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大震災の支援に宮城へ(続報)

11年5月7日

 七ヶ浜町では、基礎がコンクリートの新しい家はかろうじて残りましたが、他の木造家屋は全て津波で流されていました。七ヶ浜町の港は岸壁はくずれ、片づけられない船が残されていました。(最初から読む(写真をクリックすると大きくなります)

七ヶ浜町の写真:クリックすると大きくなります屋根の上の船の写真:クリックすると大きくなります

  医療支援を受け入れている現地対策本部のある塩釜市の坂総合病院での、病院職員と支援者の合同の朝のミーティングの様子です。

破壊された岸壁の写真:クリックすると大きくなりますミーティングの写真:クリックすると大きくなります

 避難所になっている多賀城市の文化会館。早く避難してきた人は畳のある和室、遅く避難してきた人は廊下で、という矛盾もありました。

和室の写真:クリックすると大きくなります廊下の写真:クリックすると大きくなります

 石巻の港では、倉庫の壁に津波のきたラインが残っていました。地盤が沈下したせいで、満潮時に地表から海水がボコボコと湧出していました。

石巻の港の写真:クリックすると大きくなります満潮時の写真:クリックすると大きくなります

 工場地帯では流されたディーゼルカーやコンテナが、まだそのままになっていました。

工場地帯の写真:クリックすると大きくなります高齢者施設の写真:クリックすると大きくなります

 津波の被害を受けた東松島市の高齢者施設では、1階の天井の高さまで津波が押し寄せ、利用者12名、職員2名が亡くなりました。

荒れ果てた室内の写真:クリックすると大きくなります体育館の写真:クリックすると大きくなります

 ニュースでも報道されましたが、この施設の隣にある、この地域の指定避難場所の小学校体育館も同様で、避難していた約100名の住民が1階の天井付近まできた津波で亡くなりました。

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