馬にあたって
すべての都民のみなさんに訴えます

 私は、政治の流れを変え、みんなが元気にくらす東京をつくりたいという思いで、来年(07年)の東京都知事選への出馬を決意致しました。

 6月には住民税の増税の大きさに多くの人が驚かされましたが、都民のくらしは、これらの税金・医療・年金・介護保険の負担増に直撃され、高齢者の老後への不安や正規雇用で働けない若い世代の将来への不安、商売の先行きへの不安やいつリストラにあうかもしれないというサラリーマンの不安など、誰もが明るい将来像の見えないような状態です。

 安心してくらせる東京をつくっていくために、まず必要なことは「くらしの安心」です。

 このような時、石原慎太郎氏は、「オリンピック招致」言い出しました。これまでも石原都政は、公共サービスや福祉の切り捨てを進める一方で、「都市再生」という名の開発事業を進めてきましたが、今度はさらにオリンピックに名を借りて大がかりな開発に巨額の血税をつぎ込むことになります。

 ガラパゴス諸島をはじめ海外視察もいそがしく、週2日くらいしか都庁に来ないと言われている石原氏が熱心にやっていることといえば、都庁展望台でのカジノ開催や憲法9条改悪の旗振りと教育基本法改悪の先導役としての教育現場への強引な介入です。

 また、聞くに堪えない暴言の数々は、一都民として怒りよりも「恥ずかしい」気持ちになるくらいです。

 それをいさめる人はとうの昔に遠ざけられているのかもしれませんが、自分に少しでも批判的な人間には恫喝を加え、都合の良いパフォーマンスばかりをマスコミで演出しているというのが実態です。

 いつまでも面白がって見ているわけにはいきません。本当の姿が都民にじゅうぶん知らされていないことを良いことに、このようにやりたい放題の石原都知事を、一刻も早く退陣させなければ、安心してくらせる東京をつくることはできません。

 私は、

  1. ストップ「格差と貧困」。税金の使い方をきりかえて、くらし・福祉・医療・教育・営業を守り、都民にあたたかい、安心してくらせる東京をめざします。
  2. オリンピックに名を借りた大型開発を見直し、みどりと環境優先、安全で住み続けられる街・東京をめざします。
  3. 憲法・教育基本法・地方自治法を守り、その精神で都民が平和でのびのびと働き学ぶことのできる東京をめざします。

この三点を大きな目標に都政の転換をめざします。

 またそのためには、石原都政に心を痛めているたくさんの人たちをはじめ、さまざまな団体、政党、無党派の方々と力を合わせることが必要です。

 私は目標が一致できるなら、可能な限りの協力関係を追求するという立場で、引き続き都政転換の共同に努力したいと考えています。

 「強いものに尾を振りすり寄る姿」ばかりが目立つような国は決して「美しい国」とは言えません。

 こんな閉塞感を、私たちの東京から打ち破っていこうではありませんか。

 すべての都民のみなさんの大きなご支援と共同への参加を心から訴えるものです。

2006年10月24日

吉田万三

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06年10月 3日 コンフィデンス・自信

 小泉首相が退陣して、こんどは安倍晋三総理大臣の誕生だ。「変わりばえしない」という人もいれば、「もっと悪くなる」という人もいる。

 なにしろ、真っ先にやろうとしていることが、改憲と教育基本法改正だという。

 日本が敗戦のトラウマから抜け出して自信を回復することこそ、強い日本をつくるためにはどうしても必要!と確信しているらしい。

 自信といえば、今でも売っているかどうか知らないが、私が学生の頃「コンフィデンス」というワキガの防臭スプレーがあって、テレビでCMもやっていた。

 confidence あるいは self-confidence で自信という意味だ。

 今年の夏休み、息子と一緒に韓国旅行のツァーに参加した。

 もちろん、飲んだり食べたりもしたけれど、ソウル市内の西大門刑務所、安重根義士記念館、天安の独立記念館などを見学することもできた。

 韓国の子どもたちは、こういう所で自国の苦難と抵抗の歴史を知り、先人達の幾多の犠牲の上に、自分たちの新しい第一歩がはじまっていることを学ぶのだろう。

 そういえば、日本には独立記念館など無いし、反戦義士の記念館なども聞いたことがないなぁと思った。

 韓国や中国での歴史教育に相当する歴史教育が日本には無いのだ。

 私の世代の頃からもそうだったが、日本の歴史の授業はせいぜい明治の初め頃までで時間切れになる。日本の子どもたちにとって、歴史とは、現在と断絶した、あくまでも過去の物語なのである。

 「だから日本は本物の自信が持てないんだ!」と私は思う。

 ところが「自信を回復するためには!」と考える安倍晋三氏や石原慎太郎氏は、靖国神社の遊就館に入れ知恵されたかどうか知らないが、「あの戦争は正しかったのだ、やむえなかったのだ!」と居直ってしまう道を選択しているようだ。

 そんなまやかしは、いつまでも通用するわけがない。

 本物の自信とは、事実とありのままに向き合うことから始まるはずだ。

口先ばかり強がっていても、本物の自信がないままでは、中国・韓国とも北朝鮮の将軍様とだってまともに渡り合えるのかしらと心配になる。

 従軍慰安婦のテレビ番組に圧力かけたり、いろいろ裏でやっているようだが、歴史というのは、防臭スプレーで「シューッ」と消し去って、はい「コンフィデンス」とはいかないのではないでしょうか。

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06年 8月21日 危険な兆候・三連発

 お盆休みで「いつもより街も多少静かかな」と思っていたら、14日は朝から東京大停電だった。

 うちの息子も通勤中の地下鉄が途中で止まってしばらく閉じこめられたそうだ。私の診療所でも昼食時には「テロかと思った」とか「高圧線にさわったクレーン船の人は感電してしびれなかったのか?」とか、ひとしきり話になった。

 意外と大都会は弱点だらけなことが露呈したわけだが、イギリスでのテロリスト逮捕の影響で、これからは飛行機に乗る時も「手荷物ダメ」「液体ダメ」になるそうだ。日本も「テロリスト」が身近な話題になる国になりつつある。

 そうすると翌15日、相手の心は眼中にない「心の問題」一点張りの小泉首相が靖国神社に参拝した。午前7時30分首相官邸出発、7時40分靖国神社到着。偶然の一致とはいえ、前日の停電の起きた時間とピッタリ一致するような時間帯だった。

 衆知のことではあるが、靖国神社にはすべての戦争犠牲者が祀られているわけではない。広島・長崎の被爆者も東京大空襲の被災者も祀られていない。

 お盆休みに観た映画「蟻の兵隊」に出てきた、戦後も中国で共産軍と戦い続けた(戦わされた)兵隊たちは、祀られたくもないだろうが、存在すら無視されたままだ。

 この神社は、あくまでも戦争に協力して亡くなった人たちを祀ってある。裏返して言うと、ここは国民(当時は臣民)を精神的に戦争に動員するための装置であったのだ。

 百歩も千歩も譲って「お国のため」というなら、国のため、国民のためを思って戦争に反対し、殺された人たちをどう考えているのだろうか。そうしたことに沈黙したまま何を言っても、私には詭弁に聞こえてしまう。

 そんなことを考えていると、その15日の午後、自民党・加藤紘一議員の自宅が放火され全焼。首相の靖国参拝に批判的な人への露骨な脅迫である。

 自民党に限ったことではないだろうが、理念なんかはそれほど気にせず、勝ち馬に乗りたがる人ばかりが目立つ昨今である。こうしてジワジワ日本が危険な道に進んでいくのかもしれない。

 誰かをあてにするのではなく、自分に何ができるのかを考えようと思う。

 そうしないと団塊の世代と呼ばれる私たちも、何十年か経った時「実は忙しかったんだ」なんて、あの世から言い訳することになるかもしれない。

 それこそ危ない兆候だ。

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06年 7月11日 国民に経済制裁?

 サッカーW杯はイタリアが優勝して終わった。わが家もそれなりに盛り上がっていたけれど、ふと我に返ると、この数ヵ月で世の中大変なことになっている。今までだって大変だったのだが、目に見えて大変なのだ。

 第一に、大増税だ。6月に住民税の通知が一斉に届いて、日本中大騒ぎになっている。

 老年者控除をはじめ各種控除が廃止されて、今まで非課税だった人が一挙に課税対象になったり、どこかのカメラ屋ではないが「5倍・10倍当たり前!」の様相だ。今後この住民税額を基準に、国保料や介護保険料の値上げが連動してくる。

 秋には小泉首相がやめるというので、「ヤレヤレ」と思っていたら、早速消費税増税が話題になり始めている。

 第二に、国家公務員が休日に自宅の近所でビラまきをしたら、逮捕されるようになった。

 何十人もの警察官を使っての尾行や隠しカメラによる撮影に、裁判所もお墨付きを与えるということは、これからは「お上にたてつく」人は次々と逮捕されてもおかしくないということだ。

 「執行猶予付き罰金2万円」はとても軽そうに見えるけれど、とても重たい第一歩に思える。

 第三に、国民の共有財産である公共サービス売り渡しが加速している。

 6月からは駐車違反の取り締まりを民間会社がやり始めた。違反を摘発すればするほど、企業の業績は伸びるのだろう。

 鳴り物入りの「郵政民営化」も、案のじょう地方の郵便局の廃止が動き出した。

 そういえば、東京都でも去年から救急車の有料化が始まっている。

 「市場化テスト法」なんかにすぐに悪のりする足立区も、今年度から「一人暮らし高齢者の緊急通報システム」が有料化された。その次は、システム丸ごと警備会社にでも売り払う予定なのだろう。無料のままでは商売にならないからね。

 ホームページの更新もしばらくさぼっていたので、第四も、第五も、第六も書ききれないけれど、最近テレビや新聞で、アリコだとかアフラックスだとかのCMがやたらと目に付くようになった。

 暮らしや健康の不安で追い立てられたその先に、「いらっしゃいませ!!」と口を開けて待っている人がいるようだ。

 テポドン発射のニュースにも驚いたけれど、日本国民に経済制裁を加えている政府もどうかと思う。

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06年 3月 9日 「ガセネタ」国家

 耐震偽装にBSE、ホリエモンの錬金術に防衛施設庁の不祥事など、この際徹底的に問題点を明らかにしてほしいと思っていたら、なんだか民主党の「ガセネタメール」ですっかり大事な問題はどこかへ飛び去って、面白おかしなバトルを見せられることになった。

 偉そうに「ガセネタ」とか「謝罪しろ」とか言ってる人たちを見ていると、わたしはその言葉をそっくりそのままお返ししたい気持ちになる。

 「イラクの大量破壊兵器」というガセネタで戦争を始めたアメリカに、かなりガセネタと解っていながら追随して自衛隊をイラクに派兵した小泉首相こそ、イラク国民と日本国民にまず謝罪するべきではないか。何万人もの死者をだしているのだから、はるかに罪は重いはずである。

 しかしこういう人には反省は無理な相談かもしれない。場合によっては「もっとうまくやればよかった」なんて反省をする可能性もある。

 たとえば、ホリエモンの錬金術の本質的な問題はいったい何だったのか。そんなことはウヤムヤのまま、その一方、品川区では、小学校のうちから株の売買について教えるのだそうだ。そういえばテレビでも、子どもに株の売買を指南している母親が登場していた。

 政府はこれからも、第2・第3のホリエモンや第4・第5のニヤニヤ笑っている竹中大臣みたいな人を量産する計画なのかもしれない。

 こういう人たちは、「ガセネタはつかまされてはいけない!」「ガセネタは他人につかませてこそ、金儲けができるのだ!」なんて相変わらず心の中で叫んでいるんだろうなぁ。

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06年 1月12日 2006年はめざせ金八先生

 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 今年の正月休みはなんだか短かった。年末もギリギリまで仕事で、テレビの「金八先生スペシャル」を見ていたら大晦日になった。三が日は年賀状を作って、宛名書きをしていたらアッという間だった。

 しかし昨年は、JRの事故や耐震偽装マンションなど、金もうけのためには安全も無視して暴走する、構造改革の構造的問題点も次から次へと露呈した。

 今年は鳥インフルエンザも心配だけれど、アメリカ産の牛肉だって要注意だ。狂牛病の潜伏期間はとっても長い。下手すると20年後位に発病しても、20年前に食べた牛丼のことなんか忘れているだろうし、当然因果関係は不明になるだろう。

 鉄筋極細マンションを建てておいて、バレそうになると「大きな地震がきて倒壊してから、問題点を明らかにすればいい」みたいなことを言う社長が存在する国である。最近日本では、業種は違っても、似たような社長が続々と生まれているのではないだろうか、と疑心暗鬼になってしまう。

 また昨年は、私のお世話になった恩師が次々亡くなった年でもあった。

 春には大学で歯周病を指導してくれた石川純先生、秋になって10月には高校時代の担任で、その後神戸大学などで日本文学を担当された難波喜造先生、さらに11月には中学時代の担任だった黒坂翔一先生が山の事故で亡くなった。

 いずれも私が不義理をしていてご無沙汰のままだったので、かなりの日数が経った後に知ることになったのだが、かろうじて黒坂先生の「お別れ会」には間に合った。

 黒坂先生が、教師になってはじめて受け持ったのが私たちの世代だったのだが、その後世田谷の3つの中学校で教壇に立たれた。とは言え、美術の先生だったこともあって、実際に教壇に立った姿は思い出さない。一緒に相撲をとったり、ハイキングに連れて行ってもらったことばかりを覚えている。

 生徒の兄貴分のような存在で、ずっとバスケット部の顧問をされていたようだ。戦時中の栄養不良のせいかどうかは知らないが、背は小さかったのにバスケットなんてなんだか変な感じだけれど、とにかく本人そのものが、好奇心旺盛ないたずら小僧を大人にしたような、エネルギーのかたまりみたいな先生だった。

 私たちが育った時代には、まわりに個性的で魅力的なたくさんの金八先生が居たんだ、とつくづく思う。

 そして、私たちが次の世代に何をバトンタッチできるのだろうか、と考える。

 金八先生も言っていた。「弱いものを切り捨てることはたやすい。しかし1%でも信じるところがあれば、それに賭ける!」と。

 今年はそんなことを意識しながら、しっかりと仕事をしようと思う。

 本年もよろしくお願い致します。

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05年12月 9日 次は医療と農業?

 地方の農協で働いている大学時代の友人が、仕事で東京に出てくるというので会うことになった。中目黒の「黒ブタ専門店」で大変おいしいトンカツを肴に懐かしい話に花が咲いたが、農業の苦労話も聞かされた。

 最近は農協へのしめつけも厳しいそうだが、その厳しさは最後は結局現場で悪戦苦闘している生産者のところへ回ってくるようだ。

 バブルの頃、農協の金がノンバンクなどにかなり回ったという話は有名だが、周回遅れの不良債権処理がついに農協にも及んできているようにも見える。

 しかもこの不良債権処理が曲者で、銀行が中小企業に対して「貸し渋り」さらには無慈悲な「貸しはがし」をやったように、農協も中小零細の農家に対して同じようなことをやるように"し向けられている"というのだ。それができなければペナルティーが課せられ、挙げ句の果てには合併という名の「お家取りつぶし」みたいなことになるそうだ。

 この際だから、私が聞かされた農業の話をもうひとつ紹介しよう(以下は非営利・協同総合研究所『いのちとくらし』の研究所報No.13に掲載されたものです)。

 しばらく前になるが、友人の女性からその出身地の田舎の話を聞いた。

 戦後、引き揚げ者を中心に入植した群馬県の開拓村の話だが、今では農業では喰っていけず、先行きの展望も見えないので後継者もいないため、かなりの家が離農してしまい、残された畑は放置されていたそうだ。

 ところが最近では、その休耕地を東京の会社が丸ごと借り受けて、ジャガイモを作っているのだそうだ。

 ある日、種イモ満載のトラックがやって来て作付けをするというのだ。地元の農家の人の話では、その後の手入れは大ざっぱで畑は草ボウボウらしいのだが、秋にはそれなりに収穫があるらしい。

 驚いたことに、そのトラックに乗ってやって来る人達はみんな派遣社員で、平日のみの勤務。土日は当然のことながらお休みとのこと。

 何年かして畑がやせてきたら、会社は引き上げればいいと思っているに違いない。今のところ代替地はいくらでもあるのだ。

 その後の話は聞いていないのだが、多分、安い賃金で作られたジャガイモは、都会に送られてフライドポテトやポテトチップスになって、最後は私たちの胃袋に入ることになるのだろう。

 こうでもしないと日本の農業は成り立たないのかもしれないが、ある意味でこれが「効率のよい」農業経営の姿なのだとも言える。他人事とは思えない。

 財界に後押しされた小泉首相率いる自民党は、「改革!改革!」と大合唱して総選挙で大勝した。

 今やその財界の主流は、トヨタや松下に代表される自動車・電機などの多国籍企業であり、その生産拠点のかなりの部分はアメリカや中国などの海外にある。

 彼らの言う「構造改革」とは、国内は可能な限り身軽にして、アメリカの軍事力をバックに海外でもっとも効率よく金もうけができる体制づくりのことのようだ。もちろんそれ相応の軍事的役割分担もしっかり果たしていくためには、憲法9条は邪魔である。

 郵便局も農業も、医療も介護も、海外でやる仕事ではない。できれば投げ捨てたいくらいの重荷だと考えているのかもしれない。

 郵政の次のターゲットは医療と農業と言われている。

 海外金もうけ・効率第一勢力に対して、「国民のいのちと暮らしの安全と安心こそ最優先すべき原則なのだ!」という錦の御旗の下、本物の抵抗勢力は力を合わせる時だと思う。

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05年11月24日 構造的欠陥上の私たち

 職業柄、「歯」という文字には瞬間的に注意が向く。ニュースに「姉歯」という文字が出てきて、思わずよく見ると、なんと建築設計事務所の名前だった。

 とにかく、次々と欠陥マンションや欠陥ホテルなどが明らかになって驚くばかりだ。

 耐震強度を偽装して安上がりに建てたのだから、当然構造上の問題であり、その場しのぎの解決は不可能と思われる。

 被害補償の話になると、設計事務所、建設会社、マンション開発業者の間で、さっそく責任のなすりつけ合いが始まった。

 さらには検査を担当してOKを出した民間検査会社の責任も出てきて、なすりつけ合いはエスカレートしてきた。さらにそれを言うなら、「検査」という公的責任を民間会社に丸投げしてしまった行政の責任も問題になるし、それを可能にした1998年の「建築基準法改正(改悪?)」を行なった国や国会の責任だって問題になる。

 そこまで言ってしまうと、そんな議員を選んだのは国民自身だから、あと始末は「自己責任で」ということになりかねないけれど、要注意である。

 制度の方にも構造欠陥があったのだ。被害者であるマンション住民は、きちんとした補償・対策を求めながらも、「業者に倒産されてしまっては困る」なんてことまで心配せざるをえなくなっている。

 「官から民へ」とか「構造改革」なんて耳ざわりの良いかけ声の本当の目的は、コスト削減の為の工期短縮、そのための建築確認のスピードアップ最優先体制ということだったのですが、一番大事な「安全の確保」の最終的な責任は誰がとるのかは、ハッキリしていなかったのだ。

 なんだかJRの事故とも似ているが、もっと無責任な事例かもしれない。

 しかも、ひょっとするとこれは氷山の一角なのではないだろうか。「金もうけ最優先」の社会では、バレさえしなければ逃げ切ってしまおうと思っている輩がいても不思議ではない。

 そのうち震度6や震度7の地震がきて建物が崩壊しても、「震度5まではクリアしていたけれど、震度6・7は不可抗力でした」なんていう逃げ口上を今から準備している可能性すらある。

 金もうけの為の「構造改革」の構造的欠陥が白日の下にさらされているようだ。日本中あぶないのかもしれない。

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05年10月21日 靖国参拝と世界の常識

 小泉首相が、今年も靖国神社を参拝したことがニュースになっている。

 大阪高裁の違憲判決を意識してか、今年は私服で、お賽銭もポケットからの小銭という演出だったが、マスコミの反応もなんとなく微妙だ。

 論調で目立つのは、「中国・韓国があれだけ反発しているのだから、今後のアジアにおける日本の経済活動を考えて、もう少し自粛したほうがいいのではないか、」というものだ。

 それも確かに日本的な考え方だが、中国・韓国の反発の根本は、日本がアジア諸国に対して行なった侵略や植民地支配について、真剣に向き合おうとしていないことである。

 主観的には「お国のためと思ってやったこと」という言い訳は、多少は個人的に通用するかもしれないが、それを政治的見解とするのであれば、ほとんどのテロリストや過激派やオウム真理教までも、年月が経ったら「やむにやまれず、やったこと」ということになるのだろうか。

 中国・韓国の反発を「内政干渉」という人までいるが、よその国の話ではない。

 戦前、日本において、戦争に反対したため治安維持法違反で獄舎につながれ、激しい拷問を受け、共産主義者をはじめ多くの良心的な人々が殺されたという事実までも、この際ウヤムヤにしてしまおうということではないだろうか。

 今の日本に必要とされているのは、何故あやまちがおきたのか、二度と間違いを起こさないために何が大切なのかを、自らに問いかける本物の勇気ではないのか。

 かくいう私の両親も、戦前、治安維持法によって捕らえられ、拷問を受け、さいわい命は長らえたが、大変苦しい思いもした。

 だからと言って、個人的なうらみ・つらみを語ったことは一度もなかった。

 私もそんなことを語るつもりはない。大事なことは、未来に向かって何を足場に歩み出すのか、なのだ。

 偶然にも今年の夏休み、私は短い日程ではあったが中国と韓国を旅行した。

 くわしい話はまたの機会にゆずるが、韓国の若手の歴史の先生の話が印象深かった。韓国でも今までの教育では、日本は丸ごと悪だったのだが、最近では日本国内にも多くの戦争被害者がいることを知り、子ども達が驚いた、というのだ。

 偏狭なナショナリズムではなく、世界に通用する視野の広がりを獲得しようと努力している韓国の姿に触れ、日本だけで通用するあやしげな常識や視野狭窄は、努力しない限り克服できないのだと感じた。

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05年 9月23日 負けるな!やせガエル

 総選挙も終わって、自民党圧勝以上に「これは大変だな」と思ったのは民主党の新党首選びだった。

 なにしろ相手は衆院で2/3を超す与党をバックにした小泉首相だ。国民の中には、自民党の勝ちすぎ、加速する改憲への動きや増税への心配も出はじめた。

 私のような常識人は、ここはバランス感覚のある国民の左バネが働くところであり、それが対抗軸としての野党の姿を示すことになると思っていた。多少それを意識していたのが菅さんだったようだ。

 しかし民主党は新党首に前原さんを選んだ。

 小選挙区制の怖さは、ちょっとしたパーセントの違いで、今回のような雪崩現象が起こることだ。「上手な演出さえできれば、次のドジョウは民主党に」と思って、「岡田でダメなら、もう少し人相も良く見えて、さらに若い前原で」とでも考えたのだろうか。

 前原さんも「タカ派」と言われているイメージを打ち消そうとしているが、民主党に元自民党経世会や自民党以上のタカ派が沢山いることは周知の事実だし、小泉首相からは「あまり違いを強調しないで仲良くしようよ」みたいな軽口をたたかれている。

 憲法9条を変えようとする点では違いがなく、中身の違いといえば「ウチの方がもっとうまく改革をやれる」といった程度だ。

 選挙前に「いずれ敗北した民主党は分裂するだろう」と言った自民党幹部がいたが、私も今の路線の延長線で政権を取ることは無理だと思える。

 問題は中身の対抗軸なのだ。

 だとすれば、今は小勢力だが、共産党や社民党の出番ではないか。ただ、いつも頑張っていることはみんな知っているが、何かが足りない。

 小さいから仕方がないのかもしれないが、残念なことにその頭の中は中選挙区時代のように見える。中選挙区制と小選挙区制の決定的違いは、中選挙区制の場合は「選挙後」に様々な政治勢力の連携が起こるが、小選挙区制の場合は「選挙前」に連携が無ければ、選挙後には何も無くなるということだ。そのことを一番わかっていたのは小沢一郎だったのではないか。

 したがって、「選挙前の連携」に今ひとつ熱心さが感じられないということは、国民に対する政治責任を果たしていないことになる。

 私心など無いと思うが、ドイツの選挙結果を見るまでもない。今こそ護憲勢力は力を合わせなくては、と思う。

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05年 9月14日 9・11パート2=小泉自民党大勝

 総選挙で自民党大勝。郵政民営化一点張り、刺客、マドンナ、「改革を止めるな」のワンフレーズにすっかり踊らされた感じだ。

 私のまわりでも、じっくり政策を見比べている人などあまり出会ったことがない。テレビでやってる面白そうな「小泉劇場」を見ていた人が圧倒的多数だった。

 したがって、がんばっている姿や髪型や強そうに見える演出など、テレビへの映り方こそ重要だったと言えるのかもしれない。

 4年前の9月11日、ニューヨークでは飛行機によるテロ事件が起きた。

 ブッシュ大統領は「これは戦争だ!」と叫び、報復と称してアフガニスタンへの攻撃を開始した。多くのアメリカ国民は、テロ事件のショックの大きさから、とっても愛国的になってブッシュのこの行動を支持した。

 勢いづいたブッシュやネオコン勢力は、今度は片っぱしから「ならずもの国家」を撃破すべく、ありもしない大量破壊兵器を理由にイラク戦争を開始。

 そして9・11から4年経った。

 イラクの状況は泥沼化。イラク人は何万人死んだのだろうか。アメリカ兵の死者もすでに1000人を超え、帰還兵には劣化ウラン弾による被爆の影響が出ているという。

 4年後の夏、アメリカを超大型ハリケーン「カトリーナ」が直撃した。その被害は想像以上のものだったが、皮肉なことに州兵もイラクに動員されていて人手が足りず、数日後ニューオリンズに駆けつけた軍隊の最初の仕事は、被災者の救援よりも略奪・強盗の横行する街の治安回復だった。

 こういう大きな災害が起こった時に、その国の本当の姿が現れてくるものだ。

 このニュースを見ながら、ふたつのことを思い出した。

 ひとつはあの阪神淡路の大震災の光景だ。そこには表通りからは普段は目に入らなかった街の裏側で、街を支え暮らしてきた人々の生活が出現した。国は都市計画には熱心だったが、生活の復興支援にはあまり熱心ではなかった。何が誰が立ち直ることを「復興」と呼ぶのかを考えさせられた。

 もうひとつは、私が驚きをもって読んだ本、須田木綿子さんの「素顔のアメリカNPO 貧困と向き合った8年間」(青木書店)だ。

 そこにはニューオリンズからミシシッピー川をずっとさかのぼったセントルイスの街で、彼女が見たこと、経験したことが書かれていたのだが、それはテレビに映し出されたニューオリンズの姿そのものだった。

 そしてその光景は、小泉首相や竹中大臣が推進する「改革」によって出現する4年後の日本の姿にダブって見えてしまうのだ。

 カトリーナや小泉劇場に驚いてばかりはいられない。これから大増税や憲法9条改正の動きが加速するに違いない。

 衆議院の任期も4年だが、4年たったら泥水と一緒に流されてしまった!なんてことにならないように、私はやや緊張した気分なのである。

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05年 8月22日 「国会解散」の本当の目的

 8月に入った途端に、郵政法案が参院で否決され、国会が解散になった。

 今年の8月は、戦後60年目の夏で、原水禁大会や終戦記念日もあったけれど、今やテレビは郵政民営化への賛否をめぐって、新党だとか、刺客だとか一色になっている。

 驚いたことに、テレビを見ていると、自民党や刺客の女性は当然としても、民主党や法案に反対した造反自民党議員まで、みんな「民営化には賛成」なのだ。ただ小泉流のやり方が悪いんだそうだ。

 国会解散の日、小泉首相が何はさておいても真っ先にやったことは、ホテルで経団連の奥田会長と会ったことだった。

 財界はこの際、綿貫氏や亀井氏を切り捨ててでも、解散OKだったのだ。

 財界にも、その産業のタイプによって「海外型」と「国内型」があるようだが、すでに財界の主流は、自動車や電機など組み立て産業といわれる多国籍企業だ。生産拠点もかなりの部分はすでに海外にある。

 海外に出て行って世界規模で金儲けをしていくためには、国内は多少犠牲にしても、いやかなり犠牲にしてもやむえないというのが本音だろう。

 実は憲法9条が邪魔くさいのも、その延長線上にあるのだ。

 新党がすぐにできなかった訳はハッキリしている。財界が金を出してくれなかったのだ。

 現代日本の真の権力者である財界に逆らうには、かなりの勇気とそれを裏付ける財政的自立が必要であり、だからこそほとんどの造反議員の腰が引けたのだと思う。

 別に変人小泉を恐れたわけではないのだ。

 そう見ると、「構造改革」なんていう錦の御旗を振りかざす「海外金儲け組」が、次々と「国内組」を切り捨てているように見える。

 たしかに郵便局は海外では仕事にならない。

 医療や介護も海外の人を相手にする仕事ではない。

 教育や保育もそうだし、公務員はもちろん海外では仕事にならない。

 日本の農業だって、海外の田畑を耕すわけではない。

 小泉首相の攻撃目標は当面郵便局のように見えるが、本当のターゲットはその次に、さらにその次にと、待ちかまえている。

 郵政の次は、大増税アンド消費税率のアップ。来年は介護保険に続いて医療保険の改悪が待っていると言われている。

 とにかく「国内組」も貧乏人も、非効率で邪魔で重荷の存在なのだ。

 「小さな政府」なんて言うと、まるで無駄遣いをなくすように聞こえるが、社会保障が充実しすぎて日本の財政が悪化したのではない。アメリカに言われて、借金してまでダムや高速道路や大型ハコモノをつくりつづけた結果だ。

 もともと政府はそれほど大きくはなかった。無駄遣いが大きかったのだ。

 一般庶民には、本物の「大きな政府」こそ必要なのだ。

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05年 8月 5日 同窓会の季節

 今年はなんだか同窓会が多い年だ。この夏だけで3つも案内状が来た。それぞれ大学時代の寮の同窓会だったり、歯学部の同期卒業だったりと重なった。

 全部行く余裕もないので、北大歯学部卒業30周年の3期生の同窓会に出かけた。定山渓のホテルの宴席で旧交を温め、お互いの近況などを交換。当然のことながら全員歯医者なのだが、奥さんや娘さん同伴の人も複数あり、和気あいあい仲の良いクラスらしい同窓会になった。

 運がいいのか、ぼんやりしてるのか、私のいたクラスはいつも仲の良いクラスだったことは、私の秘かな自慢のひとつだ。

 次の日は、それぞれゴルフやバス旅行などのグループに分かれ、私は大学でのジンギスカン鍋グループ。大学構内散策のあと学生さんと一緒に鍋を楽しんで大満足だった。

 そういえば昨年は小学校のクラス同窓会があり、今年の5月には高校のクラス同窓会があった。みんな同世代だから、いかにも「団塊の世代」らしい。子育てもほぼ終わりに近づいた人も多く、少しだけ余裕もできる頃なのだと思う。

 その反面、頭は薄くなったり、白くなったりするのは当たり前。ぼちぼち天国へ逝ってしまう友人も出はじめた。

 体操競技じゃあないけれど、人の人生も、大技やひねり技を出す人もいれば、小技連発の人などいろいろだけど、着地がピタッと決まる人なんか滅多にお目にかからない。みんな多少ヨロヨロして、そこを必死にこらえながら着地姿勢を保とうとしているように見える。

 姿勢が崩れてしまえば元も子もないが、必死にこらえているあたりが人間らしい。

 しかし地面の方が揺れることもある。

 7月の次の週には東京で大きな地震があった。足立区は震度5強などと伝えられたので、まわりの人が心配してくれたけれど、意外と「それほどでもなかったよ」という人が多かった。同じ区内でもかなり差があるようだ。3階は少し物が落ちたが、2階はなんともなかったという人もいた。

 地面の下のことはなかなか目に見えないけれど、「やりたい放題!おかしなことがまかり通っている」と怒っている人がいる、最近の足立区の地面の下をつい思い起こさせるような地震でもあった。

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05年 6月27日 新しい芽が

 5月のはじめ頃にプランターにまいた「ふうせんかずら」の種が芽を出して、グングン大きくなってきた。葉がしげり、最近はツルも伸びてきた。

 昨年の秋、小平の「みその診療所」の裏の金網に実をつけていた「ふうせんかずら」の種だ。

 ユニークな形なのでたくさん拾ってきたが、その袋の中に入っている種もまたユニークで、黒いその種の表面には白いハート形の模様がついている。うちの娘も喜んだメルヘンチックな種なのだ。

 ところで行政の世界では、新しい事業を始めるとき、当初は少額の調査費などを予算に計上して、予算額としては目立たないけれど、新しい項目として認めさせてしまうようなことを「芽出し」と呼ぶそうだ。

 最近は多少控えめになってきたようだが、箱もの公共事業オンパレードの時代には、「お金がない!ない!」と言いながら、芽出し項目だけはしっかり並んでいたという。

 種だけはまいておいて、いつでも芽が出せるようにしておいたのね。

 こういう芽は困ったものだが、良い芽だったらいっぱい頭を出して、どんどん育ってほしいものだ。

 東京都議会選挙が始まったが、あだ花が咲いてしまって、なんだか息苦しくなってきた東京を良くするためにも大事な選挙だ。

 新しい種から新しい芽が出て、花が開き、実を結ぶまでには、それなりの時間もかかるけれど、都政の新しい芽もいっぱい頭を出してほしいと思っている。

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05年 5月13日 鉄道も介護も安心第一だ!

 連休直前の4月25日は大変な事件が起きた日だった。

 JR西日本の通勤電車が尼崎で大惨事を起こし、100人をはるかに超える死者を出した。時間に追われ、急なカーブを120キロのスピードで曲がりきれずに、軌道を飛び出しマンションに激突した。

 同じ日、足立区の公明党現職の忍足(おしたり)区議会議員が「あっせん収賄容疑」で逮捕された。勿論足立区議会始まって以来の出来事だそうで、翌26日には区役所や公明党控室などに警視庁の家宅捜査が入った。

 容疑内容は、区の保養所の管理運営業者の選定に圧力をかけ、その見返りに200万円、さらに100万円と受け取っていたとのこと。元はと言えば区民の税金ではないか。あきれるばかりだ。

 金銭感覚もおかしくなっていたのだろうが、なんと言っても「しっかり守らなくてはいけないものは何か」という倫理観のようなものが、知らず知らずに狂っていたのだと思う。

 おかしいと言えば、JR西日本も、社長を先頭に「安全よりスピード第一、稼ぎが大事」みたいな号令をかけていたようだし、事故後のボーリング大会などの社員の行動も相当批判をあびている。

 マスコミが社員バッシング一辺倒になったあたりが少し心配なのだが、その中で「安全を軽視してまで、そんなにスピード優先・効率優先でいいのだろうか?」という論調も出始めてきた。

 そう考えると、この事故は今の日本を象徴しているようにも見える。

 現在開会中の国会には「介護保険改悪法」が提出され、すでに衆院を通過した(今の日本では悪法だけはかなりのスピードでカーブも通過するようだ)。これから参院だが、これが通ると、軽度の要介護や要支援のお年寄りには、今までの家事の援助はなくなって、今度は介護予防に移され、筋トレマシーンで筋力トレーニングをやることになるらしい。

 しかも根拠は薄弱で、介護関係の費用削減という意図は見え見えである。

 こんなことを許しておいたら、効率優先の陰で多くの命が奪われた今回の事故と同じように、筋トレマシーンの陰で生活が成り立たず死へと追い立てられるお年寄りが続出するのではないか、と心配でたまらない。

 そういえば、アメリカからの輸入牛肉も全頭検査もやめることにしたようだ。安全を犠牲にしてまで日本人は牛丼を食べたいと思っているのだろうか。

 鉄道も飛行機も、医療も介護も、牛肉や政治家の頭にも、「安心や安全こそ第一なんだ!」ということを、JR西日本だけでなく日本全体でもう一度しっかり徹底するときなのではないだろうか。

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05年 4月25日 裸のサルと衣じらみ

 最近もらった医療団体の新医協の会報に、永野さんという方が精神科医の岩田先生の講演の感想を書いている。人間の人格形成の話なのだが、「衣じらみ」の話には驚いた。

 「しらみ(虱)」には、頭じらみ、毛じらみ、衣じらみ、の3種類がいるそうで、戦後60年経った今でも、保育園などで「頭じらみ」が流行して保護者が大騒ぎになった、なんて話を時々聞くことがある。衣じらみは最近ほとんど見かけないそうだ。

 この衣じらみの歴史は17万年程度なんだそうだ。そのことから人間が衣服を着始めた時期もわかる訳で、人間の皮膚から毛が無くなったのが約20万年前と言われている。

 その頃から、肌のふれ合いの楽しみ(性活動)を覚えて人間の数が増えだした、というのだ。

 まだまだ続きそうな、性的快感に裏打ちされた人間発達のお話なのだが、これを読みながら、学生時代に読んだデズモンド・モリスの名著「裸のサル」を思い出した。

 まだサルに近かったせいか、学生時代にはあまり感じなかったが、社会に出てからは、しばしば私たちがサルの子孫だということを実感することがある。

 会社でも組織でも、人数が4〜5人になると、まず気の合う同士の仲良しグループができる。10人位になれば、当然サル山のボスは誰なのかが問題になってくる。

 実社会では雇用関係や経済原理が働くので、表面的にはそれなりに平穏が保たれているように見えるが、放置すると組織の「サル山化」が始まる。

 企業としての理念や組織の目標・使命(ミッション)の確認などと言うと、面倒くさそうにみえるが、このことをアイマイにすると、どんどん「サル山化」が進行する。

 そのせいかどうかは知らないが、最近では企業の社会的役割が強調されるようになってきている。

 会社くらいならまだいいのだが、近頃は世界が「サル山化」しつつあるようで心配だ。なにもブッシュ大統領だけのせいではない。

 私たちだって、浅知恵からサル知恵からみんな集めて、一歩づつでも進化していく責任があるのだと思う。

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05年 3月21日 金持長生・庶民早死

 NHK受信料不払者が50万人を超えて、3月末には70万人になるらしい。ライブドアのニッポン放送株取得も50%を超えて、次はフジテレビ株なんだそうだ。

 「超えた」と言えば、日本の人口も、初めて90歳以上が100万人を超えた。総務省の発表では90歳以上がひとくくりにされているが、100歳以上の人口も最近2万人を超えたらしい。しばらく前には1万人と言われていたから、これも速いテンポだ。

 なんで「100歳以上」のことを言うのかというと、日米の比較でこれが取りあげられることがある。聖路加国際病院の日野原重明先生も講演の中でよく紹介する事実である。

 アメリカの人口は日本の約2.2倍だが、100歳以上の人口になるとアメリカは6万人を超えて日本よりはるかに多い。しかも平均寿命は、アメリカ77歳・日本82歳とアメリカの方が5歳くらい短い。ようするに日本人に比べてアメリカ人は平均すると短命なのだが、限られた人たちだけは、ずっと長生きしているのだ。

 言うまでもなく、この100歳以上のアメリカ人とは、高学歴の裕福な白人である。

 世界一の医療技術を持つアメリカは、その一方で世界の先進25ヵ国の中で公的健康保険の無い唯一の国でもある。98年でアメリカの無保険者は4,430万人(総人口の16.3%)。年収2万5,000ドル(日本円で約260万円)未満層では、25.2%が無保険と言われている。

 アメリカという国の特徴をわかりやすく言うと、なんと言っても「戦争をする国」なのだが、同時に「金持ちが長生きし、一般庶民が早死にする国」でもあるのだ。

 私たちの国を、そんなアメリカのような国にしようと力んでいる人たちが最近目立つが、「そんな国にしてたまるか!」と私は思うのである。

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05年 2月16日 『パッチギ!』を見て思う

 サッカーWカップの最終予選が始まって、最初の試合が日・朝戦。私もご多分に漏れずテレビで観戦した。土壇場でゴールが決まって2対1で日本が勝って喜んでいたけれど、試合前は政治がらみで、みんな心配したり、警備を強化したりで大変だったようだ。

 しかしそんな心配を吹き飛ばすように、緊張した試合内容も、応援団も、とても気持ちの良いものだった。

 先日、一番下の息子と二人で映画『パッチギ!』を見てきた。普段ボーッとしているドラ息子にもわかりやすい映画だった。息子は『イムジン河』なんていう歌は知らなかったけれど、ありのままの現実を、ありのままに見ればいいのだ。そこから何かを学び始めればいいではないか。

 それにひきかえ、「NHKは何だ!!」

 自民党の安倍晋三・中川昭一議員らに放送中止の圧力をかけられて、あちこちカットされた番組というのが、「女性国際戦犯法廷」「慰安婦問題」を取りあげた「ETV2001」だ。

 問題が発覚して、はじめは居直ってみたが、まずいと思ったのか「ウソだウソだ」と大声をあげ始めた。引き分け泥仕合にしてしまえばいいと思っているのだろうか。

 彼らは何を必死に隠そうとしたのか。何から目をそむけようとしたのか。何を恐れているのか。

 ありのままを見つめることからしか、多くのアジアの人々との心からの相互理解も生まれないのだと思う。

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05年 1月11日 2005年は手遅れにならないうちに

 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 今年はどこか沈んだ正月だったような気がする。年末に雪が降ったせいなのか、やっぱり景気が悪いせいなのか、晴れ着の人に一度も会わなかった。

 2004年を象徴する漢字は「災」だそうだが、たしかに5月頃から暑い日が続き、猛暑の夏。足立区では最高気温が42℃を超える日まででた。台風上陸も10回。秋には新潟中越大地震。さらに年末にはスマトラ沖の大地震とインド洋の大津波。

 自然災害だけではない。腹の立つことも多かった。北朝鮮の拉致問題もまだ道半ば。日本歯科医師連盟から1億円受け取った橋本龍太郎もウヤムヤだ。年金問題も大騒ぎになったが改悪成立。イラク派兵に日本人人質殺害。

 いよいよ自分が大変になった時には「自己責任」なんて言われるなら、一旦今まで払った税金を全額返してもらいたいくらいだ。

 数少ない良かったニュースといえば、プロ野球選手会の頑張りが唯一の希望の光のように目に映るのも無理ないか。

 それにしても、この1年をふり返ると、日本はとても危険な国になってきたように感じるのは私だけだろうか。

 5月の連休の頃、ある晩車で走っていると警官に止められた。「テロを警戒しているので車の中を調べさせてくれ」とのことだった。「走るゴミ箱」と呼ばれる私の車は怪しいと思われたに違いない。そして駅からはゴミ箱が無くなった。電車に乗ると電光掲示板には「只今テロ警戒中」なんて出ている。

 学校では「日の丸・君が代」に起立・斉唱しないと(まだ逮捕まではされないが)処分されるようになった。意に添わないビラなどを配布すると逮捕されるようになった。裁判所が無罪だと判断しても、お構いなしだ。

 中高年のリストラ、就職できない若者が増え、集団自殺のニュースまで耳にするようになったけれど、凶悪犯罪も増えてきているので、警察だけでなく、お互いがしっかりと監視し合うようにすれば、「安全な社会」が実現したことになるのだろうか。

 東京都知事が「憲法を破る」なんてヌケヌケと都議会で発言しても、マスコミは見て見ぬふりで報道せず、こうして私たちは徐々に慣らされて(馴らされて?)、あぶない人と普通の人の基準は入れ替わり、「普通の国」という名の「あぶない国」になっていくのかと思う。

 年始の挨拶は手遅れ気味ですが、今年は手遅れにならないうちにこの流れを切り換えて、平和で人間が大事にされる本物の普通の国になるように、みんなで力を合わせていこうと思っている。

 本年もよろしくお願いいたします。

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04年12月 8日 救急車が危ない!!

 今年の流行語大賞は「チョー気持ちいい」が選ばれた。他にも「冬ソナ」とか「自己責任」「残念!!」「サプライズ」などがノミネートされたそうだ。

 「サプライズ」といえば、救急車が大変だ。いよいよ日本もアメリカみたいに、救急車を呼ぶにもお金が必要になりそうだ。

 東京消防庁が、10月1日から来年3月31日まで「民間救急コールセンター」の試行実施を開始した。救急出動件数が急増のため、緊急性の高い場合を優先させる必要があるので、緊急性の低い病院間の転院搬送や入退院では民間の救急車を使ってください、というものである。本格運用は来年4月1日から始まる予定だ。

 現在試行期間中だが、すでに都内のあちこちで、119番すると「法律が変わったので…」などと言われて民間会社を紹介される事例が出始めた。

 足立区内の病院の例では、結核の患者さんを専門の病院に転院のため搬送を頼んだところ、「重体でなければ救急車は使えないので」と民間救急隊を紹介された。お値段はなんと77,000円!実際には、消毒も必要だとかでオプション料金もついて10万円を請求された。

 このまま行くと、命も病気も金次第、救急車だって金次第、になりそうだ。しばらく前には格好良く「アメリカにNO!と言える…」なんて言っていた石原都知事を先頭に、アメリカ型救急体制の方向に突き進んでいる。

 アメリカの救急車は基本料金が450〜500ドル(日本円で約5万円)前後といわれている。これに救急隊人件費をはじめ、交通実費12.5ドル/1マイル、夜間呼び出し50ドル、酸素マスク使用40ドル、なんて具合に次々と上乗せされて、すぐに600〜700ドル位になるそうで、日本と同じ感覚で救急車を呼んだら、後日2,000ドル(日本円で約21万円)の請求書が届いた話など、決して大げさな話ではないそうだ。

 数年前、恋人に背中を包丁で刺された人気プロレスラーが、自分でスクーターに乗って病院まで行った事件があったそうだが、やっぱり懐具合を考えたんだと思う。

 ちなみにアメリカの救急コールは911番。あのニューヨークの旅客機によるテロ事件は、実は9月11日の9時11分を狙ったものだという説を聞いたことがある。(本当かどうかは知らない)

 それはともかく、具合が悪くなって救急車を呼んだら、「東京では自己責任です。残念!!」なんてことにならないようにしなくては。

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04年11月17日 災害への支援の始まり

 新潟県中越地震から3週間経った。地震の直接被害から、しばらくすると車でのエコノミー症候群や土砂崩れによる天然ダムなど、これまでになかった新たな問題も生まれてきた。

 阪神淡路の震災の経験でも、震災以降に避難住宅での孤独死で多くの方々が亡くなった。受け入れ態勢のある所への支援だけでなく、問題発見型の支援活動も求められてくる。すでに、介護支援や精神的ケアが必要だと言われている。

 神戸で驚かされたのは、必要に応じたボランティア活動の多彩さだった。ガレキ片付け隊、引っ越し応援隊、シャンプー隊、肩もみ隊、等々。

 私が30年くらい前に読んだ、吉村昭さんの「関東大震災」に紹介されているエピソードの中で、一番印象に残っているのは、震災後1週間になると、食糧が無くなり、徒歩で地方へ避難する人々が続出したという場面だ。

 時代も異なるが、地域的特徴や時間の経過と共に、これからも様々な問題が出てくるに違いない。

 来年2月からは三宅島民の本格帰島が始まる。4年にわたる避難生活の大変さは、想像を超えるものだったと思う。

 先日、東京都庁の40階に間借りしている三宅村役場に村長を訪ねた。「まだまだこれからです」との村長の言葉に、避難生活の終わりというより、島の再建への第一歩という決意を感じた。

 東京都は100〜150万円の住宅再建への支援を決めたが、中越地震でもこれから住宅再建への支援が重要になると思われる。新潟県も検討を始めているようだ。

 日本国政府は、イラクへの自衛隊派兵経費だけで03年度と04年度で約400億円を計上している。イラクで一体何を守っているのかよくわからないが、日本国民を守ることが、まず第一の仕事だと思う。

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04年10月 5日 地域密着・ファンサービス

 今年のプロ野球は、合併問題にストライキで大変だったが、セリーグは落合監督の中日が優勝、パリーグはプレーオフで盛り上がっている。大リーグではイチローが大活躍してシーズン262安打の新記録。

 野球ファンとしては、このまま皆んな白けて野球離れになることを心配していたけど、少し踏みとどまった感じがする。

 まだまだ新規参入問題などの課題も残っていることだし、むしろこれからが大切だと言われている。

 そんな中で共通して強調されていたことは、「ファンサービス」と「地域密着」ということだった。Jリーグのアルビレックス新潟やヴァンフォーレ甲府などもよく引き合いに出された。

 そんな話を一観客として見ていた私は、ふと自分の足元を見た。

 自分の診療所はどうだろう?

 施設も建て替えてきれいになった。設備だって最新式。「タテマエ」だって「地域の人々に支えられて」と謳っている。

 先日、私が新米歯科医師の頃お世話になった、一之江内科胃腸科医院の綱川先生にお会いする機会があった。

 開業以来18年間、日曜診療をしていたそうだ。最近は土曜日の来院が多いので、日曜日はやめたそうだが、患者さんがどんな暮らしをしているか…に合わせたサービスの必要性を語られた。「口先ばかりのタテマエはもういいから」と言われているような気がしたのは、私だけではなかったと思う。

 地域とのつながりはどうだろうか。自前で毎年やっている健康まつりは別として、思い浮かぶのは、町内会からの盆踊りのご案内と地元区議会議員の後援会総会のご案内くらいだ。

 そんな数少ない機会も、所長や事務長が顔を出し、ご挨拶することなどほとんどない。なんと言っても勤め人だから、手当のつかないサービス残業みたいな感じなのだ。

 しかしたまに出かけてみると、盆踊りには必ずと言っていいほど、地元の小学校校長や保育園園長、区民事務所長や地元信金の支店長などが顔を出している。

 商店街にある信金の支店は、商店街の掃除までするという話だ。銀行もつぶれる時代、信金だって必死に地元密着で生き残りを図っているに違いない。

 病院もつぶれる時代だ。プロ野球の将来は決して他人事ではないと、反省しました。

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04年 9月15日 歯グキが腫れた

 ここ1〜2週間は、「歯グキが腫れた」といって歯科に受診する患者さんが目立った。専門用語で「P急発」という。

 毎年、8月終わり頃から9月にかけてのこの時期に多い。とくに今年は暑い夏だったので、なおさらの感じがする。

 原因は単純といえば単純なことで、元々少し悪かった所が、夏の疲れが出てくる頃になって身体の抵抗力が落ちると、うずき出し、腫れ出すという訳だ。ようするに、慢性化していた病状が急性化したということ。

 恥ずかしながら、自分自身の歯グキまで腫れてしまった。

 歯グキはそれでもまだ目につきやすい場所だが、多分身体のあちこちの弱い所で似たような現象が起きているのだと思う。歯グキの夏バテと言ってもいいのかもしれない。

 咬み合わせの負担の軽減や抗生物質の投与で症状の安静化を図るのだが、ほとんどが4〜5日で急性症状はおさまるようだ。すると皆んな「ノドもと過ぎれば」状態になり、元の生活に戻ることになる。

 こんなことを繰り返しながら、歯グキは徐々に弱くなり、歯周病が進行し、だんだんと歯がグラつくようになって、最後は抜け落ちるという経過をたどる。

 歯周病に特効薬はない。毎日おこなうブラッシングの工夫や定期的な健診と歯石等のクリーニング、可能であれば食生活の改善などが、その処方箋だ。

 気の長い話だがそのとおり。当面必要な手はうちながら、体力の維持と同じなのだから、生きている間は気長に付き合うくらいの気持ちでいいのだと思う。

 抵抗力は目に見えない。落ちてくるといろいろと症状が出てくる。

 プロ野球の合併問題をめぐる対立も山場をむかえているが、急性化した時が、考え方が変わるチャンスでもある。

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04年 8月25日 オリンピックの見え方

 7月、8月はある意味いそがしい。高校野球の季節だし、おまけに今年はアテネオリンピック。

 原水禁大会もあったが、今までと違い、核兵器の廃止や平和の問題が、一般論としてではなく、身近で切実な問題になってきているように感じる夏だ。

 それにしても、高校野球の北海道・駒大苫小牧・初優勝には驚いた。地元亀有の修徳の次に応援していたので、うれしかった。さらにその日の夜は、オリンピックの女子マラソン。月曜日はあちこちで「眠い、ねむい」という人を見た。

 オリンピックは勿論テレビで見ているのだが、考えてみると、ほんの一部しか見ていないことに気づく。

 卓球の代表は男女何人もいるはずだけど、見たのは「愛ちゃん」の「シャー!!」だけだ。

 柔道も水泳も体操も見たけれど、それ以外は、女子ソフトにレスリングに陸上くらいというのが、日本人の平均的な見方ではないだろうか。

 アーチェリーで銀メダルを取ったけど、「そんな種目もやってたんだ!」と再認識した人は私だけではないはずだ。

 わが家では、柔道が意外と人気種目で、「気合いだ!、気合いだ!」などと、すっかり浜口オヤジ状態で応援していた。

 そういえば、他にもボートやボクシングや馬術なんかもやっているはずだけれど、日本のテレビではほとんど目にしない。

 すると地球上のどこかには、同じオリンピックといっても、ホッケーと重量挙げと射撃ばっかり見ていて、「柔道なんてやってたの!」という国もきっとあるに違いない。

 全種目を見るつもりも余裕もないのだけれど、私たちは、放送局があらかじめ取捨選択した映像を見せられて、それをオリンピックだと思っている。

 あらためて、情報があふれる時代の落とし穴について、考えてしまった。

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04年 7月14日 新たな戦略の必要

 参院選が終わって、いろいろ論評も出ているけれど、「いよいよ保守二大政党時代へ」というのが、最大の特徴だろうか。

 年金やイラク問題への批判票が民主党へ行ったと言われているので、民主党にも変な妥協は許されないというプレッシャーがかかるはずだ。

 しかし、共産党や社民党が減ったということは、自民・公明・民主を合わせて改憲賛成の議員が増えたということだ。これから改憲への動きが加速されるに違いない。改憲の主題は、言うまでもなく「憲法第9条」である。

 わが護憲派に足りなかったのは、「小選挙区制の時代」になったのだ、という時代認識とそれに対する新たな戦略ではなかったのか。

 もしこれから二大政党が定着していくとすれば、それ以外の政党は細々と生きていくか、消滅するかの道をたどることになる。ある意味で、公明党の必死さはそこにある。

 選挙が終わると、早速「構造改革は信認された、もっと加速だ」とか、「本当の構造改革を」だとか、言い始める人たちが出てきた。

 そういえばプロ野球の近鉄・オリックスの合併話も、今の日本の縮図のようだ。

 赤字部門を切り捨て、リストラを進めれば、とりあえず経営状態が良くなることは誰でもわかることだ。問題は、いかにファンの期待に応え、野球の底辺を広げていけるかどうかである。

 「1年間待ってほしい」という選手会の意見に、読売の渡邊オーナーは「2ヵ月あれば結論は出る」と聞く耳は持たず、古田選手会長に対して「分をわきまえろ」とまで言い放った。ファンが待ち望んでいるセ・パの交流試合は、何年経ってもやろうとしないオーナーの言葉である。

 「誰のため」「何のため」を忘れた「構造改革」の姿を象徴しているように見える。

 一般の企業と単純な比較はできないが、医療機関の経営もきびしいものがある。だからといって、地域の患者さんを無視してサッサとやめてしまう訳にはいかない仕事も沢山ある。職員をはじめ、住民の協力も得ながら、なんとか力を合わせてがんばっているというのが実感である。

 目新しければいいというものではない。ここでも「何を大事にするのか」をしっかりと踏まえた新たな戦略が常に求められている。

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04年 7月 1日 曲がり角に立つ日本

 イラクの現状や劣化ウラン弾による汚染の実態を取材し、告発しているフォトジャーナリストの森住卓さんの写真の中に、砂嵐によって光が遮られて昼間でも赤っぽく写っている1枚がある。

 劣化ウラン弾で汚染された土壌の上を砂嵐が吹き荒れ、塵状になったウランの微粒子がイラク全土、さらには国境を越えて飛散しているという。

 この赤っぽい写真を見て、99年の足立区長選で撒かれた謀略ビラを思い出した。誰が見ても気持ちの悪いものだったのでさっさと捨ててしまったが、上質の紙に、下町の路地裏がフィルターを通して真っ赤に写されたビラだった。

 そこには、「共産党にお尋ねします。」とか「最後は暴力革命ですか?」とかの文字がデカデカと並んでいた。

 「色メガネで物を見ると、こんな風に見えるものか」とその時、私は思った。

 微粒子になった劣化ウランとその放射能の怖さは、目に見えないことだ。そしてこの色メガネも、大事なことを見えなくしてしまう。

 参院選が始まっているが、年金問題にしても、消費税にしても、自衛隊の多国籍軍参加や憲法改正の動きにしても、日本の国の根本にかかわるような内容が問われている選挙だ。しかも最近では、ワンフレーズかなにか知らないけれど、白昼堂々平気でウソがまかり通るようになっていることも心配だ。

 考えてみれば、選挙になって「私は改革やりません!」とか「ドンドン無駄遣いします!」なんて言った人は見たことがない。看板だけ見たら全員改革派なのだ。問題は、その中身が本当に私たちのためになるのかどうかという点だ。

 色メガネでなく、本当のことをしっかり見抜かなくては、と思う。

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04年 6月 2日 身体の抵抗力

 5月は次々といろいろニュースがあったのだが、私は10年ぶり位に風邪をひいてしまった。仕事をしながらなので、寝込んでしまうほどではないのだが、1週間以上も咳が止まらない。夜中、自分の咳で苦しくて目が覚めてしまい、寝不足気味だ。

 今までなら風邪気味と言っても、3〜4日で治っていたのに、治りが悪い。同年代の医者からは「だんだん長引くようになる年頃なんだ」と、「少しは生活習慣も反省したら」という顔で、言われた。

 要するに、身体の抵抗力が徐々に低下しているということ。

 風邪のウイルスそのものは、そこらに普通に存在しているらしい。問題は、ウイルスの取りつく相手がなければそのままだけれど、抵抗力の落ちている対象が見つかれば、めでたく感染成立・風邪発症!というわけだ。

 5月16日に西新井で、今年は小森陽一さんを招いて「憲法のつどい」が開かれた。憲法の意味、教育基本法と学校教育の現場の状況など、熱のこもったお話を聞くことができた。印象深かったのは、憲法は国家権力を暴走させないために存在しているという点だ。

 たしかに憲法99条「憲法尊重擁護の義務」には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とある。国民に向かって、憲法を守れとは書いていない。

 わざわざ言っておかなければ、さぼったり、無視したり、スキあらば暴走しようとしたりする可能性のあるものに対して釘を刺しているのだ。

 「今の憲法はアメリカから押しつけられたものだ!」と力説する人がいる。形式的には国会で決めたものだが、実態は押しつけだったと言う。しかしそれなら、何故押しつけられた「日米安保条約」の方も問題にしないのだろうか。

 こういう類いのご都合主義が、最近ではもっともらしい顔して通用するようになってきている。

 抵抗力は普段は目に見えないものだ。

 私は、日本国憲法こそ、平和な日本という身体の大切な抵抗力なのだと思う。

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04年 5月15日 喰わせもの

 毎週、東京近郊にある診療所に出かけているのだが、最近田んぼに水が入った。これから夏を迎えて、蛙がゲロゲロ鳴き始める。

 ところで、この田んぼに引いている用水路の水は、なんだか生活排水まじりのドブのようで、あまりきれいではない。

 それでもお米はできるから、このお米は出荷されて誰かが食べていると思うのだが、どうも自分の家では、コシヒカリとか秋田こまちを購入して食べているらしい。

 そんなことを言っても、日本中で農薬たっぷりの中国産ゴボウだとかアメリカ産遺伝子組み換え大豆だとかを食べているのだから、驚くほどのことではないのかもしれない。

 「知らないと一杯喰わされる」というのは、食べ物だけの話ではない。

 何と言っても一番の「喰わせもの」は今回の年金改悪だ。

 誰が未納だとか未加入だとか言ってるうちに、法案は衆院通過。衆院を通ったところで公明党が未納発表。さらに今度は小泉首相が今ごろ発表。自民党だけはかたくなに公表拒否。福田官房長官も未納3兄弟も菅直人もすっかり霞んでしまった。

 しかし忘れちゃいけない大問題は、保険料は上がり、給付は下がるという、その中身だ。現役時代の5割は保障すると言っていたが、それは給付開始時点の話で、その後は徐々に下がっていくという。

 しかも、ドサクサ紛れの自公民三党合意が、どう考えても怪しい。「100年安心」とか言うのなら、いったん白紙に戻して出直すべきである。国民の関心もかつてなく高まっている。国民的議論を起こすチャンスではないか。

 国民年金法の第1条には、「国民年金制度は、日本国憲法第25条第2項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によって防止し、もって健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする」とある。

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04年 4月19日 危険なリーダー

 イラクでの人質拘束とその後の解放のニュースで、この10日間くらいはもちきりだった。

 まだ解放されていない他国の人質も沢山いるし、何よりもアメリカは停戦とはいえファルージャを包囲したままの状態で、報復皆殺し作戦を継続中だ。すでに住民700人以上、米兵70人以上が死亡しているという。

 ひと安心でもしたのか、日本では「自己責任」だ、「金を払え」などと政治家や一部ジャーナリズムが言い出した。

 そもそも自衛隊など派兵したら、以前から活動していた民間のNGOがかえって危険になる…と言われていたのに、「安全だ」とか「人道支援だ」とか言って自衛隊をイラクに派兵するような、小泉首相の存在こそ、かえって日本と日本人を危険にしているのではないか。

 アメリカ人だって、そろそろブッシュが大統領でいることが、むしろアメリカを危険にしていると感じ始めているように見える。

 自民党、公明党も、まず自らの「自己責任」を問い直すべきである。金の計算をするなら、いったい自衛隊派兵にいくらかかっているのか?!

 04年度予算・イラク派兵経費は135億円、03年度予備費支出と合計で377億円、ただしそのうち250億円は軍事機密のため、内容は不明。それとは別に、ODA予算で「イラク復興支援」経費として、03・04年度あわせて1,650億円。すべて私たちの税金だ。

 この事件の数日前、福岡地裁が小泉首相の靖国神社参拝に憲法違反との判断を下した。

 これに対して小泉首相は「よくわからん」を繰り返した。自分の意に添わなければ遵守する気はないらしい。

 憲法改正には熱心だが、現憲法が気に入らないから「よくわからん」では、いくら改正したって、気に入らなければ「よくわからん」になってしまうという論理矛盾に気づかないのだろうか。

 日本国民の安全のためにも、まずは現憲法をしっかりと守ってほしいものだ。

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04年 4月 1日 劣化ウラン弾の罪悪

 私の働いている医療法人で、映画監督・ジャーナリストの鎌仲ひとみさんを招いての学習会があった。イラク戦争で使われている劣化ウラン弾による環境汚染の実態、白血病が多発しているイラクの子どもたちの話など、映像とあわせての2時間は衝撃的だった。

 劣化ウラン弾は91年の湾岸戦争から使われ始め、その後コソボ、アフガンでも使われ続けられている。

 湾岸戦争に派兵された米兵約65万人。戦闘で戦死した兵士約200人。戦後「湾岸戦争症候群」で苦しむ兵士が28万人といわれているが、派兵前に書かされた誓約書のため訴えることもできず、正確な実態は明らかにされていない。

 重金属による体内被曝では、感覚マヒなど水俣病によく似た症状が現れるのが特徴だそうだ。詳しくは現在上映中の「ヒバクシャ 世界の終わりに」を見てほしいとのこと。ちなみに湾岸戦争の戦費の80%はわが日本の税金でまかなわれた。

 話は尽きないのだが、アメリカ帰りの友人に「今のアメリカには『愛国法』ができたので、劣化ウラン弾についてのこんなキャンペーンをやったら、すぐ逮捕されてしまう。日本はまだいいね」と言われたそうだ。

 ひたすらアメリカの真似ばかりしている日本だ。そんなに呑気なことも言ってられない。

 私から見たら普通でない人たちが「普通の国」なんて言い出したと思ったら、早速憲法改正を声高に語り出したではないか。

 マスコミへの圧力と自主規制。いかに大事な情報が伝えられていないかを思い知らされた。

 東京でも、学校教育の現場で自主的に行われてきた卒業式に、「国旗掲揚・国歌斉唱」をはじめ、「一段と高く演壇をつくること」など細かいことまでが指示され、これに納得できずに起立しない教員が大量に処分された。

 今だから言えるのだが、まだ逮捕まではされていない。

 「愛国心」というが、愛すべき国とはどのような国のことを言ってるのだろうか。

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04年 3月 7日 政治活動は良いことだ!

 本当に驚いた。自宅近くでビラを配った公務員が、「公務員であること」を理由に警察に逮捕された。仕事の時間中だった訳ではない。

 家に帰ってから何をしていようと自由だが、政治活動だけはしてはいけないということか。

 こんなことが、憲法改正の大合唱と並行して進んでいることにそら恐ろしさを感じる。

 そういえば私が高校生の頃、原水爆禁止の運動に対して、「高校生だから政治活動はいかん」と言う教師がいた。「高校生の頭の上だけは死の灰が降らないと保証してくれるのか」と反論したことがある。

 「公務員だから」とか「高校生だから」とか言うのが似ているので思い出した。

 ところでここ数年、民医連の病院・診療所や介護関係の施設の建設が進み始めると、必ずと言っていいように、創価学会員などによる建設反対運動が始まるようになった。

 あたかも住民運動のような装いだが、その主張の中心は「この施設は政治活動の拠点になるからダメ」ということだ。

 議会の多数を使って、行政に直接・間接に圧力をかけたりする。ひどい場合は、補助金支出の条件として「政治活動をやらない」という誓約書の提出を求めた例まである。

 この人たちの本音は「政治活動=悪」ということか。行政では「情報公開」とか「パブリックコメント」とか言ってるけれど、本音がこれではみんなウソくさく聞こえてしまう。

 私たちが、患者負担増になる医療改悪に反対したり、介護保険の改善を求めたりする活動は、すべて立派な政治活動である。

 民主主義は選挙の時だけではない。選挙の後だって、なんでも行政におまかせではないし、黙って従うばかりでもない。必要な時には意見だって表明するし、自主的な活動にも積極的に取り組む。それこそ、主権者としての住民に必要な姿勢であり、むしろ大いにすすめられるべきことだ。

 政治活動をやらない主権者などありえない。

 政治活動はもっと活発にやるべき、良いことなのだ。

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04年 2月18日 人間使い捨て計画

 現在、東京23区(千代田・渋谷を除く)では、4月からの国保料値上げ提案が予定されている。多摩地区では、すでに条例提案されているところもあるという。

 医療の現場も深刻だ。最近では「保険証の確認をしっかりやるように」と言われている。先月と同じだと思っていたらリストラで保険が変わっていたり、無保険状態でそのまま未収金になることも多い。

 若者は就職難、中高年は倒産やリストラに直面。高齢者もわずかな年金から、医療費や介護の費用まで捻出しなければならず、さらに難病や障害者への助成までカットされようとしている。

 あたかも「人間の使い捨て」の様相だ。

 その一方で、いよいよ自衛隊がイラクに派兵され、日本は戦争する国へと足を踏み出した。

 アメリカでは、就職口の無い若者が真っ先に軍隊への入隊を希望すると言われている。

 中高年や高齢者だけではない。若者も「使い捨て」の対象なのだ。

 難破しそうな日本丸を修理せずに、定員を減らして、余分な人間を海に突き落とそうとしているのかしら。

 誰しも、自分だけはなんとか助かりたいと思うのかもしれないが、こんなところで足を引っぱりあっても仕方がない。

 みんなで船を直すことを考えなくては、と思う。

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04年 1月26日 共産党大会

 1月は新年会とか名刺交換会とかがあるのだが、足立では今でも私のことを共産党の代表と思っている人がいて、いろいろ声をかけられることがある。

 その共産党の大会が1月に開かれ、40年ぶりに綱領が改定された。新聞には天皇や自衛隊のことが書かれているが、私が一番注目しているのは、経済における市場の役割を認め、歴史的に位置づけた上で、「市場経済を通して社会主義へ」という点だ。

 ソ連・東欧の崩壊という出来事は、10年以上経った今でも、人によって違いはあるけれど、様々な形で尾を引いているように見える。

 ふり返って見ると、それはソ連型社会主義の失敗であり、私なりに言えば、生産手段の所有の問題を国有化に代替させ(矮小化し)、経済における市場の機能までも一部官僚による計画経済に代替させたことの失敗だった。

 その点で、スウェーデンの社民党政権のとった戦略は、現実的とも妥協的とも見える。

 彼らは、国民の暮らしに直結する医療・福祉・教育等については、市場原理ではなく、これをしっかりと保障する一方、経済の領域では、市場経済にもとづく経済活動に力を注いだ。

 「社会主義=国有化」と思われていた1930年代に、産業国有化政策の放棄を明確にし、政権を担当することになる。

 ただし、その時代は、大資本の経済活動が戦争政策と深く結びついていた時代でもあった。

 この「戦争と平和」の問題、またドイツとロシア(ソ連)という大国に挟まれた地勢学上の問題などをどう見るかによっても、その評価は分かれるところだろう。

 しかし少なくとも、ソ連のように崩壊せず、比較的安定した経済運営を進めてきたことは確かである。

 現在の世界に求められている方向を考えるとき、このヨーロッパの社会民主主義諸勢力の経験は重要である。

 この経済運営の経験と積極的平和戦略こそが21世紀の鍵を握っており、日本での「二大政党?」に代わる第3極の柱になるのではないか、と私は思っている。

 いまだに「経済と戦争」が結びついた時代錯誤の国や、それに追従する情けない国も身近に存在してはいるが、世界の流れは「経済と平和」を両立させる方向である。

 ヨーロッパでは、これまでも幾度となく血を流し合い、第2次世界大戦では占領まで経験したドイツとフランスが中心にEUの統合が進み、大きな経済ブロックを形成するとともに、戦争や武力行使では明らかにアメリカとは違ったスタンスを築きつつある。

 歴史的ともいえる相違点が相対化してきた今、新しい第一歩を踏み出すためには、新しい力を結集するために真剣に努力するときなのだと思う。

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04年 1月10日 2004年・わが家の正月

 年末年始は、年賀状づくりと宛名書きでほとんど時間を使ってしまった。自分の絵を描こうと思い、はじめて「お絵かき」ソフトに挑戦しましたが、何しろ初心者。うまく線が描けない、途中で塗りつぶしをクリックしてやり直し、コピーの拡大や移動がうまくできない等々、悪戦苦闘しました。

 しかしやればできる!何事もチャレンジ精神ですな。私のモットーは「成長するオジサン」です。

 家にばかり居るのもおもしろくないので、正月には、女房・娘と一緒に「人体の不思議展」に行きました。

 内容もそれなりに充実していたのですが、何と言っても私が一番驚いたのは、その見学者の多いこと。なかなか前に進まないくらい混雑しておりました。

 しかも、年配者から若いカップル、子ども連れ、疲れてしまったのか、気持ちが悪いのか、脇の方でしゃがみ込んでいる中学生など、世代も幅広く分布。

 喰い入るように展示物を見る見学者の、その飽くなき好奇心は、日本人の潜在能力の大きさを示している気がします。

 ただ、この好奇心、まだまだ「受け身の好奇心」。これが「何かを変えたい」「何かを成し遂げたい」という気持ちと結びついたとき、はじめて私たちが一歩前へ踏み出す力になるのではないでしょうか。

 今年も大いにチャレンジ精神でがんばりましょう。

 翌日、ちょうど釣り帰りの人から魚をもらいました。その魚を女房が「ここが魚の脳ミソで」とか「ウーッ思い出す、気持ち悪!」とかいいながら、さばいておりました。

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04年 1月 3日 新年おめでとうございます・2004年

 新年おめでとうございます。2004年になりました。

 昨年末はパソコンが壊れたりして、すっかり「ひとこえ」をさぼっておりました。すみません。

 さて昨年はまことにあわただしい1年でした。イラクで戦争が始まり、世界中で反戦のうねりが巻き起こりました。私自身も区長選挙をたたかい、その後総選挙もありました。

 夏頃は、虎フィーバーでしばらく明るい気分でしたが、総選挙の結果を見て、正直少々のんびりしていた私も、「こりゃあ頑張らないと大変だ!」と思ったものです。

 その後の自衛隊のイラクへの派兵、平気でもっともらしい詭弁がまかり通る状況を見ると、ますますその思いを強くします。

 小選挙区制という「毒まんじゅう」が今頃になっていよいよ効いてきて、日本中がしびれ始めているのでしょうか。自分で喰った人は自業自得かもしれませんが、喰わされてしびれるのは国民全体です。

 しかも「二大政党制」なんていう2個目の「毒まんじゅう」まで用意されているんですから。

 こんな「毒まんじゅう」じゃなくて、本当に国民が喰える「まんじゅう」を目に見える形にしなければ!と「吉田まんじゅう」は心から思うのです。

 21世紀も4年目に入りました。あとから考えると、21世紀がどんな時代になるのか、今、大事な時をむかえているのかもしれません。

 弱肉強食と戦争の時代ではなく、みんなが助け合い、平和で幸せな時代にしたいものです。

 今年も元気にがんばりましょう。

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03年11月 5日 今の政治は「非礼である!」

 いよいよ総選挙の投票日も間近に迫った。

 選挙の直前、自民党の中曽根さんは引退を余儀なくされて、「非礼である!」と息巻いた。日本中の老人を敵に回すことになるぞ、みたいなことまで口走った。

 しかし全国のお年寄りは、あなたに言われなくても、すでに十分非礼な扱いを受けているのではないか。

 病気になっても、経済的な理由で医療機関を受診しない人が増えている。

 私が3年ぶりに診療に出かけた訪問先の患者さんが、「入れ歯を直すといくらかかるのか?」と聞くので、「全部保険でできますよ」と説明したのだが、そんなことを聞いていたのではなかった。

 以前のように1回800円と思っていたら、医療保険と介護保険で2,000円を超える請求額を見て驚いていたのだ。

 イラクの米軍に出す金はあっても、医療や福祉など、国民が安心して暮らすための社会保障に出す金はないのだろうか。

 国民の誰しもが、経済は良くなってほしいと願っている。

 しかしそれは、不良債権処理の名の下に中小企業をつぶし、リストラをすすめた輸出産業を中心とする大企業が業績を上げ、国際競争力をつけて、海外に工場を建設することが目標なのだろうか。

 そうではない。本当に願っていることは、国民が安心して暮らしていくためにこそ、経済は良くなってほしいのである。

 みんながだんだん苦しくなり、大企業の業績ばかりに目の向いた経済だったら、いくら良くなっても無意味である。

 選挙が終わると、また様々な政界再編の動きが出てくると言われている。

 その時、戦争をしない憲法9条を守り、国民の暮らしを第一に考えた経済への転換をめざす勢力が、どれだけの力を保持できるかが、日本の将来にとって重要な意味を持ってくるに違いない。

 大事な選挙である。

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03年10月21日 トカゲの尻尾どころじゃない!

 道路公団の藤井総裁を解任するとか、しないとか。反撃くらって大変だとか。なんだかトカゲの尻尾切りみたいだな、と感じている人は私だけではないはずだ。

 「死人がでるかもしれない」なんて話が耳に入ると、この藤井さんが、口封じのために自称右翼みたいな暴漢に襲われて、死人にされてしまうことなのかと想像してしまった。

 どちらが尻尾で、どちらが胴体か知らないが、今まで一緒に合体してやってたんでしょ、と思う。

 死人のたとえは、妙にリアリティーがあって怖い話だが、一般庶民のほうにはもうとっくに沢山の死人が出ている。自殺者だけで年間3万人以上だ。

 年間1万人前後の死者が出る交通事故については、春と秋に「交通安全週間」があるくらいだから、その3倍の自殺防止のためなら、2ヵ月に1回ずつくらい「生活まるごと安全運動」とか「自殺防止週間」があってもいいくらいだ。

 あちこちの街角に、「交通安全テント」あらため「なんでも安全テント」を張って、町内会の会長さんや婦人部の人が「よろず相談所」を開いたりしたら、このテント、今よりずっと役に立ちそうな気がする。

 しかしトカゲの尻尾にはご用心。ジタバタしている尻尾に気をとられていると、そのスキにこっちが「パクッ」とエサにされてしまうこともある。

 「痛みに耐えろ!」なんて言ってた人は、ブッシュ大統領におだてられて、今度は「死にも耐えろ!」と言うかもしれない。

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03年10月14日 第1、第2の自民党の違いを選択?

 衆議院が解散され、いよいよ総選挙が始まる。ニュースは自民党の総裁選、民主・自由両党の合併、道路公団に田中真紀子と盛りだくさんだが、いったい何が問題なのか。

 マスコミは政権選択とか言ってるけれど、郵便局を民営化すると日本は良くなるのか。高速道路が無料になれば少しはうれしい気もするが、国民は幸せになるのか。私には小手先のことにしか見えない。

 無駄づかいをやめることに反対の人はいない。しかし本当に無駄はなくなっているのか。地方でも都会でもほとんどがオール与党で、長崎の民主党なんか諫早湾の工事に賛成しているそうではないか。外務省の機密費も結局ウヤムヤ。イラク支援もいまだに根拠はアイマイ。「ちょっと待て!」と言わなければならない時だけは、共産党におまかせ?

 民主党も中身は今や第2自民党ではないか。

 明らかに世論はマスコミに誘導されている。マニュフェストだなんて、みんなテクニックを競っているが、大事なことはもっと根本的に何を直すのか、ということではないのか。

 なにが根本的かって?憲法改正まで小泉首相は言い出しているのだから。

 本質的な議論は目隠しされたまま、あとはやり方だけを選ばせられるなんて、まっぴらご免である。

 国民が安心して暮らせる為の経済運営はどうあるべきなのか。日本が世界から信頼を受けるような外交とはなにか。そういう選択の基準、新たな選択肢こそ必要ではないだろうか。

 新しい時代への第一歩になるような選挙になってほしいと願っている。

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03年 9月24日 テロ容認発言のもつ深刻さ

 自民党総裁選や内閣改造の楽屋話の陰で、石原東京都知事の暴言はもうウヤムヤにされてしまうのか、と思う。

 「爆弾仕掛けられて当たり前」なんて暴言は許される訳がないが、自分の意に沿わない人間が対象であれば、「当然!」と言ってはばからない感覚にも驚かされる。

 発言への批判が無視できなくなると、今度は「彼がそういう目に遭うのは当然のいきさつ」と居直ってみせるのも、石原氏のいつもの行動パターンだ。

 それでいて裏では、自分に批判的な人間を遠ざけるように圧力をかけるというから、あきれてしまうが、こんな暴言や暴走を許してしまう社会の雰囲気がむしろ危険な気がする。

 そういう私も、子どもがまだ小さかった頃、なかなか言うことを聞かないので、つい感情的になって尻などをひっぱたいたことがあった。私だって、きれいごとばかり言うつもりはない。

 しかしである。「口で言ってもわからないから、ひっぱたいてもいい」という理屈を認めるとなると、それは天と地ほどの違いになる。

 こういうことは、大きな力の差があるから言えることで、その理屈を認めるのなら、子どもが成長し力をつけた時には、言うことを聞かない親はひっぱたかれることになる。

 テロリズムは、弱者の最後の抵抗手段のようにも言われてきた。

 しかしいかに弱者であっても、テロを認めるような理屈に与する者は、一旦それが力を持ち権力を握るようになれば、その力を使って、合法的テロリズムと言えるようなきわめて非人間的な行動をとることは、多くの歴史が示しているではないか。

 しかも石原東京都知事はすでに弱者ではない。その感性はともかく、公的な立場にある者のテロ容認発言は、力を持った強者の発言であるからこそ、その悪夢がより現実に近く感じられる。

 今、許してはいけないのだ!

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03年 9月10日 コロンブスと桃太郎

 9月7〜8日、私の働いている医療機関や薬局、福祉施設などで構成されている全日本民医連の「共同組織」の活動交流集会が開かれた。

 共同組織とは、全国各地にある病院・診療所などの「友の会」や医療生協組織の総称で、地域での健康づくり、介護分野をはじめとするまちづくりの活動など活発に活動を展開している。

 1日目の分科会に続いて、2日目の全体集会ではノンフィクション作家で評論家の柳田邦男さんの記念講演があった。

 「これからの患者、これからの医療者」と題しての講演で、医療とは、患者さんと医療者の共同作業であり、情報を共有するための努力やその進め方などについてが話された。

 講演は「視点が違うと物事は違って見える」という話から始まった。

 私たちは「1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した」と学校で教わってきたが、アメリカインディアンなど元々そこに住んでいた人間から見れば、「はじめてヨーロッパからやって来たコロンブスに出会った人は誰か?」ということになる。

 さらに、そのときコロンブスは、初めて出会った酋長に向かって「我々は大変強力な武器を持っているので、あなた達の安全保障は我々にまかせるように」と言ったのですが、その酋長は「???私達は今でも十分安全です」と言ったとか言わないとか、そういうオチまでついている話である。

 私は、どこかで読んだ中国の桃太郎の話を思い出した。

 「昔々あるところに平和な村がありました。ある日、桃太郎という日本の海賊がやって来て、人のことを勝手に鬼だと決めつけ、村人をバッタバッタと斬り倒し、村の宝物をみんな持ち去っていきました」という話だ。

 その時、子供の頃から慣れ親しんできた桃太郎が悪者にされていて、私は少なからずショックを受けたのですが、視点が違うと話が正反対にもなるものなんですね。

 医療分野でも、「患者さんの立場に立つ」と口で言うのは簡単ですが、相互理解にはまだまだ努力が必要です。

 医療関係者もそうですが、最近の日本の政治家にも聴かせてやりたい講演でした。

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03年 8月 3日 これからどうする阪神タイガース

 8月になってようやく梅雨明けらしい。天候との因果関係は不明だが、今年は阪神タイガース優勝間違いなし!と言われている。

 実は私はタイガースファンである。大した理由はない。子どもの時、同じ名前の「吉田」という選手が居たからだ。しかも小柄で活躍するのが、同じ小柄の私の思い入れをさらに強くした。

 子どもが野球をやるようになると、高校野球の方がずっと面白くなったが、義理堅い私としては、プロ野球はやっぱり阪神である。

 今年は18年ぶりに「柳原・みさと健和病院通信」から原稿(症例報告?)の依頼がやってきた。以下、若干手を入れて紹介する。


 阪神タイガースが快進撃を続けている。

 これまで阪神は万年Bクラスである。最下位だって指定席に近い。阪神は滅多に勝たないし、優勝もしない。建前で優勝をめざすと言う監督がいても、ほとんどのファンは本気にはしていない。

 だから、たまに勝つと人一倍うれしいけれど、あまり経験したことがないので、喜びよりも驚きのほうが先行して、屈折した笑い方になってしまう。(胸が苦しくなって、死にそうになった議員もいたくらいだ)

 熱狂的なファンも居るが、普段は口に出さず静かにしているファンが多い。したがって阪神の調子が良くなると、どこからともなく沢山のファンが湧き出るように出現する。

 球団の体質改善の必要性もよく語られたが、実際に改善したかどうかは誰にもわからない。

 阪神ファンは他人の意見をあまり聴こうとしない。応援団の方がうるさい。勝っても負けても阪神ファンである。

 阪神がたまに優勝することは、プロ野球にも刺激になってとってもいいことだと思うけれど、「阪神が本当に強いチームになるかどうかは、これからの課題だな」と、あまり長続きのしなかった私はしみじみ思うのである。

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03年 7月20日 日本の最先端はどこ?

 先日講演を頼まれて札幌へ行った。時間的余裕がなくトンボ返りしたので、ほとんど寄り道もできなかった。

 札幌はそれなりににぎわっていたが、北海道はどこでも不況の影響が深刻だそうだ。大きな企業もなく、農業もダメとなれば、たしかに厳しいものがある。

 しかし考えてみれば、北海道は日本の現状を先取りしているとは言えないだろうか。

 拓銀がつぶれた時には本当に驚いたが、その後さらに大きい銀行の倒産・合併などが続いたので、今ではさほど驚きもしない。

 大きい企業がないと言っても、今では日本そのものから「ものづくり」の拠点がどんどん中国・東南アジアに移り、空洞化の進行は急速である。

 まだ豊かな自然が残っており、なんとか農業で頑張っている人も居るのだから、北海道には新しい時代の地域の再生への足がかりが、まだあるようにも思える。

 森林の伐採などで豊かな土壌が流出すると、土地が荒廃してしまうように、地域社会から生活機能が流出すれば、大都市も過疎化する。人間の生活する「場」としての地域社会の再生が求められている。

 講演の中で、昨年秋出版された神野直彦著の中公新書「地域再生の経済学」を紹介させてもらった。

 そのあとがきの中で、訓覇法子(くるべのりこ)さんが出てくる。一昨年私が参加した「北欧の医療・福祉視察」でコーディネーターを引き受けてくれた素敵な女性である。

 もっとも、生半可なことを言うと逆に鋭いツッコミを受け、タジタジとなってしまうので、観光気分の人には毒気が強すぎるかもしれない。

 話が横道にそれたが、人間的な地域の再生に向けて、日本各地でさまざまな動きが始まっている。

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03年 7月 8日 組織力の違い

 選挙が終わった後に、当選した鈴木陣営の事務所に応援に行った人のお話を聞きました。町会の婦人部などでつながりのある人を中心に沢山の人が応援にかけつけ、受け入れ側も大変ニコヤカに応対してくれたそうです。

 商売をしている人なら常識に属することだと思いますが、「ニコヤカに応対」なんて、なかなか出来そうで出来ないことかもしれません。

 選挙の中で感じたことに「組織力」の違いがあります。

 組織力とは、人と人のつながりの広さ、大きさ、とも言えるのではないでしょうか。

 応援する政党、団体、議員の数もそれを示していますが、それはむしろ、そのつながりの結果として表われる数とも言えます。

 人と人とのつながりは、業界団体のように同じ利害を共有する場合もあれば、宗教や思想などの価値観を共有する場合もあるでしょう。しかし、地域社会におけるごく普通の姿は、もう少しゆるやかな人と人との関係のようです。

 そういう意味では、本人の自覚の有無は別として、鈴木さんの陣営の方がずっと市民運動的な選挙だったと言えます。

 今年は阪神タイガースが絶好調。夏の高校野球の予選も始まりました。

 野球でも組織力という言葉が使われるがあります。一発逆転のホームランも魅力的なのですが、なんと言っても連携プレーやチームバッティングなど、あたり前のことをあたり前にできるような基本練習こそ、強いチームをつくるための鉄則だと言われています。

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03年 6月23日 今後につながる「くらし第一こそ…」の政策

 早いもので選挙が終わってから、あっという間に1ヵ月過ぎた。

 次の仕事が始まる前に、私なりに選挙を通じて印象に残ったことを記しておきたいと思う。

 そのひとつは、選挙前に自称保守系の経営者とお話しをした時のことです。

 「吉田さんは医療や福祉に力を入れるんでしょう?」と聞くので、「勿論そうです!」と答えると、「弱者救済は必要だが、あまりやりすぎないようにしてほしい」と言うのです。

 長引く不況の中でも、なんとか踏んばって商売を維持し、税金を納めている人間から見ると、「福祉の増進」というと、イコール自分たちの納めた税金が社会的弱者にみんな吸い取られてしまうようなイメージを持っているのです。

 いわゆる社会保障の充実が経済発展の足を引っぱる、という20年以上も前の二元論が、一般庶民の中には深く浸透していることを痛感しました。

 私は、今では大手ゼネコンによる大型事業よりも、福祉・教育・環境・住宅などの生活関連の事業の方が、地元への発注や地元での雇用創出でも地域経済への波及効果が大きいことを説明しましたが、十分理解してもらうまでには至りませんでした。

 複数で争う議員選挙と違って、過半数を争う選挙においては、物理的にも精神的にも地域社会を支えている、このサイレント納税所得層というべき人たちの動向が、結果を左右します。

 私の政策の柱は、単なる「くらし第一」ではなく、「くらし第一こそ、不況打開のカギ」というところまで訴えることで、はじめて幅広い支持を得ることができると確信しました。

 区民の中でそれなりの理解を得ることはできましたが、まだまだ十分ではなかったというのが、選挙結果の示す約14万対8万という数字ではないでしょうか。

 しかしこの「くらし第一こそ…」の訴えは、今後につながるものであり、選挙後もさらに広がっていく内容を持っています。

 場合によっては、2期目の鈴木区政の中でも、部分的に形を変えて活かされることすらあるかも知れません。

 そのためにも、私たちの区政に対するウォッチングと働きかけは、引き続き大切だと感じています。

 印象に残ったことはまだまだあるのですが、字数の関係もあり、次回以降にさせて頂きます。

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03年 5月19日 勇気をもって歩き始めよう

 選挙の結果をご報告します。残念ながら当選できませんでした。みなさんからの沢山のご支援、ご協力に対し、この場をお借りして深く感謝いたします。

 力及ばず、と言えば当然ではありますが、大きな壁を打ち破るまでの力がなかったということです。

 しかし、私はここで真っ先に「みんな、勇気を失うな!」と叫びたい気持ちです。

 敗北はつらいことではありますが、大切なのはその中で自らの弱点を見出し、さらに成長していけるかどうか、ということです。ただ負け続けていたのでは意味がありません。

 この選挙戦を通して得られた、政策上、運動上の貴重な経験や人間同士の絆は、今後いろいろと形を変えながら、必ず足立区を草の根から支えていく力になっていくはずです。

 足立区が「区民にとって良いまち」になるように、新しく選出された区議会議員にも期待しつつ見守るとともに、少しでも区民のお役に立つことなら、私もお手伝いしようと考えています。

 みなさんからのあたたかいご支援に重ねてお礼を申し上げ、とりいそぎのご報告と致します。

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03年 5月10日 いよいよ決戦の時!

 足立区を「本当に安心して暮らせるまち」「住んでいて良かったと言えるまち」にしていく大事な選挙が始まります。

 私の街角での訴えを、やや遠くで聴いていたお年寄りが、終わると近づいてきて、小さな声で「頑張ってください」と手を握りました。

 いくら立派な玄関を作っても、いよいよ一人暮らしが大変になると、誰も面倒は見れないと言うので、泣く泣く見知らぬ土地へ引っ越さなくてはならないような、そんな冷たい「まち」だったら、私は立派な玄関なんていりません。

 リストラや倒産の心配はあるものの、なんとか会社勤めをしている人にしても、不況の中でなんとか仕事や商売をやりくりしている人にしても、私たちの日本が、そして私たちの足立が、実は大きな借金という軟弱地盤の上に立っていることを考えたら、これまでのようなお金の使い方は切り換えなければ、ますます泥沼にはまることになります。

 子育て、介護、営業支援、教育、環境など、くらしに身近な仕事に重点を移す「くらし第一」型への転換こそ、地元の仕事や雇用をふやし、私たちの足元から地域経済を良くして、日本経済の景気回復にもつながる、もっとも確かな道です。

 この1週間、力のかぎり「くらし第一の区政を!」と訴えるつもりです。どこまで訴えきれるか、ご支援の輪、世論の輪がどこまで広がるか、が勝負になると思います。最後の最後まで頑張ります。よろしく。

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03年 5月 7日 公開討論会から逃走した区長

 4月30日(水)は西新井文化ホール(ギャラクシティー)で「くらし第一の足立をつくる区民集会」が開かれた。1200人の参加者で会場は満員になった。

 だんだん選挙が近づいてくると、いろいろなことが起きてくる。しばらく前に警察から、ポスターが選挙違反だと通告が来た。ポスターの「くらし第一、…」が吉田万三を連想させる、というのだ。私のホームページにも「くらし第一、…」というキャッチフレーズが載っており、これは吉田万三と一体のものである、とのこと。

 しかし、こんな所にホームページを見ている人がいたなんて!どおりでヒット数もふえる訳だ。

 「出世のさまたげ」になる人は、くれぐれも掲示板には実名など、書かないように気を付けてくださいね。

 5月1日(木)には東京青年会議所から、「公開討論会」が中止の方向だ、と連絡が入った。あんなにきれいなポスターも作り、チラシもあちこちに配ったのに。

 出席予定だった鈴木区長は、いよいよ直前になって怖じ気づいたのか、区民の関心など低いままの方がいいと思ったのか、「考え方の違う人と討論しても意味がない」というような理由をあげたそうだ。

 それにしても、足立区の有権者をバカにしている。どこが違っているのかが大事なのにね。青年会議所のメンバーは熱心に説得したらしいのだが、よっぽど出たくなかったらしい。

 驚いたことに、5月2日(金)付の読売新聞江東版にデカデカと「公開討論会、急きょ中止」という見出しとともに、記事が掲載された。青年会議所の事情で、中立性に責任が持てないため中止を決めた、というように書いてある。御丁寧にも鈴木区長の「地元の委員会がやらないと言っているのだから仕方がない」というコメントまである。

 しかし真実を知りながら、こういう記事を書く読売もどうかしている。これが本当なら、鈴木さんは二重の意味で区長の資質を問われる。約束していた公開討論会から逃げ出しただけでなく、真実を知りながら平然と他人に泥をかぶせ「仕方がない」と言う神経である。

 言いにくい内部事情もあったのだろうが、こんなことにくじけずに、今後もこのような企画は続けてほしいと思う。

 保守だろうと、革新だろうと、無党派だろうと、堂々と自らの主張をたたかわせることが民主主義の基本である。その力が無い者は、何者であれ、何党であれ、時代遅れになる。

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03年 4月21日 足立区は吉田万三が変える!

 5月18日投票の足立区長選まで1ヵ月をきった。駅頭や街頭での宣伝もはじまり、いそがしくなってきて「ひとこえ」を書く時間もなかなか取りにくくなってきた。

 ところで東京都知事には石原氏が再選された。

 都知事選投票日の3日前、区内在住の男性が事務所に訪ねてきた。「区長選で吉田さんを応援したいので話を聞かせてほしい」とのこと。

 二人で話していると、その人が尊敬しているのは石原慎太郎さん。石原さんは実行力があり、何か変えてくれそうな気がするのだそうだ。

 しかしである。「足立区は今の鈴木区長では何も変わりそうもない。吉田さんに変えてほしい」と言うのだ。

 いろいろと30〜40分お話ししましたが、最後は「そうです!足立区を変えることができるのは吉田万三です!」ということになった。

 長引く不況で世の中には閉塞感もただよっている。みんなこの閉塞感を打ち破ってほしいと思っている。

 見せかけの夢を語り、力強さを見せるパフォーマンスなら誰にでもできそうだが、みんなが待っているのは、不況を打開し、一般庶民が元気になる本物の変革だ。

 区内を走ると、おどろくほど沢山の人が手を振ったり、笑顔で挨拶してくれる。「力いっぱい頑張ろう」という気持ちがますます湧いてきた。

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03年 4月 8日 「くらし第一」こそ景気回復のカギ

 4月に入って桜も満開になった。しかし心がなんとなく重い。やはりイラクでの戦争のせいだろうか。

 案の定と言うべきか、戦争が進むにつれ、民間人・子供たちの被害が増えている。

 軍事的には圧倒的優位に立つ米英軍の勝利は、時間の問題と思われるが、「その後がどうなるのか、」が実はさらに問題だとも言われている。その先が見えないことへの不安は大きい。

 足立区内どこへ行っても、景気が悪いという話をきく。不況そのものも深刻だが、それに輪をかけているのが、やはり先の見えない不安だ。

 バブル崩壊後10年以上経つ。この間、日本中で掘ったり埋めたりを繰り返したが、一向に景気がよくならない。

 最近では「都市再生」なんて看板に書き換えて、再加速の勢いだ。

 これに目先を変えた「特区構想」を組み合わせて、本当に景気は回復するのだろうか。

 本当にみんなが幸せになるのだろうか。

 私は最悪のコラボレーションに思える。

 4月5日に、竹中経済財政政策担当大臣が足立区に視察に来た。竹中さんの眼で見ると、今の足立区は優等生に見えるようだ。喜んでいいのだろうか?余計景気が悪くなりそうだ。

手を変え、品を変えても、根本のところを変えなければ、景気はよくならない。

 私は今こそ、「環境・福祉型経済」への転換が必要だと思う。

 足立区の事業がいい例だ。デジタルファクトリーだとか駅前再開発は最優先になっているが、学校の耐震診断・耐震補強工事や高齢者の施設建設など、くらしに身近な生活関連の事業は後回しになっている。

 「くらしに役立つ」という大前提は、世界の公共事業の常識である。

 ヨーロッパの公共事業は、住宅建設や高齢者の施設建設、コンクリートで固めた河川を自然に戻して、みんなが遊べる河川敷をつくるなど、まさに「環境・福祉型」である。

 それこそが、みんなを幸せにし、経済もよくなる道ではないだろうか。

 「くらし第一こそ、景気回復のカギ!」と区内あちこちで訴えている。

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03年 3月25日 「戦争NO!」の高校生は日本の希望だ

 3月20日、とうとうブッシュがイラクで戦争を始めた日、徳島県議会では新年度予算を可決した直後、大田正知事の不信任が提案され可決された。

 「県政の停滞と混乱を招いた」などと自作自演の混乱劇を理由にするところは、足立も長野も徳島も同じだが、議員の任期切れ間近かで、解散されても痛くも痒くもないところは足立の場合とよく似ている。

 自民・公明などは「汚職問題調査団」の設置を、世論におされて渋々認めたが、いよいよ調査開始という時期になると不信任をごり押ししたという。自分がそうだから、結局日本人は最後にはおとなしく強いものに従うと思っているのかもしれない。

 大田知事には、頑張って汚職利権構造にしっかりメスを入れてほしいと願っている。

 同じ日、中央教育審議会は教育基本法「改正」案を文部大臣に提出した。「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」を目指すのだそうだ。

 21日には渋谷で高校生が「戦争NO!」の集会を開いた。私は日本の未来に光を見る思いだった。若い世代が自らの頭で考え、自らの意志をハッキリと表明する姿には新鮮な感動すら覚える。

 政治活動とは、納税者・主権者として政治に参加することである。

 「石原都知事の人気が高い」なんてニュースにふれると、テレビ等の発達により観客は増えたけれど、日本はまだまだ観客民主主義の国なのかなぁ、と思うこともあった。

 若い世代を見ていると、私の頃以上に主権者としての教育や訓練は欠如しているように見える。損得計算や買い物英語は得意だけれど、自らの考えを堂々と主張する能力がない人間は、真の主権者にはなれず、誰かに使われる将棋の駒のようになるのだと思う。

 グローバル化の時代である。昔ながらの日本で通用した「長いものには巻かれる能力」ばかりを身につけていたのでは、国際社会からも取り残されていく。

 本物の「郷土や国を愛する心」は、本物の主権者が育ってこそ生まれてくるものではないだろうか。

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03年 3月20日 ますます「今こそ平和を!」の声を

 イラクでの戦争がいよいよ始まるという。

 世界中の人々がその結末を不安視している。仮に短期間で戦争が終わったとしても、より大きな不安定を私たちに残すことになるのではないか。世界経済への悪影響も出始めている。

 アメリカは本当にとんでもない人を大統領に選んでしまった。民間人の死傷者もかなり出ることが予想されているが、ほとんど意に介していないようだ。

 戦争の理由だってかなり怪しい。はじめは「テロとの戦い」だったのだが、いつの間にか「フセイン政権の交代」になった。

 情けないのはわが日本の態度だ。小泉首相は、攻撃の前日になって勇ましく「アメリカ支持」を力説したが、カラ元気ばかりが目についた。もともとアメリカの理屈が無茶苦茶なものだから、日本自らの意志であるかのように振る舞えば振る舞うほど、国民への説明は苦しくなるばかりだ。

 日本がひたすら忠誠を誓っているブッシュ親分の目に映る世界は、「敵か味方か」と表現されている。本当は「家族か、使用人か、敵か」の三色くらいに色分けされているのかもしれない。

 パウエル国務長官が「アメリカ支持」を表明した30ヵ国を発表したが、並んでいるのがなんだか恥ずかしい。どう見ても友人が並んでいるようには見えない。

 日本が本当の友人なら、もう少しきちんと意見を言うはずだし、アメリカもそう思っているなら聞く耳をもつはずだ。だから多分あそこに並んでいるのは、使用人か子分なのだ。

 小泉さんが言えないなら、国民が言いつづけるしかない。「今こそ平和を!」戦争は憎しみとテロを増幅するだけである。

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03年 3月13日 誰が足立区の財政を悪化させたのか

 3月10日号のあだち広報に「4年前の区長就任当時、区の財政は危機的状況にあり、財政の健全化が大きな課題でした」と鈴木区長の挨拶が載っている。区議会本会議での区長挨拶は「実質単年度収支の赤字を5年ぶりに解消することができました」などと、もう少し手の込んだ説明だった。

 「吉田が赤字をつくった」などという宣伝は昨年秋頃からあったが、年が明けても相変わらずあちこちで聞く。そういえば4年前には、「吉田が足立区のお金を共産党本部に送ってしまった」なんていう口コミまであった。

 ところで実質単年度収支とは何だろう?

 なんだか収支なんて聞くと、家計の収支と同じように考えてしまうが、それは「実質収支」のことである。実質収支とは、単純に収入から支出を引いたもの(形式収支)から、さらに翌年度に繰り越すべき財源を差し引いたもので、各自治体の経済状態を示す基本的指標である。

 似たような言葉だが「実質単年度収支」とは、単年度の財政収支を示す指標ではなく、あくまでも対前年度との比較で黒字要素(または赤字要素)の増減傾向を示すものであり、その傾向を見て、翌年度以降の財政規模等の決定の参考にする指標である

 「実質」とか「収支」とか、よく似ているが、実質収支とも家計の収支とも全くの別物である。

 しかも2000年度(平成12年度)には鈴木区長は、国保会計に52億円も財源を移して(隠して?)、一般会計の黒字幅を圧縮し、赤字を演出した。

 財政の厳しさを言うのなら、足立区財政の最大の構造的問題は、将来にわたる巨額の財政負担である。現在足立区には約1,350億円の起債残高(借金)があり、毎年のローン(公債費)の支払いが家計を圧迫している。ちなみに2001年度(平成13年度)の決算では、公債費は172億円である。

 だいたいこんなに借金が増えたのは、鈴木区長が助役時代の1989〜96年(平成1〜8年)頃である。超割高区庁舎建設と土地の買い込みが2大原因といえる。関連経費を含めて700億円の区役所にもあきれるが、土地の買い込みもすさまじい。

 土地買い込み代金は、借金とは別枠の隠れ借金とも言われる債務負担行為で、当時約800億円といわれていた。

 バブル崩壊後に、元の高い頃の値段であちこち買い込んだ(買わされた?)ようだ。買ってはみたが5年以上そのままになっているものを「塩漬け土地」というそうだが、今や23区の塩漬け土地の70%は足立区にある。

 あたかも他人事のように「財政が危機的」とか「健全化」とか言っているが、よほど神経が図太いのか、もしくは麻痺しているのか、どちらかだと思う。

 いつまでも手玉にとられてばかりもいられない。とくに横文字や行政用語が使われる時は、要注意の時です。

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03年 3月 4日 3月3日はひなまつり

 3月3日は桃の節句、ひなまつり。春一番も吹いた。まだ寒い日もあるそうだが、だんだん暖かくなってくる。政治の世界も同じように、勝ったり負けたりしながら、だんだん春らしくなっていくのかもしれません。

 3月2日には足立でも女性団体(新婦人)の「ひなまつり行動」という集まりがあった。みんな「イラク戦争NO!」など思い思いの寄せ書きを持って集まってきていた。

 「チジミッパナシのニッポン」なんて言われるけれど、なんだか女性の方が元気なように見える。

 デンマーク在住の伊東敬文(ひろぶみ)さんのレポートを読むと、現在のデンマーク社会も昔からそうだったのではなく、1970年頃には今の日本とほぼ似たような状況だったようだ。「労働力に占める女性の比率」を比較してみると、よくわかる。

 デンマークでは1970年には女性の比率は39%に達し、それまでの男性中心の社会システムの改革の必要性に目覚める女性も増えてきていたといわれる。1990年では46%に達し、その後ほぼこのレベルで定着している。

 日本における女性の比率は、1970年で33.2%、1990年で37.9%、1998年で39.7%だから、現在がちょうど1970年頃のデンマークという訳だ。

 デンマークの女性は、労働に参加し、受身の納税者になるだけでは満足せず、さらに政治参加にも活躍の場を広げていった。

 デンマークの女性国会議員は、1970年には11%だったが、1981年には24%に急伸している。さらに1990年の選挙では34%になり、その後ほぼ同水準を維持しているという。現在北欧諸国はいずれも30%以上である。

 このことは国の政策にも大きな変化をもたらした。「くらしの中で何を重視するのか」すなわち政策の優先順位に男性と女性とでは違いがあり、保育・教育・高齢者介護・環境などが、国会の議題として高い優先順位を持つようになったのは、超党派の女性議員の力だったといわれている。

 ちなみに日本の女性国会議員は8%で先進24ヵ国中23位だそうだ。足立区では定数56人中(今年から50人に削減)10人が女性議員で約18%だから、国よりはまだましとも言えるが、まだまだとも言える。しかし政治の世界も、地方からだんだんと変わっていくのだろうか。

 女性にばっかり頼るわけではないけれど、世界の常識から見れば、日本の女性は遠慮せず、もっともっと声を出してもいいのだと思う。

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03年 2月20日 全世界の声で、戦争にNO!を

 「戦争やめろ!イラク攻撃反対!」と平和を求める声が全世界に広がっている。

 2月15日には世界各地で反戦の集会が開かれた。ロンドン200万人、マドリード200万人、ローマ300万人、バルセロナ150万人、ニューヨーク50万人、ベルリン50万人、パリ25万人、等々書ききれない数である。

 居ても立っても居られない気持ちで、私は2月14日の明治公園の集会に参加した。なだいなださんや井上ひさしさんなどの呼びかけで開かれた集会には、2万5千人の人が集まっていた。驚いたことに、次の日の新聞では、毎日新聞の片隅に数行報じられただけであった。

 主催者を代表して、なだいなださんは「道理のない戦争を世界中の声でやめさせよう」と訴えた。

 世界の中でダントツ1位の武器輸出国はアメリカである。もちろん軍事費でも、アメリカは約3000億ドル(約30兆円)と突出した第1位である。ちなみに第2位はロシアの588億ドル、第3位は日本の444億ドル。

 世界の軍需企業上位20社が2001年のストックホルム国際平和研究所資料にある。これまたアメリカばかりが目につく。4位までが100億ドル(1兆円)以上である。第1位:ロッキードマーチン(アメリカ)179億ドル、第2位:ボーイング(アメリカ)156億ドル、第3位:BAEシステム(イギリス)155億ドル、第4位:レイセオン(アメリカ)115億ドル、という具合だ。

 考えてみれば、戦争こそ、利権にまみれた無駄で巨大な最悪の公共事業ではないか。巻き添えで殺される人間はたまったものじゃない。しかし人命よりも利権が優先するのだろうか。アメリカは戦争をやりたくて、ウズウズしているように見える。

 情けないのはわが日本政府である。

 私の経験でも、新入職員の教育で苦労することがある。新人だからいろいろ失敗するのは当たり前なのだが、伸びる新人は「何故うまくいかないのか?」を自分の頭で考え、理解しようとする。その反対に時として伸び悩む新人がいる。注意されたり、怒られたりすることに主たる関心が向いていて、「何故?」の方に頭が行かないようだ。

 とりあえず謝ったり、その場しのぎの言い訳する力ばかりがついていく。なかなか本物の力がつかないので、いつまでも責任ある仕事をまかせることができない。今の日本の姿にどこか重なるものがある。

 長い間私は、日本は、アジアの人々をはじめ日本国民にも大きな犠牲を強いた、悲惨な戦争を反省して、平和憲法の下に新しい日本のくにづくりを始めたのだと思っていた。

 しかしどうも違った理解をしている人もいるらしい。アメリカに戦争で負けたのだから、とりあえず謝って、これからはアメリカの子分になって、親分の言う通りにすればいいと思った人だ。アメリカが平和憲法と言うから平和憲法だったのであり、戦争と言うなら戦争なのである。ある意味で一貫性はあるのだが、自分というものがない。戦争の反省も何ひとつ身に付いていない。

 「尊敬されない国」とは、戦費をケチったりする国のことではない。図体ばかり大きくても、自分自身の主体性を持たない、誇りを失った国のことである。

 今こそ、日本は堂々と平和を訴える時である。

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03年 2月14日 綾瀬新橋と父の思い出

  綾瀬新橋の改良工事がすすんでいる。狭い橋を車、歩行者、自転車がスレ違い、危険な場所だった。地域住民のみなさんの粘り強い運動が実った結果であり、この橋を通る誰しもが喜んでいる。

 この橋の西側に空き地がある。ここは鉄道機器という会社の工場跡地である。私の父、吉田資治は、戦中・戦後にかけてこの工場で働いていた。この会社は鉄道のポイント切りかえの転轍機などを作っていた所で、重たい製品を船で運び出す都合上、綾瀬川沿いの立地を選んだそうだ。

 私の父は、現在は高岡市になっているが、富山県の中田町という所の出身である。実はこの会社の創業者(現社長の祖父にあたる人)が中田町の出身で、同郷ということもあり、お世話になっていた。戦前という時代、戦争に反対して治安維持法により捕まったりしていた父を、いっさい知らん顔をして雇ってくれたことを、同郷のありがたさと父はよく話していた。

 戦後になり、いち早く労働組合を結成して赤旗をふるのだから、社長の一家は「恩を仇で返された」と思ったに違いない。後日、現社長にお会いする機会があり、父の気がかりだったことも含めて、私からあらためてお礼を述べさせていただいた。

 鉄道機器の組合は日立亀有工場などと共に、東部地域の労働運動の草分け的存在だったようだ。その後現場は離れたが、父の活動の原点は足立だった。

 私が1983年(昭和58年)に東和で蒲原歯科を開設した時は人一倍喜んで、何度も足を運んでくれた。もちろん工場跡地を見たり、帰りには東和在住の古い友人の笹沼さんを訪ねたりした。

 私の母は歯科医師である。戦前、蒲田駅前で開業していたが、空襲で焼け出され、たまたま地方へ疎開した友人の歯科医院が目黒にあり、それを譲り受ける形で開業した。従って私は目黒の母親のもとで育った。

 父43歳、母40歳の時の一人息子である。もう少し戦争が長引いていたら、生まれていなかったのかもしれない。すべり込みセーフでこの世に出た、それはそれは目に入れても痛くない一粒種なのである。しかしその割にはなんだか、かなり自由に遊び回っていたように思う。

 私の記憶にある足立は、父の居た綾瀬付近のことである。工場の近所の金魚屋さんだったか、つり堀だったかが目に浮かぶ。「水が出ると金魚がみんな逃げ出してしまう」とよく話していた。常磐線もまだ高架ではなく、駅の柵は鉄道の枕木でできていた。

 父も母もすでに他界したが、綾瀬新橋は私にとって、父と共に思い出深い橋である。

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03年 2月 5日 桜の樹の下には

 1月はいろいろ新年会もあったけど、元気が良かったのは「あだち・荒川土手に桜を植える会」の新年会。なんと言っても足立は五色桜の本家本元、超党派で機運を盛り上げようと、国土交通省・荒川下流事務所への訪問、河津桜の現地調査、鈴木区長や区議会への要請など活発な動きです。

 区内には沢山の自主的な活動がある。このような区民の草の根の努力こそ、これからの足立をつくる原動力なのだと思う。

 ところで、私がいつも桜で思い出すのは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」だ。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!

 ・・・馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、・・・桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食指のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。・・・・・」

 高校時代に読んだ本を今でも覚えているのだから、純粋無垢・厚顔の美少年?だった私には、大きな衝撃だったのだと思う。脳裏に浮かんだ映像もさることながら、目に見えない世界を見抜く想像力の存在との出会いでもあった。

 それ以来、何事も根っこのことを考えてしまう。新宿や汐留の超高層ビルを見ても、それが何かの大木やら巨大なキノコに見えてしまう。あの地下から日本中に根っこが伸びて、一般庶民の養分をチュ−チュ−と吸って大きく育っている姿が目に浮かぶのだ。

 もちろん、建設費511億円の足立区役所を見ても、その地下から太い根っこがあちこちに伸びて、あっちでチュ−チュ−、こっちでチュ−チュ−、養分なのか利権の甘い汁なのかは知らないが、腹いっぱい吸い取った姿が目に浮かぶのだった。

 せっかくの桜の話なのに、気分を害したら申し訳ない。悪い根っこは断ち切り、足立区を花でいっぱいにして、スカッとした青空の下、早くみんなで花見がしたいものだ。

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03年 2月 1日 元気のない人たち

 新年になって、あちこちで新年会があった。先日は足立区歯科医師会の新年会が開かれた。鈴木区長、鴨下一郎衆議院議員、区議会議員なども来賓として出席して挨拶。ところが、なんだか皆さん元気がない。

 昨年の新年会の鴨下さんは、医療のあるべき姿などを熱く語っていたのに、今年は歯切れが悪い。

 たしかに無理もない。鴨下さんが副大臣になっても、私たちにはどうということもない。それよりも、これだけ景気が悪くて、しかも昨年の医療改悪で10月からは高齢者の医療費の負担も増え、どこの医療機関も軒並み患者減。みんな財布が心配で、医者にかからなくなっているのが現実だ。

 4月からはサラリーマンも2割から3割負担へ。年金も下がるし、消費税まで上げると言い出す始末だ。

 最近では、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会の4団体が医療改悪の凍結を求める声明を発表し、有楽町でビラまで配ったりした。こんなことは今までなかったことだ。

 鈴木区長は相変わらず通り一遍の挨拶でさっさと退席。そのあとに自民党の区議会議員の挨拶があったのだが、あれこれと語るうちに、「吉田さんはニコニコ元気が良さそうなのに、わが鈴木区長はやせこけて元気がない。これでは選挙で吉田さんに負けてしまう」なんてやるものだから、会場は爆笑。

 元気がないのは、まだ多少の責任感があるからかもしれない。1月31日に始まった国会で、「大事なことは、失敗を次の成功にいかすことです」なんて言ってる小泉首相より、まだましとも言える。

 ところで元気な私は、ようやくポスターも出来上がり、区内に貼りだし始めました。2月4日(火)は西新井文化ホール(ギャラクシティー)の集会でお話をします。もうすぐできるリーフレットも、そこでお渡しできると思います。みなさんのご参加をお待ちしております。

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03年 1月23日 阪神・淡路大震災から丸8年

 阪神・淡路大震災から丸8年。直接被害にあった方々につづいて、仮設住宅などで孤独死した人もおり、犠牲者は6,433人にもなった。

 大きな災害に出会うと気がつくのだが、結局一番弱いところから危険な状態にさらされる。

 狭い意味での防災に目が向きがちだが、住宅の改修や医療・福祉の体制など、日常的に弱者にやさしいまちをつくっておくことが、最大の予防策とも言える。弱者にやさしいということは、普通の人にもやさしいということである。

 今年はインフルエンザが流行っているようだが、この予防とも似ている。ワクチン接種も大事だけれど、なんといっても基礎的な体力を養なっておくことが肝腎である。感染しても軽いうちに早期回復できる体力である。

 もうひとつ忘れられないことがある。私が医療支援で神戸に駆けつけた時のことだ。現地の人から「気持ちはありがたいが、あまり大勢で押しかけないでほしい」と言われた。よくよく聴いてみると、食事や寝床などの受け入れ体制が追いつかないという。テントや寝袋、三度の食事持参で来てくれるのならいいのだが、丸腰で駆けつけてしまったボランティアも沢山いた。

 救援活動をしながら、一定の人数が継続的に応援できるような段取りをつくった。

 その時、ハタ!と気がついた。兵隊だけいても、食事や寝床がバランスよく準備されなければ、戦いにはならないのだ。日本の安全保障も同じことではないか!と思考は飛躍して、我ながら納得したものだ。

 「北朝鮮の脅威」を心配する人もいるが、北朝鮮は食糧に困ると、テポドンを発射したり、不審船を出動させたり、最近では核開発まで材料にして、食糧援助や石油の援助を引き出そうとしているように見える。隣近所の人間としては、危なっかしくてしょうがない。

 それでは、逆に隣近所のアジアの国から日本を見るとどうなるのか。食糧自給率は低く、軍事力の突出した国が、近隣に存在しているということである。「いざとなったら心配だ」というのは日本だけの専売特許ではない。こんな国がそばにあったら、危なっかしいと思うのは誰でも同じだ。

 「いざとなったら」テポドンもイージス艦も食べられないから、必ず食糧を奪いに攻めてくるのではないか、と思われても仕方がない。

 北朝鮮にも困るが、私は、日本が北朝鮮のようになることも心配だ。

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03年 1月17日 新成人に贈るささやかなプレゼント

 私が区長在任中にしばしば感じたことは、「人間的な理念・思想なき経営論の弊害」ということであった。一見合理的に見えるが人間を幸せにしないのだ。小さな診療所の経営責任者であっても、常に忘れてはいけないことだ。「何のために」「誰のために」が大事なことである。

 日本医師会のシンクタンクである「日医総研」が、2002年(平成14年)6月に開催した第8回セミナーの記録集が手元にある。その中で、新年の都政新報にも登場した神野直彦東大教授が「社会保障の再構築と財政再建は両立し得るか」と題して講演している。

 全部を紹介できないのが残念だが、講演の終わりに神野氏は、スウェーデンの中学校の教科書のことを紹介している。そこでは、子どもたちに、お互いが協力し合うことの重要性、家族の重要性を教え、また家族を通して社会との関わりを学び、主権者としての自覚を身につけるような内容になっている。そして最後に、「子ども」という詩についての感想を聞いています。

 1月13日は成人の日でした。日本の子どもたちに、主権者を育てる教育はあったのでしょうか。とにもかくにも日本では、20歳からは選挙権を持つことになります。もう子どもではありませんが、この際若いみなさんに、この詩を贈りましょう。がんばれ心やさしい新成人!

「子ども」 ドロシー・ロー・ホルト

批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる

殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる

笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる

しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる

賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

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03年 1月 8日 2003年はモーツァルトの心で

 新年早々「朝まで生テレビ」なんかを見てしまい、とても眠たいお正月になった。新聞、テレビを見ると、なんだか自信のなさそうな論調だ。暮らしがこんなにきびしいのに、今までと同じことを繰り返していて、日本経済は良くなるのだろうか?お金の使い方も経済のあり方も、「暮らし第一」に切りかえることができるかどうか、そこが鍵だと思う。

 教育改革に関する特集も目に付く。大学教員の評価制度などと並んで、人間形成の重視や教養教育の復権が取り上げられている。あまり余計なことは考えず、歯車のように効率良く働いてくれる人間を育てておいて、今ごろ何を言ってるのか、と思うのは私だけだろうか。

 世界と比較すると、日本の子ども達は、与えられた計算をこなすのは速いが、創造性が今ひとつらしい。ノーベル賞を受賞した小柴昌俊さんの語った言葉が印象的だ。

「自然科学分野のことは、それが実在する限り、自分が発見しなかったとしても、いずれ誰かが発見したはずだ。しかしモーツァルトの楽曲は、モーツァルトが居なかったら、永遠にこの世には存在しなかったはずだ」

と、おおむねそんな内容だった。

 政治や経済が自然科学と決定的に違うのも、いずれ誰かが発見したり、変えてくれたりするものではない点である。

 私たち自身の手で、新しい政治や経済のあり方を模索し、創り上げない限り、ただ待っていても、永遠に明るい未来は来ない。勇気を持って、2003年に踏み出そうではないか。

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03年 1月 1日 新年あけましておめでとうございます

5月の区長選へ、いよいよ今年は本番の「ハイシャ復活」だ!

 12月に、長野県の田中康夫知事のお話を聴き、歓談する機会がありました。19億円の予定で始まった橋ができあがってみると60数億円になっていた話など、興味深い話をたくさん聞くことができました。ある局長が「公共事業は小さく産んで、大きく育てるものです」とか言ったそうですが、いやはや日本全国いずこも同じですね。

 足立区も負けてはいません。6年前に完成した13階建ての現区役所は、当初150億円くらいの予定でしたが、できあがってみると建物だけで511億円、関連経費を入れると700億円もかかりました。「豪華庁舎」なんて言いましたが、値段のわりにはそれ程でもありません。問題はバカ高い公共事業だったことです。

 現在東京の都心は高層ビルの建設ラッシュですが、30〜40階の高層ビルの建設費は200〜300億円だといいます。500億円もあったら、高層ビルが2、3本建ったとも言えますが、そんなことより、そのほんの一部でも使えたら、どんなに区民の暮らしが楽になっていたことでしょう。

 長野がすっかり有名になりましたが、任期途中の不信任では先駆者の私が、足立区長を退きハイシャにカムバックしてから、早いもので3年半になります。

 先の見えない不況が、ますます区民の暮らしを圧迫し、その上さらに医療改悪の追い討ちです。介護保険料が払えない人も増えており、小中学校では3人に1人が要保護、準要保護児童というのが足立区の実情です。医療や福祉をはじめ、住民の暮らしを守る政治が今ほど求められている時はありません。

 しかしこの間、現区長のもとで様々な生活関連予算が切り捨てられ、その一方であちこちの再開発計画だけは動き出しました。黙ってはいられません。

 いよいよ今年は選挙の年です。私は再び立候補を表明して以降、区内を飛び回っています。なんといっても、足立区民は「力を合わせれば、政治を変えることができた」という貴重な経験を持っている区民です。

 しばらく前までは、患者さんから「変な気を起こさないで、ずっと歯医者さんでいて」なんて言われることもありましたが、最近では「まだポスター貼らないんですか」とか、「近所の奥さんが、赤字は吉田さんが作ったなんて、正反対のひどいデマを言いふらしてますよ、」とか、いろいろとアドバイスしてくれます。

 私たちが納めた税金です。暮らしに目を向けた使い方に切りかえ、「大きく育てる」所が間違っている政治の流れを、みんなで力を合わせ変えていこうと、決意を固めています。

 本年もよろしくお願い申し上げます。

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02年12月21日 おいしい公共事業のカラクリ

 元防衛庁長官で自民党政調会長代理の久間代議士の中尾政策秘書は「東海物産」の社長でもある。この会社が、関西空港二期工事の土砂納入事業請負業者から多額のコンサルタント料を得ていた。

 「東海物産」は88年設立以来休眠状態のペーパー会社だったが、99年からの2年間で売り上げは6億円を超えていたという。しかも同社のファックス送付先は久間氏の議員会館事務所になっていた。

 中尾氏との一問一答が新聞に紹介されている。

Q:現場に行ったことはあるのか

A:1回もない。実際の業務は広島県の土木工事会社にすべておろした。

Q:コンサルタント業務の報酬はどれくらいだったのか

A:契約高の10%だ。

Q:会社の口座には土砂販売会社からどれくらいの振込みがあったのか

A:平成12年度、13年度は毎月決まった日に会社の口座に振込みがあった。500万円の時もあるし、3000万円の時もあった。平均すると月700万〜800万円だ。

 まだまだあるが、こんな具合だ。公共事業がどのように食い物にされているのかが、よくわかる。

 足立区も、現在進められている北千住西口再開発をはじめ、竹ノ塚、西新井など、大型の再開発計画が列をつくって順番待ちをしている。

 こうした公共事業は、大きさや種類にもよるが、だいたい50〜90%が国からの補助金である。国が90%の補助金を出してくれるなら、区は10億円で100億円の事業ができるという、大変お買い得な話とも言える。

 ただし、国から補助金をもらうためには条件がある。例えば駅前の再開発なら、国土交通省が指定するコンサルタント業者を使うことや、他の事業では様々な規格等が指定されたりする。そしてこのコンサルタント会社は、だいたい千代田区の永田町近辺にある会社である。いわゆる「天下り」会社なのだと思う。

 このような再開発は軒並み200億〜300億円の大事業だが、そのコンサルタントの設計料はどうも全体の10%くらいが相場のようだ。気前良く補助金をくれるように見えるが、100億円出せば10億円、200億円出せば20億円の設計料は、自動的に還流するシステムではないか。国土交通省が熱心にお勧めしてくれる理由もわかる気がする。

 こちらは、おいしいエサを「食った」と思っていたら、向こうは「釣った」と思っていたりして。

 長野県栄村で、ひもつきの補助金を断わり、自前で設計して、自前で工事をやったら、ずっと安上がりにできた「道直し」の話をお聞きした。

 考えてみれば、元々みんな私たちの納めた税金ではないか。このような税金の無駄遣い、利権の温床にこそ、しっかりとメスを入れる必要がある。

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02年12月15日 大前提の抜けている「税制改正」

 今週は東京に大雪が降った。例年よりもひと月も早いそうだ。寒い日も続いたが、寒い話も続いたなぁ。与党3党が12月13日(金)、来年度の税制改正大綱を決めた。発泡酒が1缶10円、たばこが1本1円増税、所得税の配偶者特別控除は04年1月に廃止、外形標準課税の導入などの内容だ。

 配偶者特別控除廃止の理由が「女性の社会参加を妨げる」だって。確かに昔に比べて専業主婦は少なくなったし、パートで働く女性も多い。しかし何か違うぞ。ヨーロッパとの比較で違いが見える。

 私も給料で家族手当をもらっているが、ヨーロッパでは家族手当の無い国が多い。何故なら家族手当の主旨は、それで妻や子供達に必要な医療費や教育費をまかなってくださいね、というものだ。国が医療費や教育費については全部面倒見ることになれば、家族手当は不要という訳だ。

 「日本に比べてヨーロッパは税金が高い」と言ったら、反論された。自分が自由に使える可処分所得で比較すると、日本は下だという。日本は医療や教育だけでなく、病気や老後も心配で、みんな生命保険に加入して結構お金が必要だ。税金という形ではないが、結局自己負担が大きい。

 さらに驚くのは、日本のようなパート労働者がいないことだ。私も理解するのにしばらく時間がかかった。わかりやすく説明すると、全員が、労働者としての諸権利が正規職員と同じように保障されたパート労働者なのである。別の言い方をすると、全員が、時間単位の契約にもとずく正規職員ともいえる。当然、少し働いても、受け取った給料からきちんと税金を納めるのが義務である。そして胸をはって、必要な医療保障や教育は受けることになる。

 医療改悪と一緒に年金も改悪されて、来年からは会社勤めの人もボーナスからの天引きで、収入はかなりの目減りになる。宅配業者の人にその話をしたら、私の認識不足、はじめからボーナスなんて貰っていないそうです。正規職員ではなく、歩合制の下請け業者ということらしい。だからあとは自己責任ということ。

 そうだったのか!日本中が、コンビニでアルバイトしていたうちの息子と同じような状態になりつつあるんだ。

 税金の使い方を「暮らし中心」に切り換える、という一番肝腎なことはほったらかしておいて、なにが「女性の社会参加」なんでしょう。手を変え品を変えての制度いじりではなく、国民が求めているのは、政治のあり方の転換ではないでしょうか。

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02年12月 8日 みんなで考えよう!旧区役所跡利用

 道路関係4公団民営化推進委員会の今井委員長が辞任。高速道路建設推進派と慎重派の対立というが、大事なことが抜けている気がする。

 それは別の機会にふれるとして、やや事情を異にするが、私が区長の時の「旧庁舎跡利用審議会」のことを思い出す。なにしろ、自民党・公明党をはじめホテル計画推進派の委員は、「従来どおりの計画推進(要するにホテル復活)」の一点張り。

 ホテルが最良の計画だから、他の計画など思いもよらない。と言えば聞こえはいいが、もともと役人の作った計画を追認している訳だから、それ以上の想像力も生まれようがない。建設的なんて程遠い、妨害に継ぐ妨害という様相であった。

 審議会に「文化ホール」を中心とした答申案骨子が出され、いよいよ自分達の思い通りにならない結論が出されそうになると、区議会の条例で設置されている審議会だから、審議会そのものを区議会で廃止してしまった。

 長野の県議会も「いやはや大したレベルだなぁ」と感心したものだが、なんのなんの足立区議会だって負けず劣らず大したもんなのである。そんなこと自慢にならないか。

 12月3日(火)に「旧区役所跡利用を考えるシンポジウム」が千寿本町小学校で開かれた。いろいろと意見も出されたようだが、「もっと区民の声を聞く機会をつくってほしい」という感想は、多くの区民共通の思いではないだろうか。

 しかも現在区が進めようとしている計画は、「デジタルファクトリー」を中心とする施設だという。横文字使えばいいというもんじゃない。日本語にすると「映像処理工場」じゃないの。工場作ってどうすんの?!

 ところで「ホテルが最良の計画」と言ってた人たちは、どうするのだろう?まさか今度は「工場が最良!」なんて言わないでしょうね。もし「事情が変わった」なんて言い訳でも考えているのなら、そんなに焦らず、今度はみんなで、もう一度ゆっくり考えてもいいではないか、と私は思う。

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02年12月 3日 燃料電池乗用車開発のもつ意味

 12月2日はいろいろなニュースが飛び込んできた。「民主党の鳩山さんがどうした、こうした」というニュースもあるけれど、私は「燃料電池乗用車が開発されて、官庁に納車」というニュースに注目したい。

 なにしろ原動力は水素だし、空気中の酸素と反応して、排出されるのは水だから、無公害の車だという。環境にやさしい所もうれしいが、この技術は車だけにとどまらず、生産現場でのエネルギー供給、家庭の冷暖房等々、先々さまざまな変化をもたらすに違いない。

 開発がさらに本格化すると、当然石油は今ほど重要でなくなるのだろう。20〜30年は、石油と水素の併存時代になるのかもしれないが、いずれ水素が勝つのではないか。なにしろ無公害だし、石油よりも無尽蔵にありそうだ。

 すると世界のエネルギー戦略にも大きな変化が起こるはずだ。アメリカは国内に自前の油田を持ち、さらに現在アラスカの油田開発も手がけているが、そのうえ中東の油田の莫大な権益もガッチリ確保しようと必死だ。「核開発してたけど、石油のない」北朝鮮より、「疑惑段階でも、石油のある、または石油のそばにいる」イラクの方が、アメリカにとっては重要なのだと言われている。

 この戦略物資としての石油の価値が相対化した時、一体何が浮上してくるのだろうか?私は「食糧」だと思う。

 これまでも「軍事的な安全保障」と並んで「エネルギー安保」「食糧安保」という概念はあったが、ややもすると議論の後方に置かれていたように見える。勿論これからも、軍事力やIT技術は無視できないが、それでもやっぱり「食糧」でしょう。

 車は乗らなくても死なないが、「食糧」は無いと死ぬ。「いざという時が心配だ」と言う人に私は言いたい!「腹が減っては戦はできない、だけじゃない」「いざとなっても、ミサイルやイージス艦は食えない」 しかも「食糧」は工場では作れない。周辺の技術開発はあったとしても、本質的な部分は大変手間ひまのかかるものである。

 「食糧」のない国は、飢えて死ぬか、軍事力をもって他国から食糧を奪い取るか、それとも仲良く分け合ってもらうか、選択は限られている。そういえば高校生の頃、学校で習った中国の歴史で「収穫の時期になると遊牧民族が攻めてきた」なんて話を思い出す。

 日本の食糧自給率は40%を割っているという。しかし今ならまだ間に合うはずだ。日本がアジアの国々、人々と仲良く暮らしていくためにも、食糧自給率の向上と積極的平和外交にもっと熱心に取り組む時ではないだろうか。

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02年11月26日 「民の声リンガル」?

 医療団体の研究集会で「子育て」の話を聞いた。核家族化が進行し1978年(昭和53年)には、赤ちゃんに接した経験のない母親が60%を越えたという。

 なにか幼児虐待のニュースも目に付く昨今であるが、その背景には、そこまで到らないけれど、子供とのコミュニケーションのとり方がわからない沢山の親がいるようだ。人から愛情のある世話を受けたり、人の世話をして感謝されたりする経験が、あまりないままに親になってしまう若い世代が、親になり始めているのだそうだ。

 最近では、ベビーサインの見方というマニュアルまでが出ているという。実物を見たわけではないが、赤ちゃんの様々なしぐさや泣き方で、赤ちゃんが何を訴え、何を表現しているのかがわかる、というマニュアルらしい。確かに初めて育児に立ち向かう親にとっては、心強い味方かもしれない。

 「しかし」である。マニュアルという眼鏡を通してしか、赤ちゃんを理解できなくなっているとしたら、人間としての大事な能力は衰退していることではないか。マニュアルに頼りすぎて、現実への柔軟な適応力が衰退していくのが心配だ。

 この話を聞きながら、私はつい最近のニュースを思い出した。アメリカで今年度最高の発明品のひとつに選ばれた「バウリンガル」である。この装置があれば、犬の言葉がわかるという画期的?な発明品である。作ったのは、葛飾区にある「タカラ」という玩具メーカーだという。家庭用回転寿司セットなんていう、ナンセンスだけど何故かうれしいオモチャを世に送り出しているあの会社だ。

 次は英語バージョンの「バウリンガル」に着手なんて言ってるようだが、これなら「ベビーリンガル」とか「オギャ−リンガル」も十分いけるかもしれない。

 そういえば、政治や行政も、発想の転換が求められている時代である。国民は「オギャ−」とも「ワン」とも言わないが、先の見えない不況の中で、歯を食いしばって頑張っている。一番開発しなくてはならないのは、この国民の「ニャンとかしてほしい」という声を翻訳する装置ではないだろうか。

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02年11月20日 株価最安値と竹中大臣の言い訳

 ペタジ−ニが巨人に入ることになった。松井の抜けた穴が大きいとはいえ、そんなに選手を集めてどうするの。巨人がいくら一人勝ちしても、プロ野球全体はどんどん面白くなくなりそうだ。

 同じニュースが株価を伝えている。大企業中心の日経平均株価のバブル後最安値に続いて、TOPIX(東証株価指数)が最安値を更新したという。ようするに4大銀行だけでなく、日本の企業全体がいよいよ落ち込んできたということのようだ。

 竹中大臣は「スウェーデンも、銀行を国有化し不良債権を処理して、1年位は株価が下がったが、その後上向いた」なんて言ってるようだが、どうも都合のいい所だけの「つまみ食い」のように見える。

 スウェーデンは次の時代のグランドデザインを持っていた。新しい産業分野として「福祉・環境・IT」という目標を見定め、バブル崩壊以降の10年、国の政策として、労働力の新しい分野への無理のない移行に取り組んできた。

 「構造改革」の本来の意味はそういうことであり、セーフティーネットというのも、職業再教育とセットになったスムーズな移行のための不可欠の制度である。「ネットでなくトランポリンだ」と言うのがうなずける。「綱渡りから落っこちても、死なない程度に助けよう」と日本で語られる、まさしく言葉どおりのセーフティーネットとは意味が違うのだ。

 公共事業も日本とは大違い。暮らしを豊かにするための公共事業の中心は、高齢者住宅を含む住宅建設である。それが現在の充実した介護体制の基盤も作ってきた。受け皿のないままの不良債権処理も見通しは暗いが、受け皿のないままの公共事業積み増しや雇用対策も、その場しのぎになることは目に見えている。

 ゴールとなり受け皿となる、政治のあり方を変えなければならない時だと思う。巨人の一人勝ちはしょうがないのかもしれないが、政治こそは、みんなが幸せになることを目指すものではないだろうか。

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02年11月14日 刑務所について考えた

 名古屋刑務所で、受刑者が看守から頻繁に暴行を受けていたという。革手錠で手や腹を締め上げるなど、相当ひどいものである。このような虐待がまだあることに驚いた。

 その逆の例もある。数ヵ月前のテレビの特番で、見た人もいると思うが、広島県にある高齢受刑者用の刑務所が紹介されていた。とりたてて特別扱いされている訳ではないが、受刑者が高齢なので、つまずき防止の為に段差解消などのバリアフリー化が限られた予算の中で取り組まれている。

 朝起床、朝食後、受刑者はゾロゾロと作業場に向かう。中にはヨロヨロという感じの人もいる。一定の時間がくると、「○○番、○○番、」と看守から呼び出しがかかる。受刑者は看守のもとへ、服薬の時間である。高血圧の薬だろうか?こんな情景が画面に映し出される。インタビューでは、「作業することで、多少は社会の役に立っていると実感できる」と受刑者が罪ほろぼしの心情を語る。

 受刑者の刑期もさまざまで、無期懲役の人も含め長期服役者も多いそうだ。従って、人生の半分以上が刑務所暮らしの人もいる。中には、刑務所を出ても、すぐに戻ってきてしまう受刑者も少なからずいるという。釈放されて外へ出ると、まっすぐコンビニへ行き、アメだかガムだかをひとつ万引きして、その足で警察に行って捕まえてもらうのだそうだ。

 働き口もなければ、面倒をみてくれる人もいない。彼らには行く所がないのだ。それを見ていたテレビのコメンテーターは、口をそろえて「居心地が良すぎるんじゃないか!?」と怒っている。確かに、集団生活を強制されてはいるが、ある意味、規則正しい生活であり、薬も定時に服用、ぜいたくを言わなければ、三食付き、風呂だってある。

 それでは、塀の外にいる高齢者はいかなる暮らしをしているのか。塀の外は自由だと言っても、足腰が弱れば遠出などしない。まして一人暮らしなら、どこかへ行きたくても、あきらめている人がなんと多いことか。限られた空間で、一日の大半を過ごすことでは、刑務所だろうとどこだろうと大して変わりはない。食事や服薬はヘルパーさんが来て、なんとかしているけれど、それ以外の時間は、手の届く所に菓子パンが置かれ、車イスでテレビを見ているような、日中独居の高齢者も多い。

 なんという逆説!すぐに戻ってくる本当の理由は、刑務所の居心地の良さなのではなく、シャバ(塀の外)が刑務所以下であることなのだ。「せめて広島の刑務所くらいに」とは言わないが、介護保険を改善するなど、高齢者が安心して暮らせる「まちづくり」が急がれている。

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02年11月 8日 イラク攻撃に「NO!」と言えない日本

 アメリカの中間選挙は、ブッシュ人気で共和党の勝利という結果となった。歴史的勝利なんだそうだ。イギリスのタイムズ紙は1面トップで「ブッシュ、戦争へ信任勝ち取る」と報じ、イラク攻撃は秒読み開始と言われている。その一方で、ブッシュの暴走加速を心配し、戦争に反対する声も世界中から起きている。

 しかしアメリカ国民は違うんだろうね。何と言っても「9.11テロ」のショックが大きすぎて、いまだに興奮状態が続いているようだ。こういう興奮状態にあっては、だいたい声の大きい主戦論や強硬路線が勝ってしまうものだ。

 ただし、ブッシュも浮かれてばかりはいられない。考えてみれば、ブッシュは、「自らも演出した興奮」にまんまと乗ってくれた選挙民によって、逆に退路を断たれたのではないか。後戻りは許されない。攻撃あるのみ。ここで止めたら、ブッシュの存在意義が否定されてしまう。もう暴走を止められるのは、世界の世論しかないのではないか。

 そういえば、「アメリカにNO!と言える日本」なんて言ってた石原慎太郎さんは、東京都議会を途中でサッサとお休みしてアメリカに出かけたけれど、こんな時こそ「NO!」と言うべきじゃないの。実際には「北朝鮮も攻撃だ」なんてことを言ってるそうだから、ブッシュとはすっかり意気投合なんてことに、なりかねない。

 こういう人って居るのよね。自分より強い相手には、居ない所で強がって、面と向かってはおとなしく、自分より弱い相手には、とっても高飛車な人。アメリカがもっと小さな国で、イラクが大国だったとしたら、「ならずもの国家のアメリカをやっつけろ!」なんて言うかもね。小泉首相もアメリカへ行くと、借りてきた猫状態。「戦争止めろ」と言えない。「もう少し慎重に」くらいのことすら言えない。日本にとってメリットなんか何も無いのに。どうせまた後から「金出せ」って言われるよ。

 そろそろパフォーマンスにもほころびが見えはじめている。小泉さんも石原さんもアテにならない。みんなで「戦争NO!」「イラク攻撃NO!」の声をあげなくては。

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02年11月 2日 直前になって、公聴会のお知らせとは!

 世の中には、いそいで形式だけを整えようとするようなこともあるようだ。

 中央教育審議会(中教審)の基本問題部会が、最近の2回は定足数も満たしていないのに、議事はどんどん進められていたという。議題は「教育基本法の見直し」である。「何をそんなに急いでいるの?」と誰もが思う。形式すら整っていないではないか。

 足立区広報の10月25日号は、前号「基本構想・・・」にひきつづき、またまた今度は「老人保健福祉計画・介護保険事業計画の説明会・公聴会の開催」のお知らせを掲載している。公聴会の日程は、11月8日、9日、11日、12日、13日の5回である。それにしても10月25日といえば約2週間前である。公聴会は区として公式のものである。2週間前はないだろう。

 区内では、介護保険の改善を求める区民の声をあちこちで聞く。特別養護老人ホームの入所希望待機者は1,300人を超え、区役所で渡された施設の一覧表で、片っ端から電話をして申し込んでも、当然のことながらどこも満員で順番待ちとなる。中には「200万円の寄付ができますか?」と聞かれた、なんて話まで耳に入ってくる。

 来年は介護保険見直しの年である。本当に区民のために、何が必要とされているのか、どんなことが可能なのか、自治体の姿勢と真価が問われている。行政は形式ばかりを整えることよりも、老後の不安や介護で苦労している区民の声にしっかりと耳をかたむけるよう、心がけてほしいものだ。区民も声を出す時である。

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02年10月29日 日本の選挙結果とブラジルの選挙結果

 10月27日(日)は、衆参7選挙区で統一補選の結果が出た。自民党の5勝2敗である。新聞やテレビは、一様に関心の低さと低投票率が特徴的という。出口の見えない閉塞感、何に期待をすればいいのかがわからない政治不信、無党派層の増大が指摘されている。

 「あきらめ」や「閉塞感」と表裏一体をなすものとは?心配なのは、このような社会背景が、自暴自棄的なテロ行為や衝動的な殺人事件につながることだ。アメリカの連続狙撃事件、ロシアのチェチェン紛争とゲリラによる劇場占拠など、世界の例をあげるまでもなく、日本でも、今までの常識では理解できないような殺人事件が起きるようになってきている。つい先日の民主党・石井議員の刺殺も、まだ動機不明のところもあるが、この時代の中で起きた事件とは言えないか。

 しかも、このような事態は強い力で抑えつけるしかない、と国民への監視体制強化をはじめとする警察国家づくりが進められている。警察国家に未来はあるのか。

 同じ日、ブラジルの大統領選挙の結果が出た。革新派とも、中道左派ともいわれる労働者党のルラ氏が当選した。日本ではブラジルといえば、サッカーのときくらいしかニュースでお目にかからないが、今年の1月から2月にかけて、このブラジルの南端にあるポルト・アレグレ市で、「世界社会フォーラム」が開かれた。このポルト・アレグレ市は1989年から労働者党が与党になっており、ここで始まったのが「参加型予算制度」である。

 当時の市長が、3年前からグランデ・ド・スール州知事に就任しており、今では州全体でも実施されている。その実践は世界的にも注目されつつあり、すでに南米・ヨーロッパ・アフリカなどの地方自治体で徐々に採用されつつあるという。こうした地方からの動きが、ブラジル新大統領の誕生につながったといえる。

 これから様々な紆余曲折もあると思うが、テロや警察国家ではなく、住民参加の力で進める国づくりにこそ、未来への光を、私は見る思いだ。

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02年10月21日 要注意!!足立区の「憲法改正」?

 最新の足立区広報10月10日号の1面左下に、「基本構想を策定する区民委員を募集します」とのお知らせが出ている。基本構想とは足立区の憲法である。日本国憲法の下に法律があるように、区には基本構想の下に基本計画があり、その下に実施計画が作られ、それに基づいて諸施策が進められるという仕組みである。

 だとすると、国でいえば「新憲法を策定するので委員募集」と広報左下にサラリと小さなお知らせが載せられていたということだ。これは何を意味するのか?ひとつひとつのアクションには、意味や目的があるものだ。とりわけ政治や行政においては、なおさらである。

 日本でも、自民党・民主党をはじめ諸政党の中のかなりの議員が、憲法改正に熱心なのは何故か。今や、トヨタ・ホンダ・日立・松下といった日本を代表する大企業をはじめ、多くの企業が、中国・東南アジアを中心に生産拠点を海外に移している。財界の主たる関心事は、国民経済ではなく、グローバル化した世界経済の中で、企業が最大の利益を追求できる体制づくりである。国内では、規制緩和・不良債権処理の名の下に、リストラや中小企業つぶしが進められる一方で、海外にある利権や生産拠点の保護は切実なテーマである。

 何が何でも「有事法制」という動きも、憲法改正の合唱も、つまるところが「いったん事有る時には、いつでもすぐに自衛隊を海外に派兵できる」体制づくりを急いでいることに他ならない。

 では足立区の「憲法改正」の意図とは何か?その概要をひとことで言えば、従来型の区政の根本は温存しつつ、表面をリニューアルして延命しようということらしい。あたかも自然現象で天気が変わったかのように、自分達のどこがまずかったのか、という反省がまったくない所は、大蔵官僚ともよく似ている。

 内容については、あらためて論ずるつもりだが、私が気になるのは、来年が区長選挙という時期に、このような重要事項を役人主導で進め始めたことだ。今のうちに憲法改正を進めておいて、来年どんな人が区長になっても、「区政の基本はガチガチに固まっております」と言うつもりか。「決して役人の独走ではありません、100人もの区民が参加して検討しました」くらいは言うだろう。

 この事態は、「ひょっとすると吉田区長が再び戻ってくるかも」というチョッピリ弱気の表われかもしれないが、いずれにしろ「誰が区長でも自分達が作った骨格には手をつけさせないぞ」という宣言のように私には見える。勿論一部の幹部とは思うが、これは役人のクーデターではないか?私の考えすぎならいいのだが。この場を借りて、区民 のみなさんに注意を喚起しておきたいと思う。

 いや注意だけでは不十分だ。意見だけは言っておかなくてはならない。委員の応募締め切りは、10月30日である。

基本構想を策定する区民委員募集のホームページ http://www.city.adachi.tokyo.jp/topics/kousou/

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02年10月15日 都庁展望室で「カジノ」だって!

 10月17日、18日に都庁で「カジノ」!石原都知事いわく、これも「景気対策」の一環だとか。一応シンポジウムみたいなこともやるそうだけど、あとは「皆さんで実際にやってみましょうね」だとさ。

 この不景気で、都民も大変な思いをしているときに、この人は一体何を考えているのだろうか。冗談にしては悪ふざけが過ぎている。やっぱり本気なのだろうか?どうやら「カジノ」を観光都市東京の目玉にしようということらしい。しかも、あの都政最大の不良債権・臨海地区に「カジノ」を建設してもらえば、一石二鳥と思いついたらしい。どう見ても、本気で景気のことを考えているとは思えない。

 だいたい若い頃からチヤホヤされて、すっかり偉そうになってしまった人には、誰か意見をしてやることが必要だと思う。ところがマスコミも悪い。意見どころか、みんなで持ち上げて「ヨイショ」しているではないか。「カジノ」に集まる400〜500人のうち、約半数はマスコミ関係だという。

 北朝鮮では、国民には「拉致問題」は知らされず、テレビやラジオのチャンネルも「大本営発表」しか聴けないように固定されているという。こんな前近代的情報操作にも呆れるが、我が日本も他人事とは言えない。マスコミぐるみの「石原ヨイショ作戦」も、北朝鮮より近代的だが、なかなか露骨で立派な情報操作ではないか。

 この人は、エリート教育にも熱心らしいが、そのうちエリート以外のその他大勢、一般ピープルは、十把一絡げにしてカジノの楽しみ方とか馬券・舟券の買い方とかの教育でも始めるかもしれない。

 「ギャンブルで不景気の憂さ晴らしを!」「娯楽の殿堂・都庁舎展望台!」なんて宣伝に釣られてノコノコ出かけて行くと、胴元の石原親分がドッカと腰を降ろしていたりして。私の悪夢は広がるばかりだ。早く目を覚まさなくては!

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02年10月12日 ノーベル賞で自信回復だ!

 小柴昌俊さんと田中耕一さん、二人の日本人のノーベル賞受賞が決定した。日本人も大したものだ。オリンピックで日本人が金メダルをとると、無条件にうれしいのと同じ気分だ。おまけに田中さんは作業服で出てくるものだから、なおさら親近感を感じてしまった。小泉首相は「自信回復!」とか言ってるみたいだ。メチャクチャな自分をさておいて、カラ元気も困ったもんだけど、たしかに自信回復は重要だ。

 景気が悪くて落ち込んでいるのは、経済運営の失敗、政治の責任なのであって、一生懸命働いている日本人には、まだまだ頑張る知恵も力もあるのだ。オイルショックの頃も大変だったけれど、それをバネにして日本は世界でトップクラスの省エネ技術の開発を進めたではないか。こんな時こそ先を見据えて、これからの時代に生きてくる潜在エネルギーを持った、ものづくりの担い手・中小企業は守られなければ、と思う。

 ところで、これは単に日本の科学・技術のことだけではない。かつて、足立区でも多くの人が「そんなこと言っても、結局政治は変わらないんじゃない」「頑張っても無駄」「吉田さんも青島さんみたいにならないかしら」なんて思ったり、言ったりしていた。これも一種の自信喪失状態だったと言える。しかし足立区民は、2年8ヵ月しっかりと「やればできる」ことを経験してしまった。

 吉田区政の最大の財産をひとつあげるとすれば、それは、区民が「やればできる!」という自信を持ったことだ、と私は思っている。いや足立区だけではない。長野県だってそうだ。なんだか日本のあちこちで、日本人が少し自信を取り戻しつつあるように、感じられる。

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02年10月 8日 株価暴落、田島陽子、そういえば大橋巨泉

 「やっぱりね」と誰もが思った「株価が8,688円とバブル以降の最安値を更新」のニュースのその日、田島陽子議員が社民党離党のニュースも飛び込んできた。いろいろ腹の立つこともあったんだろうね。

 それで思い出すのが大橋巨泉さんだ(ただし巨泉さんはキッパリ議員を辞職したけれど)。私は巨泉さんが立候補したとき、なんとなくわかる気がした。一財産をつくり、アメリカの豪邸で悠々自適の生活をしていた巨泉さんが、何故なんだろう?多分アメリカで暮らしていれば、アメリカの光も陰も見えていたはずだ。

 どこの国よりも市場原理に貫かれた、自由とアメリカンドリームの国。そして貧富の経済格差はますます拡がり、デトロイト、ワシントン、フィラデルフィア、セントルイス、といった名だたる大都市の中心市街地はスラム化し、人口2億6千万人のうち4,400万人が無保険者という国。金持ちは都市の郊外へ脱出し、時には金網で囲った金持ちだけの町をつくり、それを守るために町の入り口のゲートはピストルを持ったガードマンが立っているという国。アメリカでもっとも成長している企業はガードマン会社だという人もいる。

 日本にいて、テレビからはイチローの活躍やディズニーランド、ビバリーヒルズにラスベガスくらいしか目に入らない我々には、見えていないもうひとつの現実が、巨泉さんには見えていたはずだ。しかも我が日本は、小泉首相を先頭にアメリカをモデルにして、アメリカの後追いをしようというのだから、「ちょっと待ったー」と言わざるを得なかったんだろう、と思う。

 ところが入った所が民主党だった。民主党も複雑?で、よく見れば議員の半分位は「小泉さんは生ぬるい、アメリカモデルの構造改革積極推進の本家本元は俺たちだ!」なんて思っているんだから、巨泉さんも「駄目だ、こりゃ」と思ってしまったんだと思う。(私の勝手な思いこみもあるので、少し割り引いて聞いてくださいね)

 そろそろ表面的な改革論議の化けの皮もはがれてきている。過激にやっても、「補正予算」だなんだかんだと多少金をばらまきながらやっても、アメリカモデルにろくな未来はないのです。国民のためになる、本物の改革の姿が見えはじめてきている時だ。巨泉さんや田島さんの試行錯誤も無駄にしたくないですね。

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02年10月 2日 小泉改造内閣が発足したら、台風が来た!

 どうも節目、節目に台風が来るらしい。そういえば私が区長に初当選した96年、法的には9月21日からが私の任期だったが、土日と休日で区役所への初登庁は9月24日だった。ところが9月21日に台風がやってきた。家に居たところへ早速連絡が入った。おまけに新築の区役所に雨が吹き込んで、玄関が水浸しとのこと。前途多難の船出を予感させたものだ。次の日はすっかり晴れたけれど、私の前途はやっぱり多難だった。

 しかし今度の台風は戦後最大規模だなんてニュースで言うではないか。十分に前途多難が予想される。たしかに小泉政権は、これからますます「不良債権処理」を加速させ、「公的資金(税金)も投入」しようということらしい。これまですでに銀行に30兆円も公的資金を投入しているというのに!この1年で、10兆円不良債権を処理したら、景気の悪化で不良債権が20兆円新たに発生したというから、小学生でもわかるマイナスの方程式。苦しい中小企業や地域の信金・信組、年間3万人の自殺者の恨みつらみまでひっくるめて、今では42兆円の不良債権だという。

 いったい何のための「不良債権処理」なのか?誰のための「経済」なのか?昨年トヨタは1兆円の利益があったという。国民は相変わらず「景気が悪い」と言う。昨年の北欧視察で、スウェーデンの人が語った言葉が、私たち日本人には新鮮に響いた。「福祉が充実して、みんなが安心して暮らせるためにこそ、経済は良くならなくてはならない」「みんなの幸せのために経済はある」

 「処理」や「加速」は手段である。問題は「何を目指しているのか」である。

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02年 9月30日 テレビ番組は社会の縮図?

 最近テレビで、駄目な人を次々落としていくクイズ番組をやっていた。よくできた人が勝つのではない。出演者同士で足を引っ張り合うのだ。なんだか消去法というか、マイナス志向というか、見ていて後味が悪い。考えてみれば、日本の競争社会の縮図のような番組だ。

 どうも日本だけではないらしい。アメリカでも、10人位がチームでキャンプを張り、自給自足の生活を送りながら、順次邪魔者を追放していく番組がある。追放する人を参加者の投票で決めるというから、なんという「民主的」手続き。

 イギリスにも同様の番組があるという。10人の男女がひとつの家で共同生活を送り、毎週一人づつ追放していくのは同じ構図。しかしイギリスはさらに「民主的」で、テレビの視聴者がこの追放の投票に参加できるという。テレビ番組雑誌でも表紙に「決めるのはあなただ!」なんてデカデカ宣伝しているそうだ。結構人気があるというから、そこがなんだか、うそ寒い感じがするのは私だけだろうか。

 我々一般庶民は、世界中でこんな練習をくり返し、させられているのだろうか?

 テレビでは、視聴者はあくまで安全な所から見物する観客だが、現実の世界はもっときびしい。一般庶民同士でいくら足を引っぱり合っても、誰も勝者にはならない。ほとんど全員負け組にされている。そりゃそうだ、日本の「構造改革」の特徴は、「誰を勝者にするのか」という目標設定が、はじめから一般庶民ではないからだ。みんなが信頼しあい、助け合うような番組をもっと作ってほしいものだ。

 今、全国のあちこちで、住民が力を合わせて進める活動や仕事が始まっている。いつまでもテレビばっかり見てないで、住民自身がテレビを追い越すしか、ないのかもしれない。

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02年 9月26日 都心の高層ビルと足立区

 都心部に最近やたらと高層ビルが建っている。汐留地区、品川駅の海側、六本木付近にも高いビルができた。足立区もけっして無関係ではない。

その1 東京タワーから出た電波が、汐留の高層ビルにはね返り、地域的には細長く足立区あたりまで、テレビの受信障害が起こるそうだ。足立区ではケーブルテレビで補償に対応している。ただし一定期間まで。

その2 地表を覆うコンクリートの表面積が飛躍的に伸びて、大都会のヒートアイランド現象に拍車をかけることになる。足立区だけ逃れる訳にはいかない。

その3 都心部の立体化が加速するということは、それだけボリュームが増え、そのぶんそこで仕事をしたり、生活する人も増えるのだから、ここに栄養を送る補給路の確保が必要となる。人間の身体で考えればわかりやすい。このバランスがとれていないと、都心部は窒息や貧血になって、生活できない。だとすると、平面上のバイパスも限界だから、道路や鉄道もビルにあわせて立体化でもしないと、渋滞がひどくなるだけで、すでに足立区では、環七や日光街道の渋滞は日常化している。さらにひどくなる可能性が高い。

その4 そもそもこの不況下で、あんなにビル建てて成り立つのか?業務用フロアーは、すでに空きが沢山あるそうだ。とりあえず土地取引は動くかもしれないが、「不良債権の土地が不良債権の高層ビルになるだけではないか」と心配の声も出始めている。ハコばかりつくっても、中身が空洞化では意味がない。最後はまた、「国民の税金で穴埋め」なんてことになれば、当然足立区民も逃れることはできない。

 言い出せばきりがないけれど、高層ビルは他人事ではない。結論「高層ビル見て、わがふりなおせ」

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02年 9月21日 歳はとりたくない?10月から大変だ!

 気がつくと55歳になっていた。私の誕生日は9月19日、ちなみに1947年(昭和22年)生のイノシシ年。牙を抜かれて飼いならされると、豚になるか?しかし誕生日なんて、ちっともうれしくなくなってしまったのは、いくつの頃からだろうか?

 「うれしくない」のは序の口で、この10月から高齢者の医療が大変なことになる。7月の国会で、野党は勿論のこと、日本医師会をはじめ多くの国民の反対を押し切り、医療改悪法が「自・公・保」によって強行採決されてしまった。

 医者にかかると、今まで1回850円だったものが、これからは1割負担になる。前年課税所得124万円以上の人は2割負担。もうすぐ区市町村から1割か2割か記載された医療受給者証が届く予定だそうだ。いずれにしろ、いくらかかるか不安だから、それなりの現金を持っていないと医者にかかりづらくなりそうだ。自己負担の限度額も大幅アップで、1割負担の人では、外来12,000円・入院40,200円までは自分で払いなさい、というもの。

 在宅で往診を受けている患者さんも深刻で、すでに医療現場では10月からの負担額を聞いて、絶句する人、「2回の往診を1回にして」という人、「もう来なくて結構です」という人、などが多数出始めている。

 不況に追い打ちをかける、この医療改悪。あたかも国家ぐるみの「姥捨て政策」の様相である。「山河破れて国あり」とは作家の高橋治さんの皮肉だが、これでは「国の財政が大変」という屁理屈で、最初に高齢者が犠牲にされる。国を守るということは、国民を守ることではないのか?国の財政とは、国民の為にあるのではないのか!

 介護保険の負担も大変で、利用料の1割負担も重いけれど、足立区では保険料の滞納者が、1号被保険者のうちの普通徴収対象者(老齢・退職年金が年額18万円未満)で、13%を超えたという。残念なことに、鈴木区政は「保険料の減免は最後の1区になってもやらない」と言う始末で、東京都の一部減免に渋々お付き合いした程度。

 区民の暮らしを守るためには、国の悪政も足立区政も変えるしかありません。

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02年 9月18日 日朝関係「本物の謝罪vs本物の反省」からこそ

 小泉首相の北朝鮮訪問、日朝首脳会談で明らかになった、8人の死亡という拉致被害者の安否情報は、予想をこえた痛ましいものだった。

 被害者家族、国民のやりきれない怒りは、誰に向けたらいいのだろうか。北朝鮮という国なのか、その国民に対してか、金正日総書記に対してなのか。すると戦前の植民地支配で、強制連行、従軍慰安婦をはじめ様々な被害を受けた朝鮮国民は、一体誰に怒りを向けているのだろうか。日本国民か?そう考えると、国家による犯罪は重いものである。

 謝罪が口先だけではないことを信じたいが、「何故そのようなことが起きたのか」「何故自分は間違ったのか」を語らない謝罪や反省は、どこか空疎である。しかも組織的な「国家による犯罪」であればあるほど、真相がウヤムヤにされることが心配である(そういえば、国家ぐるみの外務省機密費もウヤムヤにされそうね)。被害者への謝罪・補償を急ぐとともに、一刻も早くその真実と責任の所在が明らかにされることを望みたい。

  きちんとしたケジメがないまま50年も経つと、どこかの国のように、「あれはウソだ」「そんなに沢山死んでいない」「当時の状況ではやむえなかった」などと堂々と言い出す人だって出てくるかもしれない。相手の姿勢をきびしく正すということは、自らの姿勢も正すことである。

 つらいことではあるが、一時的、情緒的な反発を抑え、日朝両国が真摯な反省から、国交正常化へ歩み出すことこそ、両国民の利益になるのだと思う。

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02年 9月16日 東京電力だけか?トラブル隠し

 ここのところ、東京電力による原子力発電所のトラブル隠しのニュースが続いている。東電だけにトラブルが集中するとは思えない。きっと日本中にまだ沢山トラブル隠しがあるに違いない。内部告発も外国からで、日本人は東電副社長からはじまって100人以上は知っていたけれど、みんな黙んまりを決めこんでいたらしい。国の原子力安全・保安院も東電と連絡をとりあっていたようで、「知らぬは国民ばかりなり」だったんですね。

 「原発があるから電気は割安」とか言ってたけれど、本当は「安全性に目をつむれば割安」だったみたいです。

 ちょっと昔に読んだ、高木仁三郎さんの「プルトニウムの恐怖」(岩波新書)を思い出しました。現在、日本ではプルトニウムの利用計画が進められていますが、プルトニウムの放射能半減期は何万年単位といいます。何万年も経つと、今ある原発なんかは、太平洋の海の底だか、富士山のてっぺんだか、どこへ行っているのやら。何万年後まで安全性を保証する技術はまだないそうです。

 本当にドラム缶なんかで大丈夫でしょうか?欧米では原発をやめているのに、日本には「とりあえずその場しのぎ」が多すぎて、情けなくなります。

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02年 9月12日 9月11日を平和の日に

 9月11日、ニューヨークの同時多発テロから1年。アメリカ各地でも、日本でも、 追悼の集会やコンサートが開かれた。ニューヨークの犠牲者と共に、私はアフガンへの報復爆撃で亡くなった数千人ともいわれる民間人のご冥福も祈りたいと思う。

 貿易センタービルに突入する飛行機の衝撃映像に比べ、アフガン空爆の映像はおどろくほど少ない。私たちにとって「リアルである」ということは、「リアルに感じる」ということである。そこで、映像の有無は決定的ともいえる差を生み出している。映像の選択、反対側からの視点、等々の例をあげるまでもなく、映像の嘘を見極めるのは、言葉の嘘を見極める以上に至難の業である。

 私たちの想像力が問われている。あのテロ事件を口実にするのではなく、平和への足がかりにこそすべき、との声が世界に広がりつつある。私もその一人だ。結局被害に遭うのは、名もなき一般市民なのだから。

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02年 9月 9日日 田中康夫さん「しなやか」の勝利

 長野県知事選での田中さんの勝利は本当にうれしいニュースでした。任期半ばでの議会多数による不信任などを見ていると、他人事に思えず、「がんばれ」のメールを送りました。ところで、あの「しなやか」は、私もはじめは「???」と感じていましたが、今になってみると、なかなかどうして、県民と心を通わせながら、大事な原則はしっかり守っていく「しなやか」さだったんですね。

 そういえば私も区長の時に、「あなたは筋金入りか?」なんて質問されたことがありました。私としては「針金入り」くらいがいいのでは、と思っていたんです。多少クネクネしたり、遠回りすることがあっても、折れてしまわない粘り強さも必要なことです。しかし現在曲げられたままの「針金入り」より「しなやか」が一枚も二枚も上でしたね。

 これからも田中康夫さん、しなやかに頑張ってください。私も、しなやか、すこやか、にぎやか、に頑張りたいと思います。「長野県知事選、田中康夫さん当選おめでとう」とさっそく祝電を打ちました。

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