07年 4月11日 更新
これまでの「ひとこえ万三」から「都知事選」関連ピックアップ!
次につながる戦い・2007都知事選を終えて 07年 4月11日 |
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いよいよ都知事選本番に突入 07年 3月21日 |
都知事選、構図固まる 07年 3月 6日 |
風向きは変えるのだ! 07年 2/16日 | 頑張れ!そのまんま東さん 07年1月28日 |
リアルなもの 07年 1月16日 | 亥年はユサユサ・グラグラでおめでとうございます 07年 1月 3日 |
子どもの頃の悩み 06年12月12日 | 「虚像」対「まんぞー」 06年11月30日 |
イス取りゲームに再チャレンジ? 06年11月17日 | 格差社会型教育 06年11月10日 |
グーグルアース 06年10月30日 | すべての都民のみなさんに 06年10月24日 |
コンフィデンス・自信 06年10月 3日 | 2005年は手遅れにならないうちに 05年 1月11日 |
救急車が危ない!! 04年12月 8日 | テロ容認発言のもつ深刻さ 03年 9月24日 |
都庁展望室で「カジノ」だって! 02年10月15日 | イラク攻撃に「NO!」と言えない日本 02年11月 8日日 |
07年 4月11日
東京都知事選挙が終わりました。まずは応援して下さった皆さんに感謝申し上げます。 結果は、石原慎太郎氏が281万1486票で三選。浅野史郎氏・169万3323票。私・吉田万三が62万9549票(得票率11.4%)でした。 最終的な得票数までにはつながらなかったとはいえ、終始攻勢的でよい戦いができたと感じています。 選挙ですから目標は当選をめざしての戦いですが、そこに至ることは簡単なことではありません。 その結果は一国の政権交代にも匹敵するくらいの規模と内容を持つものですから、単に準備期間の長さとかイメージ戦略というレベルでなく、選挙戦本番に向かうまでの数々の運動の積み重ねや政策の検討、戦いを性格づける旗印の決定、戦いへの陣形の構築などが問題になります。 昨年の秋以降、共産党都議団の奮闘などもあり、石原知事による都政私物化の実態が次々と明らかにされ、マスコミでの報道もされる中で「石原タブー」が崩れてきました。 私が基本政策の「都政改革プラン」を発表し、福祉・子育て・くらし充実をはじめ3つの転換を訴えたことが政策的論戦をリードし、選挙本番に入ると石原氏はポーズとはいえ「反省」を口にし、終盤には「くらし満足度」「教育と子育て支援の充実」「都民の目線による医療と福祉をすすめます」「中学3年生までの医療費無料化」とまで言うような状況をつくり出しました。 また運動面でも、「戦いの大義の旗印」「政策の一致」の重要性の認識という点でぶれなかったことが、運動全体の元気の源になったと言えるのではないでしょうか。もちろん、戦闘能力の高い候補者の発掘・選択も大切なことです。 同時に、この都知事選の戦いは、石原慎太郎という虚像を恐れる弱気との闘いでもあったように思います。 一挙に勝利の展望などがひらけるわけもないのですから、まずはその状況を打ち破るための戦いに立ち上がらなくては、状況の変化をつくり出すことは不可能です。 その弱気の延長として、共産党だけ推薦の吉田では勝てるはずがないので、とにかく「よりましな候補」での一本化論がありました。 昨年11月のシンポジウムの時点で私が指摘しておいたように、一致点をアイマイにしたままの「よりまし論」は、負けた時には何も財産の残らない戦いになる危険性があるのです。 そうは言っても、たしかに力を集中しなければ勝てないのですから、この「よりまし論」の主張は、石原氏への反感が強ければ強いほど、一定の説得力を持ったのです。 選挙期間中も言いましたが、誰が出てきても相手が石原さんだと「よりまし」に見えるのです。 しかも、それ以上に今後重視すべき問題として私が感じたことは、「二大政党論」が想像以上に有権者の意識の中に浸透しつつあり、都知事選挙は国政選挙に近い感覚だから当然とも言えますが、この影響が地方政治のレベルまで出てきている点です。 この問題でも、今回の都知事選での戦いは、今後につながる沢山の経験や教訓を残すことができたのではないかと思っています。 戦いはこれで終わったわけではありません。 私自身は、また医療の現場の仕事に戻ることになりますが、国政では改憲の動きが急な情勢です。 私を応援してくれた人も、浅野さんを応援した人も、中には石原さんに投票した人でも、「憲法9条は守ろう」という点では、今後力を合わせていかなくてはならないと思う人が沢山いるのではないでしょうか。 選挙の中では、福祉の実績などでのやりとりがあったり、私もオリンピックと民主党の関係で浅野氏を「幽体離脱」などと言いましたが、応援している人はまたそれぞれの思いでやっているのですから、今後はむしろ一致点の方を重視していきたいと思います。 取り急ぎの私なりのまとめなので、不十分なところもあるかと思いますが、皆さんのご意見も聞きながら、今後に生かしていきたいと考えています。 重ねてご支援していただいた皆さんにお礼を申し上げ、ご挨拶といたします。 |
いよいよ都知事選挙直前になってきた。 マスコミの取材、テレビでの公開討論などのスケジュールも次々と入ってきている。 また、私のホームページの掲示板を始めインターネットのブログでも様々な議論が戦わされている。 3月13日は有楽町の日本外国特派員協会に招かれ、講演と質疑。そこでもいろいろな質問の中で、反石原としての私と浅野氏についての質問が出された。 たしかに石原氏に対抗して出馬すれば誰でも反石原ではあるが、その中身が問題である。 私も、浅野氏の出馬の記者会見をテレビや新聞で見て驚いたのだが、「石原さんはあこがれの人」とか「1期目は輝かしい実績で、2期目から悪くなった」とか「いいところは石原都政を継承」とか言っている。 石原知事の暴言は1期目から始まっており、シルバーパスの有料化や老人福祉手当などの福祉切り捨ても1期目から始めたことなのだ。 その上で私が話したのは、日本の政治状況がアメリカに近づいてきている点である。 日本の財界がめざしているのは、アメリカ型の保守二大政党である。小選挙区制という基本的なお膳立てもできている。 民主党もそのことは充分承知していて、サンデープロジェクトで鳩山氏が「共産党とは一緒にやらない」というのは、単に票が減るということではなく、そんなことをすれば財界からの信用も支援も失ってしまうからである。 すでに東京都知事選を石原氏(自民推薦隠し)VS浅野氏(民主推薦隠し)=自民VS民主の代理戦争のように見る人までいる。旧社会党の流れも一部あるので、民主党を保守政党と思っていない人もいるようだが、日本の二大政党も保守二大政党なのだ。 石原氏が大きな壁であることを否定しないが、私はその向こう側にもっとソフトな顔をした「二大政党」という壁を見てしまうのだ。 この間のいろいろな議論を通して、今の状況はアメリカの良心的と言われる人々の悩みと通じるものがあるように私は感じている。 ネオコン勢力に支えられたブッシュを倒すための選択肢は、ややリベラルな感じの民主党を応援することを通して民主党にプレッシャーを加えるという政治的回路くらいしか見当たらない、というのが多くのアメリカ国民の現状ではないだろうか。 1996年、2000年、2004年、ラルフ・ネーダー氏は様々な制約を乗り越えて大統領選挙に出馬した。残念ながら、アメリカにおいて新しい「第3極」という選択肢を創り出すところまでには至っていない。 こんなところでネーダー氏を引き合いに出すのも気が引けるが、2000年の大統領選挙では、フロリダ州、ニューハンプシャー州でゴア氏とネーダー氏の合計得票がブッシュ氏を上回ったこともあり、民主党ゴア陣営とネーダー陣営の間で、選挙の前にも終わったあとにも非難の応酬があったという。 現在多くのマスコミが、二大政党論へと世論誘導しているようにも見える。しかし日本はまだアメリカと同じ状況までには至ってないのだから、私は何も先回りして二大政党論にすり寄ることはない、と思っている。できれば様々なグループや個人の意見を代表する小政党が存在するような制度が理想的だと思っている。 それはさておき、この日本には、保守二大政党ではない「第3極」の選択肢が必要ではないか。 共産党が自ら「第3極」をめざすのも政党である以上当然だと思うが、私は「第3極」にもいろいろな形があるはずだから、あらゆる可能性にもっと熱心であってよいと思っている。残念なことに、その熱心さが見えてこないことに失望したこれまでの支持者の中には、勝ち馬に乗るために消極的だが浅野氏を支持している人もいるようである。 しかし選挙は戦いである。 この1週間はテレビ出演や政見放送録画で忙しかったが、テレビ討論などを通じて都民の関心も高まり、いよいよ状況が動き出したことを実感する。 戦いでもっとも大事なことは、「戦いの大義」である。 「大義なきイラク戦争」などと言われるように、戦いの旗印がハッキリしない軍勢は、いくら頭数が多くても、いくら強そうに見えても、強い力を発揮することができない。 昨年の秋から私が言っていたことだが、「政策の一致」とは、そういうことなのだ。 そのことをアイマイにして、相手の影におびえ、「足し算的思考」で幅を広げれば広げるほど、政策は○でもなく、×でもなく、△印になるばかりである。 「何をもって石原慎太郎という巨像を打ち破るのか」を明らかにし、闘ってこそ、世論も風向きも変わり、状況が変わるのだ。 それが世論調査と違う「戦いのダイナミズム」である。真実が見えれば人間は変わるのだ。 時間は限られているが、私は最後の最後まで全力でがんばる決意を固めている。 |
3月1日の朝日新聞は、1面トップの見出し「都知事選構図固まる」で「浅野氏立候補へ」と報じた。 浅野さんが2月25日の集会に顔を出した頃には、ほぼ出馬へのレールは敷かれており、徐々に周囲で盛り上げながら、すでに会場が確保されている3月9日あたりで正式発表という段取りかな、と思っていたので、それほど驚きもしなかったのだが、ここ数日私のところへも急にマスコミの取材がやって来るようになった。 またこの件について、吉川さん、大木さん、須藤さんをはじめ、いろいろなかたからメールもいただいた。中には「この際吉田さんが候補を降りてくれないだろうか」という主旨のものもあった。 取材で聞かれることは、このニュースへの感想や浅野氏への評価についてである。 私は、浅野氏がまだ正式に「何をやる」とも言ってない段階なので、あまり踏み込んだことは言えないという前提で、ふたつのことを話した。
ふたつめのコメントは、浅野氏への評価だ。
大筋、以上のような感想を述べさせてもらった。 そうこうしている間に、どうも浅野氏正式出馬のようだ。3月6日午後の出馬表明を受けて、夕方にはさらに取材がやってきた。 正直言ってあまりの抽象論にやや拍子抜けなのだが、私は最後まで「本物の改革は何か」を訴えようと思う。 |
2月14日、吉田万三の「都政改革プラン」を発表した。 あと約1ヵ月に迫った東京都知事選に向けた政策を「3つの転換と6つの重点公約」としてまとめたものであり、石原都政の対極をなすものと考えている。 昨年11月以降、石原知事のトンデモない豪華海外出張、四男優遇ワンダーサイトや高級料亭での飲食などが次々と明らかになってきた。 今まであまり取りあげなかったテレビ・週刊誌をはじめとするマスコミも、セキを切ったように報道するようになった。 当初はビクともしない大岩のように思われていた石原知事も、相当あせったり、うろたえたりしたのだろう。最近はしきりにテレビに出演し、弁解したり、「俺はいじめられている」なんて泣き言を言ったりしている。「石原ヨイショ番組」や「ヨイショ司会者」まで出てくるようになった。 ところで、マスコミは石原知事の実態はある程度書くようになったが、そのあとは民主党の候補者選びのニュースばかりが目につく。 ニュースというのは、競馬のレース予想みたいなことが仕事なのかとつい思ってしまう。そういえば自分でも「出馬」なんて言ってたな。(笑) これからはもっと政策の内容に迫ってほしいと思うけれど、しかしこういうのも二大政党論の影響なのかもしれない。 11月に開かれた市民グループのシンポジウムでも、生活者ネットの代表が「私たちは地域政党で、国政は二大政党なので、国政レベルでは民主党を支持します」というようなことを発言していたので驚いたのだが、私は二大政党論はあまり信用していない。 二大政党のアメリカはどうだろう。ブッシュがイラクで戦争を始めた時、共和党も民主党も国会議員は一人を除いてほぼ全員が賛成した。 戦況が泥沼化し、戦死者も増加、アメリカ国民の世論もイラクからの撤退・戦争終結へと風向きが変わってくると、民主党の大統領候補は「私がイラク戦争を終わらせる」と言い始めた。「始めた時は賛成してたじゃないの」という国民の声に、今やヒラリー女史は弁明に努めているという。 自らが行動して戦争を止めようとしたのではない。風向きが変わったので、それに合わせて言うことが変わってきたのだ。 風向きが変わったのは、戦死した兵士の母親の反戦行動をはじめ、様々な草の根の運動があったからこそではないか。 そのシンポジウムで私が強調したことのひとつは、「待っていても風向きは変わらない。自力で風を起こしてでも風向きを変える動きをする人がいなければ、何も変わらない」ということだった。 さらに大切なことは「石原都政の何をどう変えるのか」ということである。 本気でこの都政を変えようとするなら、ポーズではなく、その中身が問われることになる。 |
そのまんま東さんが宮崎県知事に当選した。前知事が逮捕されて空席だったので、選挙後即就任。その2日後には鳥インフルエンザの発生だから休む間も無いようだ。 テレビのニュースを見ていると、私はつい自分の経験を思い出して「これからが大変だろうなぁ」と思ってしまう。 談合体質にメスを入れたり、入札制度の改善などは、本質的な問題の入り口だからある程度目に見える結果は出せると思う。 問題はその先で、日本中に蔓延する大型開発・ハコモノ中心の体質を変えようというところまで行くと、猛烈な抵抗が始まるはずだ。 これまでも、そこで立ち止まってしまった知事がたくさんいたように思う。そこから前に進めるかどうかで真価が問われるのだ。 私が足立区長の時、昨年亡くなった当時の青島都知事にお会いする機会があった。 その時、青島さんは私に向かって「吉田さんも私と似たような立場だけれど、ずっと突っ張っていた方がいいよ」とアドバイスしてくれるではないか。「自分は都市博中止まで頑張ったけれど、あとは体力ももたなくて力をゆるめたら、ズルズル押し込まれてしまった」というようなお話だった。 意外と自分の置かれている立場を冷静に見ていることに驚いたことを思い出す。 そのまんま東さんも大変だけれど頑張ってほしい。はじめからペコペコしすぎが少々心配だが、偉そうにふんぞり返っている知事なんかよりは余程ましだ。 リーダーに必要な力は、住民の心に共感する力、対話や議論の中から知恵を引き出す力、物事の本質をつかんで判断する力などではないだろうか。 そう考えると、独裁者なんて能力がなくても誰でもやれそうだ。 なにしろ対話や議論の力は不必要で、一方的に命令したり、怒鳴ったりできればいい。大した能力はいらないのだ。 あとは取り巻きがチヤホヤしたり、強い姿を上手に演出したりすれば、「独裁者一丁出来上がり!」だって可能な気がする。 しかしそういう人に限って、ちょっと批判されると「俺はいじめられている」なんて泣き言を言い出すから情けない。 東京には、本当にいじめられても、歯をくいしばったり、励まし合ったりしながら、頑張っている人がたくさんいるのだ。 |
親が子どもを殺したり、兄が妹を殺したり、妻が夫を殺したり、驚くような事件が続いています。 ニュースの解説では、この人たちが育ってきた時代背景が言及されることもしばしばです。 30年近く前になりますが、私が新米歯科医師のころ働いていた病院や診療所では、年1回「健康まつり」を開催していました(今でもやっています)。 歯科では歯科相談の隣で、子ども向けのアトラクションに動物の石膏模型や自分の指の石膏模型をつくって配ったりしました。 動物の模型には、ライオンやパンダ、ネコやペンギンなど可愛いものがたくさんあったのですが、子どもたちに一番人気があったのは「怪獣」でした。子どもは生身の動物より、いつもテレビで見ている怪獣の方に親近感を持っていたんです。ザリガニよりバルタン星人というわけです。 この頃から「バーチャルリアリティー」の世界は始まっていたのでしょう。その頃の小学校低学年の子どもたちが、今では30〜40歳代になっています。 そう言えば、安倍首相をはじめ今の若手政治家といわれる人たちも、この世代に近いのでしょう。プラモデルや雑誌で育った「戦争オタク」出身の人たちが、日本の将来を論じる時代になっているのです。 その次は、「信長の野望」世代が世界制覇を論じ始めるかもしれません。 しかし「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、映像の力は百の言葉や文字に勝ることもあります。 自分で言うのも照れくさかったのですが、都知事選挙に向けてビデオが作られました。岩波映画でお仕事されていたプロデューサーの今泉さんが大変熱心に動き回ってくれました。 ところでこの岩波映画の創始者は、雪の結晶や北大の低温科学研究所で有名な中谷宇吉郎先生だったのですね。原宿駅近くのご実家の一部が、今でも科学映画の事務所として使われていました。 「真実の姿をわかりやすく見てもらう」という心のこめられたビデオです。私がもう少しやせていた頃の姿も映っています。 ビデオテープ、DVD、ともに400円で、お問い合わせは「革新都政をつくる会」へ、とのことでしたが、グーグル・ビデオ(Google Video)にアップされているので、「吉田万三」と検索すれば見ることができますし、このホームページからも直通できます。是非まわりの人にも勧めてください。 |
子どもの頃の記憶なのでボンヤリしているのだが、3歳か4歳の頃の話だ。
ところで、11月26日に開かれた市民グループのシンポジウムは「どうしたらあのトンデモナイ石原都知事を倒せるか」ということが主題でした。 私は「数合わせも大事なことだが、それだけでは勝てない。石原都政の何が問題なのか、どこが私たちの一致点なのかを明らかにしなければ、大きく世論を変えるような戦いにならない」と話しました。 人によってそれぞれ、どこが切れ目の所かは、簡単そうにもむつかしそうにも見えることでしょう。 私は、(1)憲法9条を守る、(2)税金の使い方を大型開発中心から暮らし中心にする、くらいで一致できれば、もっともっと力を合わせることができるはずだと確信しています。 |
東京都知事選への出馬を表明して以降、ほとんど休みなく東京中を走り回っている。 なんと言っても、石原慎太郎というトンデモナイ都知事をいつまでも黙って見過ごすわけにはいかない!という思いからだ。 これまでも、石原知事には「ババア」発言や憲法否定など数々の暴言もあったけれど、本人が居直ったりしているうちに時間も経過して、しばらくするとウヤムヤにされてきた。 しかし、最近になって次々とボロも出はじめてきたようだ。とにかくその中身にあきれてしまう。 知事就任以降7年半で19回の海外出張。視察とか研究とかいろいろ理由がついているようだが、台湾6回を筆頭に、ガラパゴス諸島10日間とか、グランドキャニオンとか、イギリス・マン島とか、ようするにほとんど観光旅行ではないか。「豪遊」「税金ドロボー」と書いた新聞まであった。 さらに今度は、石原ファミリー・身内優遇のトーキョーワンダーサイト(TWS)のやりたい放題の実態も明らかになってきた。他の文化施設予算は大幅に削られているというのに、ここだけは5年で予算が8倍になったというから驚きだ。 暴言吐き放題、ゼイタクし放題、しかもそういうことを不思議とも恥ずかしいとも思わないあたりが、まるでどこかの独裁者のようではないか。 ところが多くの都民には、こんな東京都政の実態がまだまだ知られていない。 その理由のひとつは、露骨な情報操作だ。石原氏の暴言と実像を追求しつづけたジャーナリストも皆無ではなかったが、ほとんどのマスコミはサラッとニュースを流したくらいの印象だった。舞台裏では、彼に批判的な目を向けるものは容赦なく威圧されるという話まで耳に入ってくる。 その結果、しっかりと演出された格好の良い石原知事の姿ばかりが、私たちの目に映ることになる。 だから石原知事は強そうに見えるし、誰もなかなか対抗馬として手を挙げようとしなかったのだと思う。 石原知事は、まさに演出された「虚像」ではないだろうか。 したがって、この戦いは「虚像」対「まんぞー」の戦いなのである。 しかしである。それは単なる「虚像」というわけではない。 石原知事の暴言を「今までの政治家と違って本音で語っている」「役人に負けないでやってくれそう」などと言う人がいるのだ。そしてその人はイス取りゲームのイスに座れず、「ごくつぶし」なんて言葉を投げつけられている若者だったりする。 そのような状況に出会う時、私は、失業率が高まると、その不満の矛先が安い労働力を供給する移民に向けられ、「移民排斥」を叫ぶ極右政党が勢力を伸ばしているヨーロッパの構図に似たものを感ずる。 弱いもの同士が、少ないイスを奪い合っているのだ。 「虚像」が徐々に実体を持ち「巨象」へと成長する時ほど危険な時はない!ということを、過去の歴史は静かに語っていたように思う。 「虚像」はあなどれないのだ。 |
今年に入って、学生時代からの親しい友人が相次いで亡くなった。 書店の社長をしていたS君は、前社長から仕事を引き継いだ典型的な雇われ社長だったが、まじめすぎて不器用な彼は、経営の行きづまりに責任を感じて自ら命を絶った。引き継いだ時から行きづまっていたというのに。 誰もが「なんてバカなことを!」と思ったが、他人に言えない苦悩だったのだろう。 相談にのっていた同じ団塊世代の弁護士は、「オーナー社長はもっとサバサバしていてしぶとい。さっさと家族の相続放棄の手続きをして会社をたたんでしまう。雇われ社長で、責任感が強く、妙な男の美学みたいなものがある団塊世代の特徴なんだなぁ」と残念そうに話してくれた。 会社の整理にも目途が立った数ヵ月後、関西にいるご家族にも参加してもらい、東京で友人たちでのささやかな「偲ぶ会」を開いた。北海道や京都からも友人が駆けつけてくれた。 心やさしく、誰からも愛された彼の姿や学生時代の話を、彼の息子や奥さんに話しておきたかったのだ。少しだけ肩の荷が下りた気がした。 それは、日本中にあふれている倒産やリストラがらみの悲しい話の一つかもしれない。 「再チャレンジ」なんて言葉を聞くと、私は子どもの頃の「イス取りゲーム」を思い出す。人数より足りないイスから必ずはみ出してしまう人間がいる。次の曲がかかると、今度は今まで座っていた人が押し出されて、新しい人がそこに座る。 それが安倍首相のいう「再チャレンジ」だ。 蹴落とされたら、次は必ず他人を蹴落とすくらい強い人間にならないと生きていけない。 そのためには、子どものうちから競争させて、スキあらば他人からイスを奪い取る訓練をさせておこうというのだろう。 表面は笑顔でも、心を許したりしない人間だけが、こういう世界では勝ち組になれるのだ。 こんな、一部・二部入れ替え戦のくり返しみたいなことに、みんなそろそろ疲れてきている。だからもっとイスを増やせばいいのだ。 仕事を増やし、くらしを応援するように税金の使い方を変えることができれば、子どもたちだってもっとのびのびと生きていけるにちがいない。 今必要なことは、「再チャレンジ」よりもイスを増やす政治への転換だと思う。 |
11月4日の朝日新聞朝刊を開いてびっくりした。「足立区の小中学校で、学力テストなどの成績の良し悪しで、学校に配分する予算に差をつけて競争させる」という記事だ。 その後批判の大きさに驚いて、あわてて少し手直しするようだが、本当にあきれてしまう。 「成績の悪いところに予算を多く配分して全体の底上げをはかる、というならまだ少しはわかる話だが、話が逆だ」とコメントしている人がいたけれど、こういうのをムキ出しの新自由主義というのだろうか。 「成績の悪そうな子はテストの日には学校を休むように、それとなく言われている」なんて話も耳に入ってくる。 それにしても知恵のないことだ。 だいたいこういう考え方を良しとするなら、こういう考え方が大好きな石原都知事が「それはいい!早速東京都でもやろう!」なんて言い出すかもしれない。そこまで考えなかったのだろうか。 この方式を東京で導入すると、その努力や苦労よりも成績で、足立区は予算を減らされてしまうというのに! 「生きていてもつらいことばかりだ」という子どもの悲痛な叫びには、「弱いもの・成績の悪いものには存在価値がない」という考え方を助長している大人の社会の陰が投影されているのではないか。 学校の成績は、人間の様々な能力のほんの一部を示すものにすぎない。「他人へのやさしさや思いやり」などという教科はない。(写真をクリックすると大きくなります) 高校の必修科目未履修も問題になっている。 10数年も前のことだが、病院に新しく入ってきた新人医師に聞いたことがある。私立の中高一貫校出身で、はじめから医学部進学コースだったので、歴史などは勉強せず、英語・数学・理科の3教科ばかり勉強してきたそうだ。 とても効率の良いやり方で、昔からやっていたに違いない。 本人は人間的にもバランスのとれたまじめな医師として成長したから、それでもまだ救いがあるが、確かに歴史のことなんかはほとんど知らなかった。 学力テストにも、いじめにも、必修未履修にも、共通していることは、成績や効率だけが最優先される人間観ではないだろうか。 そういう人たちがだんだん国会でも多数を占めるようになってきて、教育基本法も変えてしまおうとしている。 全国に先駆けてその旗をふっているのが、石原都知事である。 |
10月24日に正式に都知事選出馬表明してからは、あちこちから声がかかり急にいそがしくなってきた。 診療のほうも10月いっぱいでなんとか引き継ぎができそうだ。ご迷惑かける方もいたかもしれません。申し訳ありません。やむにやまれぬ事情につき、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。 ところで診療といっても、一般外来だけでなく病院や特養ホームでの診療、在宅患者さんへの訪問診療などもある。 しばらく前に、その訪問診療に使う往診車にカーナビが付いたのだが、ほとんど地図が頭に入っている私にとっては幹線道路ばかりを案内するカーナビはかえって邪魔くさいものだった。 とはいえカーナビもさるもの、なかなかのすぐれもので、地図は立体画像、夜になると画面は夜景に変わる。さすがに雨の日だからといって画面に雨は降らないが、道をよく知らない人には頼りになる存在だ。 このカーナビが軍事技術の転用であることはよく知られている。どこかで戦争が始まると精度が悪くなると言われていたくらいだから、誰かがどこかで調節しているのかもしれない。 しかしその程度で驚いてはいられない。最近はインターネットに「グーグルアース」まで登場している。地球の画像をズームアップしていくと、世界中の都市や観光地がグングン拡大されて見ることができる。パソコンで世界旅行を楽しんでいる人もたくさんいるようだ。 ちなみに東京をグングン拡大していくと、なんと自分の家まで見えてくるではないか!駐車している車もはっきりわかる。さらにマウスを動かすと、多少つぶれた形だが立体画像にもなってくる。 しばらく見ていると、周囲の空き地の状態などから、この画像は1年くらい前の画像だと確認できる。きっと、使用済みで軍事的利用価値のないものを下取りに出して、それを商売にしているのだと思う。 それにしても、これなら北朝鮮だってイラクだって世界中の隅々まで手に取るようにわかるのだろう。それが「エシュロン」という名前なのかどうかは知らないが、いずれにしろ遠い空の彼方の偵察衛星で20分に1回くらいはしっかり監視されているに違いない。 「女性が露天風呂に入ったりする時には要注意だ!」と思わず私は余計な心配までしてしまった。真上があぶない。 昔からお天道様や神様は、人間の良いこと悪いことを空の上からしっかり見ていると言われてきたが、この偵察衛星はそれにとって代わることができるだろうか。 それは無理だと私は思う。何故なら、建物や車は見ることができても、そこに暮らしている生身の人間のこころまでは見えてこないからだ。 それにしても東京は広い。 これから、一生懸命がんばっている都民のこころの声を聞くためにこの街を走り回らなければと、グーグルアースを見ながら私は身の引きしまる思いになったのでした。 |
10月24日、私吉田万三は「革新都政をつくる会」との協定が合意に達し、正式に来年の東京都知事選挙への出馬を表明し、記者会見を行ないました。 すでに新聞等で報道されていたため、ご存じのかたも多数おられるとは思いますが、「これまで私を応援してくれた足立の皆さんに、十分とは言えないまでもしっかり理解してもらった上で、正式に出馬表明するのがスジ」との考えから、この日になりました。 以下が私の発表した「決意表明」です。 07年東京都知事選挙への出馬にあたって 私は、政治の流れを変え、みんなが元気にくらす東京をつくりたいという思いで、来年(07年)の東京都知事選への出馬を決意致しました。 6月には住民税の増税の大きさに多くの人が驚かされましたが、都民のくらしは、これらの税金・医療・年金・介護保険の負担増に直撃され、高齢者の老後への不安や正規雇用で働けない若い世代の将来への不安、商売の先行きへの不安やいつリストラにあうかもしれないというサラリーマンの不安など、誰もが明るい将来像の見えないような状態です。 安心してくらせる東京をつくっていくために、まず必要なことは「くらしの安心」です。 このような時、石原慎太郎氏は、「オリンピック招致」言い出しました。これまでも石原都政は、公共サービスや福祉の切り捨てを進める一方で、「都市再生」という名の開発事業を進めてきましたが、今度はさらにオリンピックに名を借りて大がかりな開発に巨額の血税をつぎ込むことになります。 ガラパゴス諸島をはじめ海外視察もいそがしく、週2日くらいしか都庁に来ないと言われている石原氏が熱心にやっていることといえば、都庁展望台でのカジノ開催や憲法9条改悪の旗振りと教育基本法改悪の先導役としての教育現場への強引な介入です。 また、聞くに堪えない暴言の数々は、一都民として怒りよりも「恥ずかしい」気持ちになるくらいです。 それをいさめる人はとうの昔に遠ざけられているのかもしれませんが、自分に少しでも批判的な人間には恫喝を加え、都合の良いパフォーマンスばかりをマスコミで演出しているというのが実態です。 いつまでも面白がって見ているわけにはいきません。本当の姿が都民にじゅうぶん知らされていないことを良いことに、このようにやりたい放題の石原都知事を、一刻も早く退陣させなければ、安心してくらせる東京をつくることはできません。 私は、
この三点を大きな目標に都政の転換をめざします。 またそのためには、石原都政に心を痛めているたくさんの人たちをはじめ、さまざまな団体、政党、無党派の方々と力を合わせることが必要です。 私は目標が一致できるなら、可能な限りの協力関係を追求するという立場で、引き続き都政転換の共同に努力したいと考えています。 「強いものに尾を振りすり寄る姿」ばかりが目立つような国は決して「美しい国」とは言えません。 こんな閉塞感を、私たちの東京から打ち破っていこうではありませんか。 すべての都民のみなさんの大きなご支援と共同への参加を心から訴えるものです。
吉田万三 |
小泉首相が退陣して、こんどは安倍晋三総理大臣の誕生だ。「変わりばえしない」という人もいれば、「もっと悪くなる」という人もいる。 なにしろ、真っ先にやろうとしていることが、改憲と教育基本法改正だという。 日本が敗戦のトラウマから抜け出して自信を回復することこそ、強い日本をつくるためにはどうしても必要!と確信しているらしい。 自信といえば、今でも売っているかどうか知らないが、私が学生の頃「コンフィデンス」というワキガの防臭スプレーがあって、テレビでCMもやっていた。 confidence あるいは self-confidence で自信という意味だ。 今年の夏休み、息子と一緒に韓国旅行のツァーに参加した。 もちろん、飲んだり食べたりもしたけれど、ソウル市内の西大門刑務所、安重根義士記念館、天安の独立記念館などを見学することもできた。 韓国の子どもたちは、こういう所で自国の苦難と抵抗の歴史を知り、先人達の幾多の犠牲の上に、自分たちの新しい第一歩がはじまっていることを学ぶのだろう。 そういえば、日本には独立記念館など無いし、反戦義士の記念館なども聞いたことがないなぁと思った。 韓国や中国での歴史教育に相当する歴史教育が日本には無いのだ。 私の世代の頃からもそうだったが、日本の歴史の授業はせいぜい明治の初め頃までで時間切れになる。日本の子どもたちにとって、歴史とは、現在と断絶した、あくまでも過去の物語なのである。 「だから日本は本物の自信が持てないんだ!」と私は思う。 ところが「自信を回復するためには!」と考える安倍晋三氏や石原慎太郎氏は、靖国神社の遊就館に入れ知恵されたかどうか知らないが、「あの戦争は正しかったのだ、やむえなかったのだ!」と居直ってしまう道を選択しているようだ。 そんなまやかしは、いつまでも通用するわけがない。 本物の自信とは、事実とありのままに向き合うことから始まるはずだ。 口先ばかり強がっていても、本物の自信がないままでは、中国・韓国とも北朝鮮の将軍様とだってまともに渡り合えるのかしらと心配になる。 従軍慰安婦のテレビ番組に圧力かけたり、いろいろ裏でやっているようだが、歴史というのは、防臭スプレーで「シューッ」と消し去って、はい「コンフィデンス」とはいかないのではないでしょうか。 |
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。 今年はどこか沈んだ正月だったような気がする。年末に雪が降ったせいなのか、やっぱり景気が悪いせいなのか、晴れ着の人に一度も会わなかった。 2004年を象徴する漢字は「災」だそうだが、たしかに5月頃から暑い日が続き、猛暑の夏。足立区では最高気温が42℃を超える日まででた。台風上陸も10回。秋には新潟中越大地震。さらに年末にはスマトラ沖の大地震とインド洋の大津波。 自然災害だけではない。腹の立つことも多かった。北朝鮮の拉致問題もまだ道半ば。日本歯科医師連盟から1億円受け取った橋本龍太郎もウヤムヤだ。年金問題も大騒ぎになったが改悪成立。イラク派兵に日本人人質殺害。 いよいよ自分が大変になった時には「自己責任」なんて言われるなら、一旦今まで払った税金を全額返してもらいたいくらいだ。 数少ない良かったニュースといえば、プロ野球選手会の頑張りが唯一の希望の光のように目に映るのも無理ないか。 それにしても、この1年をふり返ると、日本はとても危険な国になってきたように感じるのは私だけだろうか。 5月の連休の頃、ある晩車で走っていると警官に止められた。「テロを警戒しているので車の中を調べさせてくれ」とのことだった。「走るゴミ箱」と呼ばれる私の車は怪しいと思われたに違いない。そして駅からはゴミ箱が無くなった。電車に乗ると電光掲示板には「只今テロ警戒中」なんて出ている。 学校では「日の丸・君が代」に起立・斉唱しないと(まだ逮捕まではされないが)処分されるようになった。意に添わないビラなどを配布すると逮捕されるようになった。裁判所が無罪だと判断しても、お構いなしだ。 中高年のリストラ、就職できない若者が増え、集団自殺のニュースまで耳にするようになったけれど、凶悪犯罪も増えてきているので、警察だけでなく、お互いがしっかりと監視し合うようにすれば、「安全な社会」が実現したことになるのだろうか。 東京都知事が「憲法を破る」なんてヌケヌケと都議会で発言しても、マスコミは見て見ぬふりで報道せず、こうして私たちは徐々に慣らされて(馴らされて?)、あぶない人と普通の人の基準は入れ替わり、「普通の国」という名の「あぶない国」になっていくのかと思う。 年始の挨拶は手遅れ気味ですが、今年は手遅れにならないうちにこの流れを切り換えて、平和で人間が大事にされる本物の普通の国になるように、みんなで力を合わせていこうと思っている。 本年もよろしくお願いいたします。 |
今年の流行語大賞は「チョー気持ちいい」が選ばれた。他にも「冬ソナ」とか「自己責任」「残念!!」「サプライズ」などがノミネートされたそうだ。 「サプライズ」といえば、救急車が大変だ。いよいよ日本もアメリカみたいに、救急車を呼ぶにもお金が必要になりそうだ。 東京消防庁が、10月1日から来年3月31日まで「民間救急コールセンター」の試行実施を開始した。救急出動件数が急増のため、緊急性の高い場合を優先させる必要があるので、緊急性の低い病院間の転院搬送や入退院では民間の救急車を使ってください、というものである。本格運用は来年4月1日から始まる予定だ。 現在試行期間中だが、すでに都内のあちこちで、119番すると「法律が変わったので…」などと言われて民間会社を紹介される事例が出始めた。 足立区内の病院の例では、結核の患者さんを専門の病院に転院のため搬送を頼んだところ、「重体でなければ救急車は使えないので」と民間救急隊を紹介された。お値段はなんと77,000円!実際には、消毒も必要だとかでオプション料金もついて10万円を請求された。 このまま行くと、命も病気も金次第、救急車だって金次第、になりそうだ。しばらく前には格好良く「アメリカにNO!と言える…」なんて言っていた石原都知事を先頭に、アメリカ型救急体制の方向に突き進んでいる。 アメリカの救急車は基本料金が450〜500ドル(日本円で約5万円)前後といわれている。これに救急隊人件費をはじめ、交通実費12.5ドル/1マイル、夜間呼び出し50ドル、酸素マスク使用40ドル、なんて具合に次々と上乗せされて、すぐに600〜700ドル位になるそうで、日本と同じ感覚で救急車を呼んだら、後日2,000ドル(日本円で約21万円)の請求書が届いた話など、決して大げさな話ではないそうだ。 数年前、恋人に背中を包丁で刺された人気プロレスラーが、自分でスクーターに乗って病院まで行った事件があったそうだが、やっぱり懐具合を考えたんだと思う。 ちなみにアメリカの救急コールは911番。あのニューヨークの旅客機によるテロ事件は、実は9月11日の9時11分を狙ったものだという説を聞いたことがある。(本当かどうかは知らない) それはともかく、具合が悪くなって救急車を呼んだら、「東京では自己責任です。残念!!」なんてことにならないようにしなくては。 |
自民党総裁選や内閣改造の楽屋話の陰で、石原東京都知事の暴言はもうウヤムヤにされてしまうのか、と思う。 「爆弾仕掛けられて当たり前」なんて暴言は許される訳がないが、自分の意に沿わない人間が対象であれば、「当然!」と言ってはばからない感覚にも驚かされる。 発言への批判が無視できなくなると、今度は「彼がそういう目に遭うのは当然のいきさつ」と居直ってみせるのも、石原氏のいつもの行動パターンだ。 それでいて裏では、自分に批判的な人間を遠ざけるように圧力をかけるというから、あきれてしまうが、こんな暴言や暴走を許してしまう社会の雰囲気がむしろ危険な気がする。 そういう私も、子どもがまだ小さかった頃、なかなか言うことを聞かないので、つい感情的になって尻などをひっぱたいたことがあった。私だって、きれいごとばかり言うつもりはない。 しかしである。「口で言ってもわからないから、ひっぱたいてもいい」という理屈を認めるとなると、それは天と地ほどの違いになる。 こういうことは、大きな力の差があるから言えることで、その理屈を認めるのなら、子どもが成長し力をつけた時には、言うことを聞かない親はひっぱたかれることになる。 テロリズムは、弱者の最後の抵抗手段のようにも言われてきた。 しかしいかに弱者であっても、テロを認めるような理屈に与する者は、一旦それが力を持ち権力を握るようになれば、その力を使って、合法的テロリズムと言えるようなきわめて非人間的な行動をとることは、多くの歴史が示しているではないか。 しかも石原東京都知事はすでに弱者ではない。その感性はともかく、公的な立場にある者のテロ容認発言は、力を持った強者の発言であるからこそ、その悪夢がより現実に近く感じられる。 今、許してはいけないのだ! |
アメリカの中間選挙は、ブッシュ人気で共和党の勝利という結果となった。歴史的勝利なんだそうだ。イギリスのタイムズ紙は1面トップで「ブッシュ、戦争へ信任勝ち取る」と報じ、イラク攻撃は秒読み開始と言われている。その一方で、ブッシュの暴走加速を心配し、戦争に反対する声も世界中から起きている。 しかしアメリカ国民は違うんだろうね。何と言っても「9.11テロ」のショックが大きすぎて、いまだに興奮状態が続いているようだ。こういう興奮状態にあっては、だいたい声の大きい主戦論や強硬路線が勝ってしまうものだ。 ただし、ブッシュも浮かれてばかりはいられない。考えてみれば、ブッシュは、「自らも演出した興奮」にまんまと乗ってくれた選挙民によって、逆に退路を断たれたのではないか。後戻りは許されない。攻撃あるのみ。ここで止めたら、ブッシュの存在意義が否定されてしまう。もう暴走を止められるのは、世界の世論しかないのではないか。 そういえば、「アメリカにNO!と言える日本」なんて言ってた石原慎太郎さんは、東京都議会を途中でサッサとお休みしてアメリカに出かけたけれど、こんな時こそ「NO!」と言うべきじゃないの。実際には「北朝鮮も攻撃だ」なんてことを言ってるそうだから、ブッシュとはすっかり意気投合なんてことに、なりかねない。 こういう人って居るのよね。自分より強い相手には、居ない所で強がって、面と向かってはおとなしく、自分より弱い相手には、とっても高飛車な人。アメリカがもっと小さな国で、イラクが大国だったとしたら、「ならずもの国家のアメリカをやっつけろ!」なんて言うかもね。小泉首相もアメリカへ行くと、借りてきた猫状態。「戦争止めろ」と言えない。「もう少し慎重に」くらいのことすら言えない。日本にとってメリットなんか何も無いのに。どうせまた後から「金出せ」って言われるよ。 そろそろパフォーマンスにもほころびが見えはじめている。小泉さんも石原さんもアテにならない。みんなで「戦争NO!」「イラク攻撃NO!」の声をあげなくては。 |
10月17日、18日に都庁で「カジノ」!石原都知事いわく、これも「景気対策」の一環だとか。一応シンポジウムみたいなこともやるそうだけど、あとは「皆さんで実際にやってみましょうね」だとさ。 この不景気で、都民も大変な思いをしているときに、この人は一体何を考えているのだろうか。冗談にしては悪ふざけが過ぎている。やっぱり本気なのだろうか?どうやら「カジノ」を観光都市東京の目玉にしようということらしい。しかも、あの都政最大の不良債権・臨海地区に「カジノ」を建設してもらえば、一石二鳥と思いついたらしい。どう見ても、本気で景気のことを考えているとは思えない。 だいたい若い頃からチヤホヤされて、すっかり偉そうになってしまった人には、誰か意見をしてやることが必要だと思う。ところがマスコミも悪い。意見どころか、みんなで持ち上げて「ヨイショ」しているではないか。「カジノ」に集まる400〜500人のうち、約半数はマスコミ関係だという。 北朝鮮では、国民には「拉致問題」は知らされず、テレビやラジオのチャンネルも「大本営発表」しか聴けないように固定されているという。こんな前近代的情報操作にも呆れるが、我が日本も他人事とは言えない。マスコミぐるみの「石原ヨイショ作戦」も、北朝鮮より近代的だが、なかなか露骨で立派な情報操作ではないか。 この人は、エリート教育にも熱心らしいが、そのうちエリート以外のその他大勢、一般ピープルは、十把一絡げにしてカジノの楽しみ方とか馬券・舟券の買い方とかの教育でも始めるかもしれない。 「ギャンブルで不景気の憂さ晴らしを!」「娯楽の殿堂・都庁舎展望台!」なんて宣伝に釣られてノコノコ出かけて行くと、胴元の石原親分がドッカと腰を降ろしていたりして。私の悪夢は広がるばかりだ。早く目を覚まさなくては! |
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